2-2
アークは普段、あまり骨董品店から出て歩いたりはしない。
特に見回らなくとも、厄介ごとは向こうから飛び込んでくるからだ。
ファントムの相談役、のようなことをしている。ファントム同士、ファントムと人間。何かしらのトラブルがあった場合、アークは第三者として常にその間に立っていた。ちょっとしたお悩み相談所だ。
大抵、そういう客は裏口からやって来る。だからアークは、何も気にすることなくひねもすのたりと店のソファに寝転がってきた。
―――しかし、だからこそ気付けなかったのだろう。
「……何だ、この空気は」
自分のまとめている地域の空気が、少し前までと少しずつ、変わっていたことに。
「……………」
後ろをついてくる娘を、ちら、と目だけで振り返った。顔つきが硬い。
アークは小さく舌打ちをすると、次の一歩から歩幅を狭くした。隣に並ぶ。
「アルファベット・シティは、あまり治安が良いとは言えない」
「……はい」
「離れるな」
「はい」
だが、普段はこれほどに、空気の尖った場所でもなかった。そう、歩道の両側から、刺々しい視線でいかにも殺意と疑念とを振りまきながら道行く人を見定めるような、そんな街では。
(……あれは、人間……か)
嫌な気配、がする。薄い薄い皮膜のように、この街をすっぽりと覆う気配が。
ファントム側、からは感じられない。だが、この街では人間とファントムとが入り混じっている。紛れて混じって、暮らしている。
このままでは、何が起こるか解らない。
「……そういえば」
この気配は、初めて会った時のこの娘からも。
そうして、ニィの刺されていたあの部屋でも感じたな、とアークは思い出していた。
「お前、何であの時暴発したんだ?」
「あの時?」
「ニィの部屋でだ。……蝙蝠に連れられて行った、あの」
「あっ、あの時ですね。でも、あの、暴発って……?」
娘は不思議そうに、小首を傾げた。その仕草はあどけないが、擦れ違った女からの刺すような敵意にはどうして気付かないのだろうか。
アークは眉をしかめると、ぐい、とその肩を抱き寄せた。これほどまでに無防備だと、隣を歩いているだけではこっちが不安になる。
(……細いな)
華奢な女はいくらでもいるが、この肉の薄さは、子どもと大人の境目の身体だ。成熟まで、まだ時間の必要な身体だ。
「えっ、あの、アークさん」
「暴発は暴発だ。お前は神性の光を暴発して、俺を焼いたしニィを治した。憶えてないのか」
「あの、えっと、憶えてない……です」
ふ、と嘆息する。
不快な気配は、しかしあの光の暴発のあと、自分が気を失うよりも先にまるで拭ったかのように消え去っていた。そうだ、あの光が全てを飲み込んで、消していた。
それでも。
「何か憶えていることはないのか。そうだな、あの部屋の非常階段に降りてからのことなら、何でもいい」
そこ、にしか、手がかりはない。
今、この街を覆おうとしている嫌な気配。その共通点は、そこだけだ。
「あの、アークさん、近くないですか」
「わざとだ。……いいから思い出せ」
「えっ、はい、でもあの、えーと」
少しの沈黙。
抱いた肩が、上着越しにも少し熱い。
「えーと……あの時、そうですね、とにかくびっくりしてたんですけど」
「ああ」
「アークさんがお部屋の中に飛び込んで行って……、そうしたら、男の人が倒れてて」
ひとつひとつ、思い出しながら辿々しく話す娘を見下ろす。
「そうだな」
「女の人が、もう一人の男の人に押さえられてて……でも暴れてましたよね。えーと、あ、そうだ、その時」
ふ、と娘が、頭ひとつ分ほど背の高いアークを見上げてきた。
「だめなやつだ、と思ったんです」
まるい大きな目。
髪色と同じ、深い焦げ茶色の瞳が、真っ直ぐにアークの目を射貫く。何の他意すら、感じさせずに。
「だめな……? なんだ、それは」
無防備過ぎて、逆にアークは、それが恐ろしい。
「間違ったやつだ、って。あれ、何でだろう。だけど思ったんです、これはだめなやつだから、間違ってるから、何とかしなきゃって」
「……………」
間違っている?
