2-3

 結局、アークはミナにクローゼットいっぱいの服を買わせた。これで春、夏はいくらでも着回せるだろう。

 あとはまた、秋や冬が見えてきてから買い足せば良い。カジュアルなものからドレッシーなものまで、一通り揃えた。どこへ行くのも苦労しないはずだ。

 来年はまた来年で考えればいい。取り敢えずは満足だった。

「あとは……」

「まだあるんですか!?」

 買ったものは全て、家へ運ぶよう手配した。今日中には届くだろうから心配ない。

「当たり前だろう。下着や日用品、そうだな、化粧品も必要だ」

「し……!? 下着はあります!」

「だからお前はバカなんだ、服に合わせた下着が必要だろうが。だいたいお前、旅行みたいな荷物ばっかり持って来やがって。住むための荷物じゃないだろう、あれじゃ」

 買い物の間、アークは大まかに娘の荷物の内訳を聞いていた。どう考えても、腰を落ち着けて生活するには必要な物が足りなかった。

「さあ、次行くぞ次。……ああでも、その前に」

 ふ、と店内に掲げられた時計を見る。午後四時を少し回ったところ。

「何か軽い物でも食うか。休憩代わりだ」

「え? でも、エリクさんがお夕食作って待ってて下さるって」

「うちの夕食は遅いんだよ、昨日もそうだったろ。まだだいぶ時間がある。お前貧弱だから、とにかく何か食え」

「アークさん、さっきから何でそんなに失礼なんです?」

 一旦ここを出て角を曲がり、少し歩けば、若い娘の好みそうなカフェがあったはずだ。

「事実だろうが。いいから食え。成長しろ」

「……アークさんも、一緒に食べてくれますか」

「当たり前だ。俺も喉が渇いた。お茶のひとつも飲みたい」

 角を曲がって、通りを一本超える。すぐに見えてきたカフェを目指す道すがら、娘は潜めた声でこっそりと訊いてきた。

「……でも、その、吸血鬼、って……普通の食事、するんですか」

「してるだろ。昨日も夕食食ってただろうが」

 同じテーブルで食事した、というのに、今更何を言っているのか。

「でも、それで足りるんですか? その、……血、とか」

 ああ、そういうことか。アークは軽く肩を竦めた。

「足りる訳がない。食事はいわば、嗜好品だからな。俺にとってあくまでも、食糧たり得るのは血だけだよ」

 血液。ただしそれは、事実の半分でしかない。

 要は生命だ。吸血鬼は、他者の生命を吸い取って、生きる。血液とはつまり、循環する生命そのものであるのだ。

「じ、じゃあ、アークさんも血を―――」

「飲まない」

 アークは嗤いながら、短く断じた。

「もう何十年も、口にしてない」

「え、でもそれじゃ」

「飲まなくても何とかなる。肉とか食ってれば、多少なりともそこに生命の残滓は含まれてるからな。でなければ、とっくに干涸らびてるさ」

「……足りるんですか?」

「だから、足りてねえって言ってるだろう。常に腹は減ってるし、喉は渇いてる。最低だ。それでも、干涸らびない程度には何とか食いつなぐことができる」

「……つらくないんですか」

 バカなことを聞く娘だ、と思った。それを聞いてどうするのか。

「つらいし苦しいに決まってる。本来の姿をねじ曲げてるんだ、ただでは済まない」

 年々、力は減ってきている。ゆるやかに。そもそも、血を飲まなければあっという間に失って、この姿を維持することさえ出来なくなって老いる。それが本来の自分だ。

 食事、を取ることで、それをどうにか引き延ばしている。細く細く、ごまかすように。

 それでも。

「じゃあ、……どうして?」

「何を飲もうと、この飢えと渇きは治まらない。だったら、飲まないほうがましだ」

 奪って殺して、尚癒やせないあの酷い飢えに狂うよりは、今のほうがずっとましだった。

 淡々と答えるアークの横顔に、何を思ったのか。

 ミナは少しの間、俯いて沈黙した。けれど、ややあって。

「……もし、本当に必要な時が来たら」

「あぁ?」

「わたしから飲んで、いいですよ」

「―――バカなことを言うな」

 まったく、言っていることの意味を解っているのだろうか、この娘は。

 アークは苦笑しつつ、そのまるく小さな頭に手刀を落とした。ゴスっ、と鈍い音が響く。

