2230年度EU食糧支援協定 4

8.

2229年9月1日(月) PM2:00(ベルギー時間)


『ナツキ様そろそろ起きてください!』

私はインプラント越しに管理者にたたき起こされた。

時間は午後2時過ぎ、確かにこれ以上寝ると今日の夜が眠れなくなってしまう。

周辺を見るとマックスが隣のベッドで眠っている。今回はマックスが夜番なので今のうちに睡眠をとっているのだろう。

リビングに入るとジョウも管理者にたたき起こされたらしい。ソファーから身を起こし頭を掻いている。

私が脱ぎ捨てたスーツが回収されて、きちんとハンガーにかけられている。恐らくナオミさんがやってくれたのだろう。お礼を言っておかないと。

ナオミさんがトイレから出てきた。ちょうど排泄に行っていたようだ。

「ナオミさん、スーツ片づけていただいてありがとうございます。」

「いいのよ、気にしないで、私はこれから五時まで仮眠に入るから、外に出る用はないと思うけど、外出する時はジョウと一緒に行きなさいよ。」

さすがにこれぐらいは普通にしゃべっても問題ないだろう。事実管理者も何も注意しない。

洗面所に入り顔を洗う。少しお腹が空いたのでインプラントでルームサービスを呼ぼうとしたところで、ここでは使えないことに気が付いた。

(確か電話?をつかうんだっけ?)

私は講習通りに電話の受話器なる物をとり耳に当てる、マイク部分には携帯端末のスピーカーをあてる。

ホテルのフロントとつながった。私はルームサービスで軽食をお任せでお願いする。ただし生ものはNG、加熱したものだけをお願いする。

30分後、部屋のドアが叩かれる、対応は私でなくジョウが行う。

ジョウが金属で作られたトレイを持ってやってきた。お皿の上には焼かれたトースト、に卵ペースト、ミネストローネが載せられている。

あたしはジョウにも食べるかと聞いたがジョウは手を振っていらないと言い、鞄の中からエナジーバーを取り出しかじり始めた。

万が一私が食中毒やなんらかの身体的不調を引き起こした場合、EU側にその非を問えるが、一護衛に過ぎない彼らの場合、知らぬ存ぜぬで済まされる可能性が高い。

結果、私以外の3人はこちらで持ち込んだ食事以外をとる事は無い。さすがに飲料水まで持ち込むとあまりにもかさばりすぎるので飲料水は現地調達だ。それでも、全てスキャナーを通して安全が確認されたものしか飲むことはしない。

私は改めてここがアウェイであることを認識する。


9.

2229年9月1日(月) PM17:15(ベルギー時間)


私はカーター氏との会食に挑むため新しいブラウスに袖を通しスーツを着なおした。

ナオミさんもすでに起きて身支度を始めている。

私とナオミさんがカーター氏との会食に、ジョウは留守番だ。

ロビーに出たところで、ナオミさんがインプラントを使い車を呼ぶ、1分ほどで車はホテルの前に停車した。

街の人々が無人で走る車を見て目を白黒させている。

私とナオミさんは後部座席に座り、自動運転で指定されたレストランへ向かう。

レストランは思ったより近所で車で10分もしないところにあった。

時間は予定時刻より30分ほど早いがこの程度ならレストラン内で待たせてもらえるだろう。

私はレストランに入り、ウェイターにカーター氏との約束できたことを伝える。

私達は奥の個室に案内された。

カーター氏はまだ到着していないようだ。椅子に座りカーター氏が到着するのを待つ。

ナオミさんは私の後ろに立って待機している。

20分ほどしてカーター氏が私同様、ボディガードを連れて到着する。

いかにもといった感じの上流階級の人間だ。

体は程よく鍛えられており、わからっせ社のボディのような不格好な腹のでっぱりはない。

髪の量も多くきちんと整えられており、香水を振りかけているのだろう。嫌な体臭もしない。

態度も紳士的で第一印象は普通に好印象だ。

これで私が彼に日本でVR風俗の利用履歴があること、お相手にMOGspecialを指名していることを知っていなければ普通に紳士的な男性と見ていただろう。

『どうも初めまして、ミス・ナツキ、あなたのような若くて才能のある方とお会いできて光栄です。』

カーター氏は私にあいさつして握手を求める。

私も席を立ち握手に応じる。

『こちらこそ、お招きにあずかれて光栄です、ミスター・カーター』

カーター氏は私の声が口と胸ポケットに入れた携帯端末両方から出る様子にわざとらしく驚いたふりをする。

『いやはや、いつみても日本の技術は素晴らしいですな。もし世界全てでこの技術が普及したならば、人類の争いのほとんどはなくなるでしょう。』

『御冗談を、私はミスター・カーターがたびたび日本を訪れている知日派であると聞いています。この程度の技術で驚かれるなんて人が悪いですわ。』

私も少々芝居めいて相手に返答する。ようするにお前がこの技術を以前から知っているのはお見通しだ、白々しい言葉を吐くのはやめにしやがれ、といった暴言を、丁寧な言葉で返しているだけだ。