「何でそう思ったのかな……。ていうか、何が駄目だったんだろう。何でしょうね?」
「俺に聞くな」
「ですよね。うーん、解らないです」
「……そうか」
けれどおそらく、それがあの光の暴発、その切欠に他ならないのだ。
(……間違っている?)
或いは、自分が使った神性とは真逆の、魔の力が関係しているのだろうか。いや、しかしそれなら、蝙蝠へと化けた時点でこの娘はあの光を発していたはずだった。
(それなら、)
あの光を引き出した「間違った」何か、とは、いったい何だったのか。それがこの嫌な気配、不快な何かと同じだというのなら、これはいったい何が原因で、どこから来ている?―――
「……アークさん?」
考えに沈み込みかけたアークを、娘の声が呼び戻した。ハ、と我に返る。
「……いや、何でもない」
今はまだ、この娘に何もかもを話したとしても意味がない。まだ自覚さえないのだから、話したところで何も出来ないのだから。
「ああ、そこの店に入る。お前、服の好みはどんなだ?」
イースト・ストリートを縦断しながら、アルファベット・シティを北上する。
端の端、アベニューAの終わりまで案内がてらのんびりと歩いた。十四ループのほぼ正面だ。
そこに、この辺りでは大きなほうと言えるデパートが建っている。
ここなら、比較的安価な日用の衣料品から高級なものまで、取り敢えず一通りは揃うはずだ。
「どんな、っていうと」
「色々あるだろう。カジュアルだの何だの」
「……よく解らないです。その、自分の服を選ぶことが、あまりなかったので。なるべく下の子に譲りやすい服というか、誰が着ても無難な服ばかり……」
教授……いや、牧師。
お前いったい何をやってるんだ。いくら何でも、これで良いはずがないだろう。
「じゃあ、このまま行くぞ。店員と相談してでも、自分の気に入ったものでもいい。遠慮しないで……じゃないな、俺がいいと言うまで選んで、買え」
「えええええ!?」
「でなけりゃお前、シャツを一枚か二枚買って充分だと終わらせるだろうが。読めてんだよ」
ぎく、と抱いた肩が強張った。図星か。
「全っ然足りねえからな! 持ち帰れなきゃ運ばせりゃいいんだ、とにかく買え!!」
「無茶言わないで下さい! そんなお金なんて」
「俺が払うに決まってんだろうがアホか! お前この期に及んで、手持ちの金で支払うつもりだったのか!? バカか!」
「ば、バカってあなたねえ! さすがにそれはないんじゃないですか!!」
「おーおーいくらでも言ってやる。バカだろお前。どこまで意地を張るつもりだよムダなんだよ阿呆が!!」
「~~~っいくらなんでも失礼です!!」
目立つ赤と黒の看板、その真下まで進む。綺麗に磨かれた曇りひとつないガラスのドアを押し開けて、店の中へ入る。
それでも、二人の言い合いはやまなかった。
これまで遠慮して、常におずおずとしていた娘が、肩を怒らせて言い返してくる。
その様子を、アークは明らかに面白がっていた。
これはこれで、悪くない。怯えるように縮こまっているよりも、ずっと。
―――面白いじゃないか。
「ほら選べよ。ああ、趣味が悪いものは却下するからな」
「どうしろって言うんですか! 選んだ事なんてないって言ってるのに!!」
「初体験じゃねえか、良かったな」
「そういうことじゃありませんーっ!!」
黒く縁取られた鉄枠がぱたん、と重なって、二人を飲み込んだ店のドアが閉じた。
―――二人の口論がどこまで続いたのかは、もう外からは、解らない。
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