「痛ったぁ……!」

「お前。吸血鬼に血を吸われる、ってことの意味をよく考えろ」

「知らないです」

「知らないで言ってたのか、余計に悪い!」

 もう一発、頭頂部にゴスッ、と鈍い音が響いた。

「迂闊な事を口にするな。俺以外の奴に言ってみろ、即人間終了だからなお前」

「そうなんですか?」

「怖え。無知怖え」

 まったく。同情するにも程度というものがある。これはただの無鉄砲だ。

「お前から血を飲むくらいなら、どれだけこっ恥ずかしかろうと薔薇の吸血鬼にでもなったほうがマシだ。絶っっっ対いらねえ」

 呆れながら、カフェのドアをくぐった。まあ、餌にするにしても、今のこの娘では貧弱にすぎる。もう少し色々、育って貰わねばそれこそ食指も動かない。

「薔薇の吸血鬼? って何なんですか?」

「黙秘権を行使する。……吸血鬼のおとぎ話みたいなもんだが、どうにもこっ恥ずかしくて俺は好きじゃない」

 だからたっぷりのクリームとフルーツが乗ったワッフルを食べさせ、買い物の続きを敢行した。




 買った物は全て配送を頼んで、帰路につく頃には既に午後七時を迎えようとしていた。

 来た道とは別の通りを選びながら、アベニューBを南下して骨董品店まで。

 アルファベット・シティのランドマークである、トンプキンズ・スクエア・パークをまわって帰る。

「あ、教会。こんなところにあったんですね」

 正面には、茶色い煉瓦造りの大きな教会があった。正面に大聖堂、その左右に教務棟と生活棟が造られた、見るからに立派な教会だ。

「良かった。日曜礼拝だけは行ければ行きたいな、と思ってたんです」

 ミナは教会で育てられた子どもだ。それは、当たり前の要望だっただろう。

 しかし。

「……それなら、お前が行くのはここじゃないな。ここはカトリックだ。お前はプロテスタントだろう」

 彼女は、教授を『牧師』と呼んだ。それは新教の指導者を指す言葉だ。

「あ、そうですね。ここカトリックだったんだ……。バプテスト教会も、近くにありますか?」

「ああ、それならこの通りの裏側だな。イースト七番にある。そっちを回って帰ろう」

 カトリック教会には、この娘を近寄らせてはならない。だからこそ教授は、新教の指導者、という立場に紛れて彼女を育てたのだろう。ある意味では盲点だ。上手いところを突いている。

「ああ、でも、やっぱりカトリックの教会は綺麗ですね。聖堂がすごい豪華……」

 開いたドアからすぐに、壮麗な聖堂が垣間見えた。

 鮮やかに描かれた壁画と、左右に飾られた趣味のいい装花。装飾的な燭台に、見上げた窓にはステンドグラス。

 この辺りでも、一番に大きいカトリック教会だけある豪奢さだった。

「まあ、そうだろうな。でも、そういった虚飾を排したものこそが新教だろう。清貧と実直。お前がどっちを選ぶかじゃないか」

「そうですね。……そうだなあ、やっぱりこんなに綺麗な場所だと、観光になっちゃいますね。飾り気のない、というか素っ気ないくらいのいつもの教会のほうが、やっぱりわたしには合ってるのかな」

「そうだな。……」

 何気ない会話に紛らせつつ、さりげなく教会の前を素通りした。

 ここは、以前からアークにとって不快な気配が強い。それはとりもなおさず、神の威光を正しく受け継いでいるということだ。

 近付けたくないし、近付きたくもない。

「そろそろ荷物も届き始めているだろう。帰ったらまず荷物の整理だな」

「……たくさん、本当にたくさん、ありがとうございました」

「勿体ながって無駄にするなよ。全部使え」

「はい。大切に使わせて頂きます」

 ぐるり、と角を大きく回って、イースト七番へ。なるべく意識を逸らして、歩道を進む。


 だからアークは気付かなかった。或いは、未だ半顔と右腕とに負ったダメージが、彼の力を大きく損なっていたことが原因かも知れない。

 教会の教務棟、その高い窓から、ひとつの視線が二人を見下ろしていたことに。

 その鋭さに、この時、アークは最後まで気付くことが出来なかったのだ。



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