『いやはや、手厳しいですな、さぁどうぞ席に座ってください。』

カーター氏に促され私は再度席につく。

カーター氏はウェイターを呼び、料理を運ぶよう指示をする。

既に用意されていたのだろう、ほとんど間を置かずにオードブルが運ばれてくる。

毒が盛られているかのスキャンはしない。

これは私的な会合ではあるが半ば公の会合だ。

ここで無粋にスキャンなんてものをしたら舐められる。

『これはなかなか、素晴らしいものですね。』

『コースは始まったばかりです、どうぞ食べてみてください。』

カーター氏に促されフォアグラのパテを切り口に運ぶ。

天然物特有の肉のジューシーさが口に広がる。

『なるほど、これはおいしいですね。』

『そうでしょう、ミス・ナツキ、ところで先日日本政府よりいただいた来年度の食糧支援計画についてなのですが…』

きた、ここからが本題だ。

『ええ、何か問題でも?』

『そうです、やはり来年度より直ちに70%というのはやはり急すぎると思うのです。我々としてもこのままずっと日本の支援に頼り続けるのは問題だとは考えています。しかしこのような形で削減を申し込まれてもこまるのです。せめて5年ほどかけて段階的に下げていただくようにしていただけないと、我々もこの難局を乗り切るのは難しいでしょう。』

私は皿の上のパテを食べながら話を聞く。もし日本でこの天然物のフォアグラを食べようとしたら、どれだけのリソースポイントが必要になるであろうか?それ以前にフォアグラを生産しているかどうかすら怪しい。

そう思うと無性に腹が立つがこのフォアグラには罪はない、外交官の役得だと思ってありがたくいただいておこう。

『ええ、ミスター・カーター、あなたのいう事はよくわかります。おなじ人間同士、ここは手を取り合ってこの難局を乗り切るべきだと思います。』

私はこの罪なきフォアグラを平らげてから、あなたのいう事はごもっともといった風に返す。

『そうです、ミス・ナツキ、やはりあなたは聡明な方だ。そのためにもまずはこの協定を見直すべきだと思うのです。』

オードブルが下げられ、次の皿が来る。ポタージュスープだ。

あたしはゆっくりと落ち着いた動作で一口ポタージュスープを口に含む。

『しかし、ミスター・カーター、私達日本国政府は10年以上前からEUへの食糧支援は段階的に引き下げる旨を通告しております。』

『もちろん、それは承知の上です。だとしても最初から30%減はやりすぎだと思うのです。』

私は豪華な食事を食べながら、自国の食糧危機の深刻さを訴えるカーター氏が滑稽に見えてしょうがなかった。はたしてこのポタージュスープ一皿にどれほどの食糧資源が投入されているのだろうか?

『我々としても急に30%も下げるのはEU政府、ひいてはヨーロッパに住まう人たちを苦しめてしまう事になるでしょう、それは日本政府としては本意ではありません。』

『その通りです、ミス・ナツキ!私はそこをわかってほしかったのです。』

カーター氏は身を乗り出さんばかりに前のめりになる。まったく芝居のうまい御仁だ。

『そのため通達した通り、我々は今回、大型フードプリンタと、有機ナノマテリアル転化装置の貸与をすることを決定しております。これらを活用することで、EUの食糧資源を効率化、削減した分の穴埋めができると日本国政府では試算しております。』

『もちろんその点については、日本国政府のご厚意に感謝しております。しかしながら我々に不足しているのは食糧だけではないのです。その大型フードプリンタと有機ナノマテリアル転化装置、聞けば大量の電気を消費するというではないですか。我々はエネルギー事情もひっ迫しているのです。』

