ふりがな本文+自句自解

五七五の型にすっかり魅了され、次はどこに作品を出そうかと考えていたところ円錐新鋭作品賞について教わりました。過去の受賞作や選評を拝読するかぎり、挑戦的な作風を受け入れる懐の広い賞のもよう。

ただ花鳥風月を描いただけでは絶対に先輩たちにかないません。詳しいこと得意なことで勝負する必要がありました。じゃあこの街を詠んでみよう。筑波研究学園都市。国家プロジェクトで成立した、研究所の密集する地方都市です。できて百年も経っていない新しい都市。挑戦の都市です。円錐新鋭と相性がよいのでは?

ということで、たくさんの研究所を見学した経験と科学愛・郷土愛から攻めてみることにしました。


雛流ひななが女装拡張身体論じょそうかくちょうしんたいろん

季語:雛流し 仲春

モデル:筑波大学

いきなりこれかよという感じですね。

かつて筑波大学に女装研究に秀でた哲学生がいました。一文で混乱させてすみません。マジでいたんです。男の身ながら学祭ミスコンで圧勝し、その後もご専門の他に女装研究者として活躍していました。女装した被験者のつけ胸を揉み、拡張身体つまり「自分の体として」びっくりするかをみたりとか。

VRの台頭で女装はよりカジュアルな営みになりました。男の身ながら女の体に何かを預ける人たちへ思いを馳せて作った句です。



あかかいこまつ遺伝学いでんがく

季語:蚕 晩春

モデル:農業・食品産業技術総合研究機構

今はもっとよい子がいるのかもしれませんが、私の学生時代、赤い目の蚕は遺伝子を操作する研究に必須でした。遺伝子組み換えなどの実験の時、研究したい遺伝子と一緒に目を蛍光させる遺伝子を導入し、ちゃんと遺伝子を受け継いだか確認する手段にしていたのです。ブラックライトなどを当てて、目が光った子だけを選別して実験に使います。そのとき黒い目だと光ったかどうか非常に見づらく、赤い目の血筋の蚕が必要でした。

遺伝子操作を学んだ者にとっては当たり前のパートナー。しかし赤い目の蚕を大事に育てているのは、知らない人にとっては異様に見えるのではないか。そう思ってそのまま俳句にしてみました。



鈴緒すずお春暁はるあかつき白金耳はっきんじ

季語:春暁 三春

モデル:理化学研究所筑波事業所 BSL4実験室

細菌やウイルスを使った実験には危険がともないます。特に精密な操作が要求され、その緊張感と清浄は宗教儀式じみています。BSL4(かつてのP4)というめちゃくちゃ微生物に強い実験室が日本には二つだけあり、そのひとつが筑波にあったりします。それをモデルに最初は「風花を許さぬ鳥居レベル4」という句でしたが、意味わからなすぎて添削の結果、これになった気がします(うろおぼえ)

菌を培地に移植するには白金耳という道具を使います。まずバーナーで炙って滅菌するのですが、その際確実に雑菌を殺せるよう、暁色に光るまでしっかり熱します。そして目的の菌をすくって、寒天培地にまんべんなくこすりつけます。それが鈴緒、神社にある鈴がついた紐を振るあの仕草に似てるなと思いました。培地に植えたらあとは祈るしかないですしね。



源氏物語げんじものがたり400℃よんひゃくどしー開花説かいかせつ

季語:花 晩春

円錐新鋭俳句賞で山田さまが素晴らしい選評を寄せてくださいました。私から申し上げることはありません。

http://ooburoshiki.com/haikuensui/2021/05/01/%e7%ac%ac%e4%ba%94%e5%9b%9e%e5%86%86%e9%8c%90%e6%96%b0%e9%8b%ad%e4%bd%9c%e5%93%81%e8%b3%9e%e3%80%80%e5%b1%b1%e7%94%b0%e8%80%95%e5%8f%b8%e3%80%80%e9%81%b8%e8%a9%95/



くもるや筆龍胆ふでりんどう雨量計うりょうけい

季語:筆龍胆 晩春

モデル:気象庁気象研究所

気象研究所の敷地もつくばらしさ溢れる場所です。がらんとした広場に空を向いた計器が点在し、足元の芝生にはフデリンドウが真上向きの可憐な青い花を咲かせています。その情景をそのまま詠んだ句です。

しかし気象研究者さんは空にしか興味がないので、上を見ながら思いっきり花を踏んで歩いていて笑ってしまいました。隣の環境研究所では自生するフデリンドウの写真をポストカードにして配っていたのに。ところ変われば、ですね。



