第24話
仕事をしている時は、亜生のことを少しだけ考えずに済む。だけど、ホテルに戻って一人でいると、頭の中も心の中も、亜生のことで溢れている。
架はソファーに腰を下ろすと、窓から外の景色を見つめた。
紫がかった空に薄く出ている月を横目に、架は大きく溜め息を吐く。
「亜生……」
口癖みたく、声が漏れる。
架は背中を沈めるように、白い天井を見上げて目を閉じる。
今日で出張四日目。ホテルのツインルームに一人で泊まっていると、音もなく、自分の時間だけが止まったのかと錯覚するほど、部屋が静か。
その中で、出てくる溜め息だけが
「亜生……」
架は再び、独り言を呟く。
「好きだ」なんて、口にしたのも伝えたのも初めてだった。
けれど現状は、言うだけ言って逃げたようなもの。
今は一人、ホテルで口を開けば、いや、閉じていようが、彼の名を呟いている。
亜生のことだけしか見えなくなって、亜生のことだけしか考えられなくなって、それでも理性だけは保っていないと、自分が何者なのかも分からなくなりそう。
架は背中を起こして、膝に肘を突いた。
滑り落ちてきた前髪を掻き上げると、架は再び窓の外を見つめる。
暗い闇に浮かぶ街の明かりとは対照的に、ガラスに反射しているのは
頼りなく情けない姿に、架は思わず小さく苦笑いをした。
未だ沈黙の室内。
架はおもむろに腰を上げる。
部屋の扉まで歩くと、照明を点けた。
暖色のルームライトの眩しさに、架は目を細める。
ベッドに倒れ込んだ架は、明日も朝が早いというのに、亜生のことを考える以外は何もする気が起きない。
架は仰向けになると、目を閉じた。
中学生の時に、母親と妹との三人暮らしになってからは、アルバイトをしながら高校・大学を卒業。周りには「大変だね」とか、「えらいね」とか、色々言われてきたけれど、自分のことは自分ですることが当たり前だと思っていたし、妹もいるから、家族のことを自分なりに考えて生きてきた結果だと思っている。
だからといって、勉強や仕事
誠意はあった。決して遊びで付き合った訳ではない。どの相手とも、真面目に交際してきた。
けれど思い返すと、自分から告白したことは一度もなく、相手に対して本気だったことがなかったのかもしれない。
あの日、亜生に初めて会ったあの時、自分の全てが彼を
自分でも何が起きたのか分からなかった。
ただ目の前に彼が現れて、単に軽く挨拶を交わしただけなのに。
「運命」、それが一番当てはまる言葉。
架は呆れたように笑みが込み上げる。
(その相手に言いっぱなしとか……。いい歳して……)
大きな溜め息が吐いて出た。
(そう言えば、
紫は架の亜生への恋心を知っている。
亜生とともに丸和百貨店に行くことを紫に話した際、彼については『同僚』としか話していないにも関わらず、
「女性の
亜生に香水や時計をプレゼントしたのも、紫の提案だった。
妹から恋愛のアドバイスを受ける日が来るとは、さすがに思っていなかったけれど、彼女から「重すぎず、軽すぎないものを」と言われて、二人で考えた。
久しぶりに過ごす兄妹の時間も、案外楽しいもの。
妹にそこまで協力してもらっておきながら、結果は、先走って告白した
架は再び溜め息が吐いて出る。
寝返りを打って、架は窓を見つめた。
前髪が顔に落ちたけれど、掻き上げる気力はない。
暗い空が広がるガラスに、部屋の明かりが跳ね返っている。
夜が長く感じるのは、一人でいるからなのだろうか。
「亜生……」
口癖が零れた。
亜生とあの人のことが会社で公となった時は、自責の念に
「守る」と言っておきながら、彼を守り通せなかった自分に腹が立って、部署長の峯島から嗜められた。
だからだろう。峯島にも、亜生への自分の想いを察知された。
峯島は同士というか、彼は最近ゲイであることを自覚したらしい。
架は小さく声が出る。
「俺は……」
峯島と自分とは少し違う。
自分は『亜生が好き』なだけであって、『ゲイ』ではない。
「亜生……」
架は再び口癖が零れる。
蘇堂の担当者としては、自らとってきたプロジェクトが白紙なるかどうかの瀬戸際。
それでも、理屈では片づけられないことがある。
(好きだよ、亜生。好きだ、好きだ……)
心臓が、潰れそう。このままじゃ、呼吸もできなくなる。
亜生が向ける好意は、自分のそれと同じだと確信していた。けれど、彼は……。
仕事なんて、正直どうでもよい。苦しんでいる亜生の傍に今、自分がいない。それよりも、そんな彼に自分は「好きだ」と言うだけ言ってさらに追いうちを掛けた。だけど、彼も……。
架は
再び寝返りを打った架は、天井を一点に見つめる。
こうなった原因は、自分にもある。
あの人の秘書からの好意を、自分が受け入れなかったから。
亜生からの気持ちもそうだけれど、昔から、女性が自分に向けている気持ちを察知することには敏感だった。
だから、咲の時も、彼女が自分を見る目にそういう感情が含まれていることは、早々に理解した。
亜生から「彼女に会ってほしい」と言われた時、その意味を分かっていながらはぐらかしたのは、彼に自分の気持ちの片鱗を見せて安心させたかっただけ。
けれど、亜生は少々
自身が「ゲイ」であるということで、彼は傷ついてきたことがあるから、線を引かれたのだろう。
それは、『新條架はノーマル』だから。
亜生にとってそれ以上に重い事実はない。
彼の親友の幡川恵にも、同じようなことを言われた。
彼の場合、亜生のことを大事に思っているからこその言葉だったけれど。
亜生へと向ける自分の好意を知る恵には、相手が『ノーマル』では不安に思ったのかもしれない。
おそらく恵の脳裏に、あの人の時の二の舞になることがよぎったのだろう。
全く失礼だとも感じたけれど、そう思われても仕方がない状況だったのは事実。
「ノーマルが同性を好きになる」、亜生には一種のトラウマになっていることは否定できないところ。
今日を入れて、出張が終わるまで三日。
亜生に会えるまで、あと五日。
それまでに、自分ができることは全てやり終える。
架は奥歯を噛みしめると、深呼吸をした。
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