2230年度EU食糧支援協定 5
10.
2229年9月1日(月) PM20:00(ベルギー時間)
その後も終始他愛もない世間話と情報交換で今回の会食は終了した。
レストランを出て、迎えに来た車に乗り込む。
モーター駆動で静かにレストランを後にすると同時に疲れがどっと噴き出してきた。
「お疲れさま、なかなかサマになっていたわよ。」
「本当にたまんない…食糧問題を協議しながらガンガン食べ残していくなんて、何の冗談かと思った。」
「それでカーター氏の印象は?」
「少なくとも下半身と脳みそはちゃんと分離している。分離していない方がこちらとしてはやりやすかったんだけど…それとノブレスオブリージュだっけ?本人としてはその責務を果たしているつもりなんだろうけど…小市民の私にはわからない感覚。」
「小市民たる我々でもこの国のノブレスオブリージュな方々と同じような暮らしができているのよ、少なくとも今のところは。」
「そうだね…」
11.
2229年9月2日(火) AM9:00(ベルギー時間)
今日から正式な会談が始まる。
私は会談に挑むためブラウスに袖を通し、スーツを着る。
とはいえ、今日からやる事は既に決まったことに対して互いに了承しあうだけだ。
本当の交渉は昨日のうちに終わっている。
私の後ろには管理者がいてその膨大な情報ソースを用いて適切な答えを教えてくれる。
しかし彼らは個々の意思でそれを判断している。
もし両者があの場で個々に判断してそれが世界を動かす事になっていたら…
日本という国がAIによって統括される以前の時代を思い出し、少しゾッとする。
車は既にホテルの前に到着済みだ。
あとは事務的に仕事をこなすだけ。
私はそう自分に言い聞かせて会談に臨むため、部屋を後にした。
12.
2229年9月3日(水) AM11:00(ベルギー時間)
EU本部内の調印式開場には現地プレスが大量に押し寄せている。
今回の会談が円満に終わった事を証明するための調印式と、EU国内で常温核融合炉の建設が決定した事を発表するためだ。
すくなくともこれでEUは前年度と変わらない食糧供給とエネルギー問題の改善の目途が立ったことをアピールできる。
日本国としては今までEUに支援してきた食糧リソースを3割削減、これを国民へ回すことで、急激に増加した人口に対して起こりうる食糧不足を回避できた。
私としては明らかにEU側に有利な協定に思えてならないが、そこは私が口を出すべきことではない、日本政府の名代として決まった協定にサインするだけだ。
13.
2229年9月3日(水) PM1:00(ベルギー時間)
私達は昼食会もそこそこにEU本部を後にした。
私達は調印式の後、常温核融合炉の建設決定のサプライズ発表を行い、現地マスコミを大いに沸かせた。
具体的な時期やどの程度の規模か、これでEU国内のエネルギー事情は改善されるか等、様々な質問をされたが全て実質ノーコメントだ。
実際これからその詳細を詰めていくのだから答えようがない。
できるだけ早いうち、できるだけ大きな規模、おそらく解決されるでしょう、管理者が出した回答は見事に全てが中身があるようでない答えだ。
EU政府もこの段階では具体的な答えが出るわけがない事を理解しているので、口をはさむことはしなかった。
「そういや、AI個人情報管理条約3.0、全く話題にならなかったね。」
私が今更ながらそのことに気づく。
「EU初の常温核融合炉が建設されるんですもの、目先のパン…この場合は薪かしら?そっちの方が大事でしょ。」
「何かあると思ってこの車準備したのに結局何も起こらなかった。」
「そんなもんだ、しかし嬢ちゃんやっぱり親子だな、お前の親父さん、全く同じようなことを言っていたぞ。」
『管理者、そういえば聞くのを忘れていた。』
『なんのことでしょうか?ナツキ様。』
『常温核融合炉の見返り、いったい何をもらうつもりなの?ユーロなんて紙切れ今更ほしくはないでしょ?』
『ヨーロッパ諸国が持っている高級ブランド製品、工業製品、その他諸々のライセンス生産権を半永久的に買い取ります。ナツキ様ご存じですか?あなたの乗っているその車、万が一に備えて200年前に輸入された一台として登録されているのですよ?』
『ゲッ…そんなめんどくさいことしてたの?』
『念には念をです。ナツキ様。これで私達はヨーロッパ諸国のライセンス問題に割いていたリソースを別の事に回せるのです。空いたリソースは新たな技術開発に回すことができます。ですから決して損な取引ではなかったのですよ?』
『それともう一つ、確かに来年には大型フードプリンタと有機ナノマテリアル転換装置が送られて使える状態になるのだろうけど、常温核融合炉の方はそれまでには間に合わないでしょ?そっちはどうするの?』
『それはナツキ様、その問題は私達ではなくEU政府が考える事でございます。』
ベルギー国際空港からの出発予定時刻は15時ちょうどの予定、日本の到着時刻は明日の17時か…
私はインプラントを立ち上げ両親とハルにぃにメッセージを送る
『9月4日の17時に日本に帰ります。19時には実家に帰る予定です。』
すぐにメッセージが帰ってくる。母さんからだ。
『わかった、夕飯は食べずに待っている。だから早く帰ってくること。』
14.