花榊はなさかき解剖刀かいぼうとうゆる

季語:花榊 初夏

モデル:筑波大学

筑波大学は法医学の強いところでした。ご遺体を搬送する警察車両を何度もみかけました。道路一本挟んだところには剖検センターもありました。

解剖をする部屋と道具はきんきんに冷やされています。ご遺体をいためないようにするためです。たとえ学問でも仕事でも、目の前のかたが生きてきたことを忘れぬようにと教わります。黙祷もします。そこは学問と宗教がともに濃く共存する部屋です。

榊は境木とも表記され、神の世界と人の世界の境目の木という意味を与えられることもあります。あの日触れた解剖刀の冷たさとひかり、生きる者と死した者を繋ぐはたらきはどこか花榊に似ていました。



高高度気球こうこうどききゅうさよなら白襲しらがさね

季語:白襲 初夏

モデル:気象庁気象研究所

高高度気球、文字通りとても高いところまで行く気球です。観測器が結びつけられ、人が行けない場所のデータを取るために放たれます。それ以上高く行けない場所に届くと破裂し、帰ってくることはありません。

気象研究所の一般公開で高高度気球の放流を見学したことがあります。熱を吸って中のヘリウムが膨張せぬよう、気球は純白です。作業する研究者さんたちのつなぎの白、気球の格納庫の白、それらが初夏の光をうけてとても眩しかった。そんな思い出を詠んだ俳句です。



ぜんゲノム解析かいせききりはな

季語:桐の花 初夏

モデル:筑波大学

GWASという解析手法があります。ゲノムワイド関連解析。すごい量の遺伝情報をめっちゃ細かく読んでいくので、冗談みたいに難しいし嘘みたいに時間がかかります。私の学生時代、GWASの機器を持つ機関も扱える研究者もまだ少なく、大学にはそれらが揃っていました。GWASに限らず遺伝子系は何をやるにもめちゃくちゃ手間と時間がかかる時代だったな……今は多少マシになったのでしょうか……。

筑波大学の校章は桐の花。天皇家も使う、高貴たる者の証です。桐の紋を背負い、究極の個人情報である遺伝情報を読み解いていく。学問をするのは、犯してはいけないものの内側にいるような不思議な日々でした。



真空しんくう鳴神なるかみ太郎冠者たろうかじゃ

季語:鳴神(雷) 三夏

モデル:気象庁気象研究所

太郎冠者は狂言用語で、執事のセバスチャンみたいなノリです。ご主人に無茶な命令をされて困っていることが多いです。宇宙に飛ばした人工衛星が忠実に気象データを集める「おつかい」をする様が、雷神に挑む召使いっぽいなと思って作りました。『鳴神』自体は歌舞伎の演目で、困難な遣いをするのは美女ですが……。



刃針はばりから金魚きんぎょまるる手水鉢ちょうずばち

季語:金魚 三夏 

刃針はランセットとも言い、ランセットは大手医学学術誌の名前でもあります。

いつのことかは忘れました。血に染まったランセットを消毒液のバットにつけたとき、ふわり、血が尾を引きながら舞い上がって「金魚だ」と思いました。

ランセットから医学的な成果が生まれるのを抽象化した句です。



朝露あさつゆもり観測器かんそくきまい

季語:朝露 三秋

モデル:国立環境研究所

森林や動植物が研究対象の人は、森の中に観測器を設置し、朝早くから夜遅くまで何度も数値を見に行ったりします。それが御百度参りに似てるなと思って作った句です。お外系研究者、めちゃくちゃ体力がある。既成の観測器であればSDカードへの保存や無線通信に対応しているものもありますが、細かいニーズにあわず観測器を自作する研究者も多く、そうなると保存や通信までは手が回らなかったり。



つき祝詞のりとうなりて計算機けいさんき

季語:月 三秋 

モデル:高エネルギー加速器研究機構

少し前に「スパコンの排熱で暖をとる猫」がネットニュースに載っていましたが、猫に限らず市内の人間もスーパーコンピュータとの距離感がおかしい傾向にあります。だって探せばあるんだもん。

ムーンショット型研究開発制度というものがあり「身体、脳、空間、時間の制約から解放」「自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現」といった、まさに月を射るような難題への挑戦者を募集しています。本作はスパコンでムーンショット研究をするという情景を俳句にしたものです。スパコンが轟音を立ててプログラムを実行する様は、どこか祝詞に似ています。



はりしてひか秋繭あきまゆつくらせる

季語:秋繭 三秋

モデル:農業・食品産業技術総合研究機構

秋の繭、秋の絹は一般的にできが悪いとされています。でも温度の調節された実験用蚕の飼育室ではあまり関係がありません。蛍光タンパク質を吐くよう遺伝子を操作すれば、秋でもブラックライトに美しく輝く貴重な絹糸ができます。季語が本来持つ風情との衝突が面白いかなと思って作りました。遺伝子組み換えの際は、本当に卵に針を刺すこともあります。