おっと、食糧問題でなくエネルギー問題のカードまで相手はきってきたぞ。

さすがに私一人では厳しい問題になってきた。

『管理者、さすがにエネルギー問題は想定していなかった。どう返答すればいい?』

『技術供与としてEUでの常温核融合炉の建設を許可します。』

『いいの?今の日本が技術的優位に立てている基幹技術の一つなのでは?』

『問題ありません、我々が今最も必要としているのは金を生む鶏に与える餌です。我々としてはその鶏が捌かれなければ何も問題ありません。』

ともかく管理者の決済が出た。私はそれに従うだけだ。

私が熟考しているふりをしながら管理者と相談している間にスープも下げられ新しい皿が来る。

キンメダイのポワレだ。惜しみなく天然の魚が使われ、付け合わせの野菜もいい部位だけが使われている。

私は微笑みながらキンメダイをナイフで一口大に切り、口に運ぶ。

『しかしこのキンメダイのポワレ、とてもおいしいですね。』

結論は出てるがあえてここはもったいぶる。相手が焦れるのを待つのだ。

二口、三口、静かにゆっくり味わうように…いや実際においしくて、じっくり味わっているのでこれは演技ではない。

『ミス・ナツキ、これは重要な問題なのです。』

カーター氏は何も答えない私にイラつき返答を促す。

しかしこれはうれしくないパターンだ、私としてはここは小娘扱いして罵倒してくれた方がこの席を終わらせられる口実になったのでありがたかったのだが…ついでに胸や尻について言及してくれたらなおよかった。

私はナイフとフォークを置き口をナプキンで軽くぬぐう。

『ミスター・カーター、あなたはとても国民思いの政治家なのですね。』

『私達としてもEUのエネルギー事情は理解しているつもりです。その件に関して、わが国の基幹技術である常温核融合炉、これをEU地域で建設を実施することでエネルギー問題の解決、ひいてはEU国民のお役に立てればと考えております。』

『ありがとう、ミス・ナツキ、やはりあなたは聡明だ!』

私は優しい笑みを浮かべてカーター氏の賛辞に答える。

『こちらの案件の詳細は後日改めて送らせていただきます。』

『ええ、この案件がEUと日本との懸け橋となり、お互いよい未来を歩める関係になると私も確信しています』

なにがお互いよい未来だ。ただ日本に一方的にたかっているだけで、こっちにはほとんど利益がないではないか。

『管理者、本当にこれでよかったの?』

『問題ありません、この件に関しては多少なりともお代をいただくつもりですから。』

『わかった、とりあえずこの件に関しては後で聞かせてもらうから』

カーター氏の賛辞は続く。賛辞を受け流している間に、まだ三分の一が残っているキンメダイのポワレが下げられる。

普段の私なら絶対に食べ残しなんてしないがここは会食の場、心を鬼にして耐える。

次の皿が運ばれてくる。

オレンジのグラニテだ。

カーター氏も私への一通りの賛辞を言い終えたのか、静かにグラニテを口に運ぶ。

このままなんてことない世間話になってくれれば万々歳だ。

『ところで、ミス・ナツキ、あなたのご両親はまだご健在ですかな?』

やった、世間話が飛び出てきた。これで事実上の交渉は終了だ!

『失礼、私としたことが…日本国の子供はほぼ全て国の施設で養育されていましたね。申し訳ない。』

あたしが心の中で交渉終了したことに対してガッツポーズしている間にカーター氏が勝手に自爆していた。様子をみるに挑発目的にわざと発言したわけではなさそうだ。

『いえ、私には幸運にも両親がおります。二人とも健在です。』

『ほう、ご両親はどのようなお仕事を?』

カーター氏は交渉がまとまった事で安堵したのであろうか?さっきからひどい自爆っぷりだ。

日本国民はそのほとんどが無職だ。私みたいな変わり者や、ハルにぃみたいな技術オタクでもない限り、企業や役所勤めなんてやろうともしない。

『両親はともに悠々自適の隠居生活を送っております。昔はボランティア活動など精力的に活動していたのですが…』

母さんは結婚相手探しのため、親父は数十年ぶりに暇つぶしに一回やったきりだがまるっきり嘘というわけではない。二人ともコミケで作品を出展しているから小説家と漫画家という線もありだったが、母さんはともかく親父はエロ漫画家だ、詳しく突っ込まれたら困る。

私は次に運ばれてきた天然物の牛ヒレステーキを食べながら心の中でゴチた。

『私にも息子がいるのですが、未だに落ち着きもなくフラフラ遊びまわっているもので…いや失礼、息子にもわずかでいいからミス・ナツキの落ち着きを分け与えてやりたいものです。』

フラフラ遊びまわっているだけでも日本国民であれば立派に国家に貢献している事になる。

事前研修の段階で学んではいるものの、この違和感はやはりぬぐえない。

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