いざ出発、精霊界へ
ハクの儀式の後、両親は私とハクとみかを連れて神社に併設されている会議室へと通した。
私のこれからの事を決めるためだ。
精霊界に行くと決めたはいいが、学校だってあるし今すぐにとはいかないだろう。どれだけの間この神社を離れることになるのかも分からないためいろいろな準備もしておきたい。
「さて、俺的には紡ちゃんにはすぐにでも精霊界に行ってほしいと思ってるんだけど、君はどう思う?」
どう、と言われても、急な話ということもありすぐに決断することは難しい。行くとしても卒業してからと考えていた。
「学校があるので、卒業してからの方が嬉しいんですけど。急ぐ必要があるんですか?」
「うーん、特段急いでるってわけではないけど早く移ればそれだけ力の制御ができるようになるし、ここで暮らすよりも妖たちから狙われることも減るかな」
「それでも、紡にはちゃんと中学を出て教養を身に積ませたいと私たちは考えているんです。それが紡のためになるはずだから。……御影さん、卒業するまでは待っていただけませんか?この子も気持ちの整理だってついていないだろうに、知らない世界に飛び込ませるのは気が引けます」
切実に願うように、お母さんが口を開く。どこまでも私のことを考えてくれていることを実感して心が暖かくなった。
正直言うと学校に行っても楽しいことはないし、私がいなくなっても悲しむ人はいない。そのうえ高校進学を考えているわけでもないからすぐに精霊界へ行っても問題はない。だがそれはあくまで学校のことであって、この神社にいる精霊たちと離れることが惜しいと思ってしまう。だからせめて卒業まで待ってほしいと思っていたのだが。
「早く精霊界に行けばそれだけ制御できるようになるって、本当ですか」
「紡?」
私の言葉を聞いてみか以外の三人はなんとも言えない顔をしていた。
「私ははやく力をコントロールできるようになりたい、誰かを守れるようになりたい。それが今一番優先するべきことだと思っています。精霊界にすぐ行くことで少しでも早く制御ができるようになるなら、卒業まで待たなくてもいいです」
みかの目を真っ直ぐ見つめて言い切ると彼はしっぽを揺らして瞳を細め、どこか嬉しそうな表情をした。
「その意気だよ紡ちゃん。でも、ずっと精霊界にいるわけじゃないからそこまで気負わなくていいよ。俺が考えているのは精霊界への移住に加えて現世との行き来の生活だから」
どういうことだろう。そんな疑問がみか以外の全員の顔に浮かんでいる。
「紡ちゃんは精霊界で暮らしながら現世の学校にも通ってもらいたいんだ」
◇
会議室から出るころには陽が傾いており、神社全体を橙色で染め上げられていた。
すぐに部屋に戻る気にはなれなかった。
「紡?部屋に戻らないのか?」
「……うん。……ねえ、藤棚に行かない?みかもどうですか?」
「紡ちゃんがそう言うならご一緒させてもらおうかな」
「別に貴様は来なくてもいいが…」
「まあまあ、そんなこと言わずに三人で行こうよ」
みかに対して冷たい態度のハクをなだめつつ、母に藤棚へ行くことを伝えたのち私たちはそろって歩き出した。
「この時間帯の藤ってすごく幻想的だね。昼間も綺麗で好きだけど、夕方はまた違った色で不思議な感じ……」
藤を見つめたまま何も言わなくなった私を心配してか、ハクが私の顔を覗き込んできた。
「紡、大丈夫か?やはり、さっき決まったことに対して何か思うことがあるのではないのか?」
会議室での会話を思い出して私は苦笑を漏らした。思うことがあるというわけではない。ただ、自分が思っていた人生とはだいぶ違う道を辿りそうだと考えていただけだ。
話し合いの結果、私は一週間後に精霊界へと行くことになった。しかし、精霊界から中学に通うことになったし、卒業してからも高校へ通うことになったのだ。
「精霊界と現世の行き来をする生活の中で勉強や修行もこなすなど、紡への負担は大きい。あまりしんどい思いはしてほしくないのだが……」
「ハク、主人を想うのはいいことだけどこれも必要なことって説明しただろう?精霊界に住むのは長く精霊と触れ合い力を制御するため、玉依姫がどういう存在か知るため。現世の高校に通うのは妖について知るため、玉依姫の力を実践で使えるようにするため。確かに負担はかかるかもしれないけど、昼間は現世で夜の少しの時間を力の制御にあてるっていうのが一番いいんだよ」
ハクに言い聞かせるようにみかは言葉を紡いだ。それはゆっくり穏やかに風に乗るように私の耳にも届いた。
そう、負担がかかるのは承知の上で私は決めた。自分で、決めたんだ。
「ハク、心配してくれてありがとう。ハクは言ってくれたよね、『どこにでも行ける。外の世界へ目を向けてほしい』って。だから、私は外に行くって決めた。多少しんどくても、自分でやりたいって思ったんだよ。だから見守っていてくれる?」
私のことを想ってくれる人がいる。それだけでとても安心できるし、頑張ろうと思える。
私の気持ちが届くように、しっかりとハクの目を見つめる。
彼の瞳には心配の色が見えるが、しばらくしてから息をついた。
「そうか。ならば私は紡のサポートをしっかりやろう。少しでも手助けがしたい」
「ありがとう!ハクがサポートなんてすっごい心強いよ」
「あのー?俺もちゃんと手伝いするよー?主に紡ちゃんを手伝えって指示もらってるから俺も一緒に精霊界行くし。俺のことも頼ってね?」
みかのこの言葉にハクは不服なようだ。何も言わないが目が笑ってないうえに睨み合っている。