2229年9月4日(木) PM5:40
私は家に帰るなり窮屈なスーツを脱ぎ捨て、Nラバーキャットスーツとスタジャンを着こむ。
替えの服とかは実家にも置いてあるから持っていく必要はない。
ペットキャリアーを準備しランに入るように促す。
実家はランにとっても第二の家だ。特にぐずる事もなくノソノソとキャリアーに入っていく。
助手席にランの入ったペットキャリアーを置き、私は約半月ぶりとなる実家へと向かうのだった。
15.
2229年9月4日(木) PM6:10
予定より早く着いたが、早く着く事には何も問題はない。
実家のガレージのシャッター前で車をいったん停めてシャッターを開ける。
私が帰ってきた時用に開けてある駐車スペースに自分の車を停める。
隣にはハルにぃのFD2 シビックタイプRが停まっている。
ハルにぃも既に到着して家で待っているようだ。
インプラントで今着いたことを報告して、正面玄関に回る。
玄関のドアを開けて靴を脱いだところで、ミクねぇが走ってきて、そのままの勢いで私の腰に抱き着いた。
「ナツキ、おかえり~!」
「ただいま、ミクねぇ。」
Lolandテクノロジー製ボディのミクねぇは相変わらず小さくてかわいい。
「お帰りナツキ。調印式の様子ニュースで見た。わが子の事ながら鼻が高い。」
母さんもやってきた。昨日の調印式を既にチェック済みらしい。
3人でリビングに入り、持ってきたペットキャリアーからランを出す。
ランはやれやれやっと着いたかといった感じでソファーに飛び乗ると、丸くなって眠り始めた。
私の足元には白猫のシロとサバトラのトムがやってきてあいさつ代わりに体を摺り寄せている。
まったく、ランも少しはこの子たちを見習ってほしいものだ。
「ナツキさん、お帰りなさい、ちょうどケーキを焼いていたんですよ。」
ハナさんがキッチンでケーキ作りで使った道具を洗いながら私に声をかける。
傍らにはできたばっかりの私の大好物、イチゴのショートケーキが置いてある。
「ケーキって、この前家に帰った時に私の誕生日祝いしたばっかりでしょ?」
「娘の初仕事が成功した祝いだよ、トップニュースになるぐらいだ。祝わない方がおかしい。」
親父がその疑問に対して答える。
「そういえばあの車役に立ったか?」
「ぜんぜん、親父のGT-Rや私のRX-7に比べたら乗り心地は良かったけど親父が予想していたドンパチ的なものは一切起こらなかったよ。それよかあの携帯ウォシュレットの方がよっぽど役にたった。」
「なぁ、その親父ってのやめてくれないか?前からパパと呼んでくれっていってるじゃないか。」
「やだよ、親父。」
「お帰りなさいナツキさん、お仕事の成功おめでとうございます。」
「ハルにぃもあの車作ってくれてありがと。それといつまでたっても私に敬語使うの治んないね。ハルにぃの方が年上なのにさ。」
「ナツキ、今日の晩御飯はブリしゃぶ、奮発して天然物を用意した。だから早く着替えてきて」
「わかった母さん、それじゃハルにぃも親父もまた後でね。」
私はクローゼットルームで着替えながら、今回の仕事について思い返す。
管理者は結局私が助けを求めた時を除いて何も言わなかった。
『管理者、ちょっといい?』
『どうしました?ナツキ様。』
『結局あの核融合炉の件を除いて何も口を出さなかったけどあれでよかったの?』
『問題がある時は事前に止めています。ナツキ様の判断が正しかったから何も言わなかっただけです。ナツキ様、私達は今回のあなたの仕事を高く評価します。』
『そう、ありがと。』
『いえ、どういたしまして。』
管理者との会話を終えクローゼットルームから出る。
「こんばんは~、あ、ナツキちゃんもう帰ってたんだ。」
「タマミさん、お久しぶりです。」
「いっても半月ちょっとだけどね。」
リビングからミクねぇのお腹すいたコールが聞こえてくる。
それを聞いて慌てたタマミさんは急いで着替えるべくクローゼットルームに入っていく。
その様子をみて私は笑いながらリビングに戻る。
広い世界を見たくて選んだ仕事だ。私はこの道を選んだことを後悔していない。
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