最新さいしんふみみたし鵙日和もずびより

季語:鵙 三秋

実験が嫌いで、論文を読んでいる方が好きでした。鵙日和は秋らしく空気の澄んだ晴れの日を言います。そんな日にブラインド締め切ってちまちまちまちまやるの私は……無理……。短編論文の形式の一つにLetterというものがあり、文はそれのことです。この連作の中になければ、新作の本かなにかを待ちわびている句ですね。



陽電子ようでんし大加速器だいかそくき神楽舞かぐらまい

季語:神楽 仲冬

モデル:高エネルギー加速器研究機構

ここで言う加速器は、微小な粒子をものすごい早さに加速させたあげく衝突させて破壊し、もっと細かい粒子の謎を探るための装置です。つくばのものは外周3kmくらいあるそうです。地面に埋まっているので一般公開の日くらいしかお目にかかれません。見ても危なくない場所の一部なので何が何やら。

最初は「神楽舞大加速器の技術員」という色気のない句でした。何が何やらわからないけれどテキパキ修理する技術者の姿が神への奉納舞に見えたからです。



室咲むろざき聖典せいてん百花ひゃっかかな

季語:室咲 三冬

モデル:国立科学博物館筑波実験植物園

国立科学博物館は東京上野のものが有名ですが、つくばにも分館があります。多種多様な植物が植えられ、生きた図鑑として管理されています。室咲は温室で咲いた花のことで、実験植物園にも大きな温室がいくつもあり、そこはつくばの気候では育たないより貴重な植物の宝庫です。大事に匿われている情報の宝庫、という性質が聖典に似てるなと思いました。



祓串はらえぐしつめたきおと攪拌子かくはんし

季語:冷たし 三冬

スターラーという道具があります。攪拌子はそのパーツです。薬品などを混ぜる道具なのですが、説明が難しいので画像を検索してみてください。飲み物を混ぜる一般人用にオシャレなものが売られていることもあるようです。

祓串も説明が難しいですね。お祓いのときにバサバサやっているアレです。

どちらとも儀式の下準備をする音が特徴的な道具……ということで衝突させてみました。



神苑しんえん有意差ゆういさはか寒牡丹かんぼたん

季語:寒牡丹 三冬

モデル:国立科学博物館筑波実験植物園

もとは「神苑の菊や有意差どうですか」でした。「有意差がある」とは「偶然じゃ済まされないくらい差があるよ」という意味で、ちゃんと計算する方法もあります。Aの方が元気になったからAの薬の方が効くとはいきません。計算すると有意差がなかったりします。実験失敗です。

「有意差どうですか、ほど怖い言葉もないですよね」と先生に言ったら「普通はそんなことないですね」とバッサリ切られ紆余曲折のすえだいぶオシャレになりました。

植物園や神社ではコンテストで成績を残したお花が展示されることもあります。菊や牡丹のコンテストもよく見かけます。しかし素人目にはさっぱり違いがわからない。あの困惑を「有意差どうですか」の気持ちに乗せて詠んでみました。



分御霊わけみたまシャーレにはこきんえて

季語:冴ゆ 三冬

分御霊は神社の支部を作る際、ご神体の一部を分けることをさすそうです。検体の一部をシャーレという道具の上で培養する様は、まさに分御霊だなと思って作りました。

細菌を扱うときは、クリーンベンチという専用の作業スペースに手を入れてするか、ガスバーナーの上昇気流で雑菌を蹴散らしながらなので、特に寒くはありません。でも危険だったり貴重だったりする検体を慎重に開封し、少し採るその瞬間は冴え冴えと集中しています。



注連縄しめなわ褐色瓶かっしょくびんづるどく

季語:注連縄 新年

薬品をしまう瓶もいろいろありますが、太陽光に弱い物を入れる瓶は褐色をしています。わざわざそんな瓶に入れるようなものは大抵人間に毒です。使ったあとはしっかり蓋を閉め、情報ラベルを鮮明に保ち、薬品棚に安置してしっかり鍵もかける……そんな世界は神社の結界の向こうに似ています。薬品倉庫を閉めるチェーンもどこか注連縄に見えてきます。




アイディア一辺倒で始まった連作を、受賞レベルまであげてくれたのは先生の添削指導です。「軽やかステップだけが取り柄の女」から「舞踏会へいけるレディ」くらいまで育ててくれました。改めて先生への感謝をささげ、自句自解を閉じたいと思います。


追記:星野いのり先生、コンビニデビューおめでとうございました。文芸春秋8月号にこの俳句を添削した先生の作品が載っています。今(2021年8月現在)も原稿依頼を抱えているようで、生徒として今後の活躍が楽しみでなりません。まだ二十台前半、年若き師匠の天下取りを是非皆さんも目撃してください。

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筑波研究学園都市 千住 @Senju

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