出会い方のせいか、ハクはみかが気に入らないらしい。もっと仲良くしてほしいものだけど。
「ほらほら、そんな睨み合わないの。だいぶ陽も落ちて来たし部屋に戻ろう?」
二人はおとなしく私の後ろをついてくるが、やはり雰囲気が悪い。
こんな調子で本当に大丈夫なのか、心配になってしまう。
精霊界に行くにあたって必要なもの、それはハクの儀式でも使われた古びた神楽鈴だけだ。あとは着替えなどの日用品を少し。引っ越しだというのに持ち物が少ないので小旅行のようだ。おかげでバタバタすることなく神社にいる精霊たち、巫女のみなさんに挨拶ができた。
精霊界へ行く日、私はまたあの夢を見ていた。
『紡……。決断したのですね……』
『はい……。ちゃんと、自分で決めました』
懐かしく、暖かい、優しい声。いつまでも漂っていたいくらい心地のいい場所。いままで声しか聞こえなかったのに、今日は違った。目の前に背の高く中性的な顔立ちをした人が立っていた。
『あなたは、誰ですか?どうして私の夢に?』
『私は
宇迦之御霊大神、それはみかの主人でもある神様の名だ。神社の祭神にまで心配されるだなんて、なんとも情けない話だ。
だがそれも今日で終わり。私は変わりたいんだ。
守られる側ではなく、誰かを守る側になりたい。私のせいで誰かが傷つく姿を見たくない。
『心配してくれて、ありがとうございます。精霊界でいろんなことを学んで、自分の力を制御できるよう努力します。神様、こんな私ですが、見ていてくださいますか?』
『もちろんです。あなたは白木神社の娘、私の子供も同然です。私が直接何かをすることは出来ませんが、あなたには精霊たちがいます。みかもあなたについて行くよう、最優先の任は紡のサポートだと伝えてあります。みな、あなたのために動いてくれるでしょう。ですからあなたは自分の道を真っ直ぐお行きなさい』
祭神様の姿が薄れていくとともに、声も次第に遠のいていった。何もない世界がふいに歪み、気づけば見慣れた天井があった。
知らない世界へ行くことはやはり怖い。けれど、私は一人ではない。そばで支えてくれる友人がいる。だからきっと大丈夫だ。
そんな思いで起き上がり、着替えを済ませて荷物をもって部屋をでる。
人目に付くといけないので、精霊界へは神社の裏から行くらしい。
既に両親や巫女さん、陰陽師の方々、精霊たちと、多くの人が集まっていた。
「つむ、元気でね」
「うん、サクラもね。一緒に行けないのが残念だよ」
サクラは神社の御神木だ。そのためこの場所から離れることができない。一番の仲良しで、昔から家族のように過ごしてきた少女と離れるのはとても寂しい。
思わずうつむいてしまった私の顔をサクラは両手で持ち上げた。
「こら、下向かない。別にずっと会えないわけじゃないんだから。つむは前を向かないと。でしょ?」
少し悪戯っ子のような顔で私に笑顔を向ける。
そうだ。私は住居こそ精霊界になるがこちらの学校には通い続けることになっている。以前のように遊んだり話をしたりすることはできないが、会えないわけではない。
あまり悲観的になってはいけないと、私はつむに笑顔を向けた。今日は作り物ではなく、心から笑顔になれている気がする。
私の笑顔でつむも嬉しそうに笑い返してくれた。
「紡」
名前を呼ばれ振り向くと母は眉が下がってはいるが微笑んで、父は眉間にしわを寄せていた。
私の精霊界行きを来年にするべきだと最後まで反対していたのは両親だ。当然快く送り出してくれるわけがない。それでも見送りに来てくれるだけ優しいのだと思う。
「ずっと反対していたのに、言うこと聞かずに決めて、ごめんなさい。でも、私は精霊界で頑張りたい、早く力を扱えるようになりたいの。だから……」
「紡、あなたの気持ちは分かっているわ。それに、こうなったのは紡を隠すばかりで何も教えてこなかった私たちの責任でもあるもの。だから止めはしないわ」
「止めはしないが、やはり心配な気持ちが消える訳じゃない。だからどうか、無理だけはしないでほしい」
心配されているのはわかっていたが、こんなにも想ってもらえていたなんて、驚きと嬉しさでぐちゃぐちゃだ。
「……うん。ちゃんとご飯食べて、睡眠もとって、たまにはここにも顔出すね」
その言葉で両親は少し顔を緩ませた。
「さあ、そろそろ行くよ。紡ちゃん、ハク、準備はいい?」
「大丈夫です」
「ああ」
みかの呼びかけに私とハクは同時に答え、みかも頷く。
いよいよ、決して交わることのない精霊界への道が繋がれる。
「我、神に仕えし白狐、御影。その名をもって精霊界との扉を繋げ」
短い詠唱の後、静かに髪を揺らしていた風が止み、無音が訪れ、しばしの静寂を生暖かい風が断ち切った。
みかを中心に風が巻き起こり、私たちの前に大きく繊細な意匠の扉が現れたのだ。
「これが、精霊界の扉……」
誰も扉に触れていないというのに勝手に開いていく。
扉の中には景色が広がっているのではなく、ただ薄桃色の光と煙に覆われていた。
この先に何が待っているのか、いったいどんな世界が広がっているのか、まったく見当がつかない。
それでも私は決めたのだ。知らない世界だろうとなんだろうと、自分の力でみんなを助けたい。そのために頑張ると。
「お父さん、お母さん。他の皆さんも、行ってきます!」
暖かな声に包まれながら私たちは扉の中へ潜った。
まだ見ぬ景色を求めて。
狐持ちの玉依姫 星海ちあき @suono_di_stella
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