道中




 私と一緒に来てください。

 銀狼が多枝にそう申し出た瞬間、父親は滂沱の涙を流し、感激とヤキモチが入り混じる涙はようやく腫れが引いた顔を通って床へと落ちて行ったが、残念ながら父親の考えるような意味はなかったのであった。




 苔の在処を知る人間、ゼンバッテンを腹に入れて得た情報を伝えるので記録すること。

 呪いの影響か資質か。ゼンバッテンは吸収しきれずに第二の狼格として銀狼の身体を動かすことができそうので、情報を一つ得るたびに吐き出させてほしい。

 死ぬまでとは言わない。

 ゼンバッテンが素直に情報を吐き出すか、ゼンバッテンに対して免疫ができるまでの期間限定の申し出。




「苔やならば苔の在処を知っている方がお得でしょう」

「行きます」


 銀狼がゼンバッテンを一度腹に入れてから五日後。

 苔やにて。


 銀狼に言われた多枝に否やはなかった。

 銀狼がゼンバッテンを食べたおかげで父親にかけられた呪いは解けて、新しく馴染みの客にもらった苔は枯れることなく店先で元気に愛らしく咲いているが、多枝の望みは苔やを全国各地に出店、その地方独自の苔を販売することなのだ。

 苔の咲いている場所は一つでも多く知っておきたい。


「父さんは残って枯死した苔のお世話をしながら加工物を売っているから、多枝ちゃんには苔の情報収集をお願いするよ」

「父さん」


 多枝は胸がいっぱいになった。

 絶対についていくと縋りついてくると思っていたのにそんなことは皆無で。

 枯死した苔が再生すると信じて残って世話をすると言ってくれた父親を尊敬できると思った。


「父さん。私、頑張る。銀狼についていく必要がなくなったって、一人で旅をして苔について情報を集める」

「ごめんよ。僕が知っている所は全部枯死しているか、根こそぎ取られているかのどっちかだから」

「ううん。いいの。ありがとう、父さん。何もなくても手紙は送るから」

「うん。待っているから」


(早く帰って来てほしい)


 喉元まで出かかったお願いを寸での処で押し戻した父親。これ以上見ていたらみっともない処を曝け出しそうだと視線を多枝から、簀巻きにされて銀狼に片腕で抱えられているゼンバッテンへと移して距離を縮めては、慎重に口を開いた。

 視線は合わないが、言葉を聞いてくれていると信じている。


「僕は苔を愛していますが、あなたは嫌悪すべき対象なんですね。残念ですが、その感情を覆してくれなんて言えません。僕だって嫌悪しろって言われても受け入れられませんし。断固拒否しますし。ただ。お願いします。僕に。娘に呪いはかけないでください。どうか、苔に対しては攻撃ではなく素通りを。心中で。心通わせる相手に罵詈雑言を浴びせることでどうか。気を静めてもらいたいのです」


(本当は心通わせる相手から同意の言葉も渡してもらったならそれだけでも少しは心が晴れるのだろうけれど)


 思ったが言わなかった父親への返事はない。けれど否定も罵詈雑言もなかった。


「どうか銀狼さんと娘をお願いします」


 深く頭を下げる父親に、そんなことしなくたっていいのにと憤った多枝であったが、口を挟みはしなかった。






「恐らくもうゼンバッテンは呪いをかけられませんので安心してください」

「よくわかりますね」


 少年になったからか、不老不死になったばかりだからか、その他の影響か。

 眠ってしまったゼンバッテンに視線を向けていた父親は銀狼に言った。


「一度腹に入れたからでしょうか。感覚的にわかるんですよ。少しですけど」

「そうですか」


 店と繋がっている二階の自室で早速旅支度をしている娘の気配を背後で感じながら、父親はひたと銀狼に目を合わせてのち、深々と頭を下げた。


「呪いを解いてくださってありがとうございます」

「いいえ。偶然ですから頭を上げてください」

「いえ。もう一つ。娘をお願いします。暴力娘だと思わないでください。ほっぽっても平気だと思わないでください。必要でなくなったら、あなたが必ずこの苔やまで連れて帰って来て下さい。それまでは絶対に娘を護ってください。どうかお願いします」


(子を護る親、か。いい気迫だ)


 目を細めた銀狼は頭を上げてくださいと言った。


「約束しますよ。必要なくなるまでは私が護ります」


 父親はやおら頭を上げて、ありがとうございますと柔和に笑った。


(あわよくば多枝ちゃんと銀狼さんの仲がなんやかんやあって、僕も銀狼さんにいつでも会える関係になればいいなんて、全然。いいえ、少しは思っていますが何か?)






「じゃあ、父さん。行ってきます!」

「行ってらっしゃい」


 少し涙声になったのはゆるしてほしい。

 これでも我慢に我慢を重ねているのだ。

 父親は緑のハンカチを振って多枝と銀狼を見送っていたのだが、不意にぽつりと伝えられた言葉に目を丸くして、ついで、へにゃりと眉を下げた。


「あなたから与えられた呪いは本当に僕を苦しめました。ゆるす気はありません。けれど。けれど、未来はどうなるかわかりませんから」


 すでに姿が見えなくなって呟いた気持ちで。

 父親は深々と頭を下げたのであった。











「さてと。じゃあまずは、ゼンバッテン地方の最東端ティアティアキュゥウに行きましょうか」

「はい」

「………(睡眠中)」




 こうして一匹旅だった苔探し道中に、苔やの娘である多枝と不老不死の存在になったゼンバッテンが加わるのであった。







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苔生す狼 藤泉都理 @fujitori

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