第26話 後編

 紛れもなく、そこはチャペルだった。

 白く輝く空間、その底辺の中心から敷かれた紺碧こんぺきの長い絨毯じゅうたん

 それが『ウエディングロード』だということは説明不要で、それの突き当たる先には、金色の大きな十字架が掲げられている。


 亜生は思わず声を発した。

「『立ち会う』って、もしかして……」

「そう。亜生と一生一緒にいる約束、今からするんだ」

 亜生は慌てた。もしかしたら、自分が彼を「そうせざるを得ない」ところに追い詰めているのかもしれない。そう思うと、亜生は架を制止せずにはいられない。

「ちょっと待ってください。そんな、だって、俺たち、さっき付き合うってことになったんですよ……ね?」

 亜生は次々とやってくる展開に、戸惑いを隠せない。けれど、自分がここでブレーキを掛けなければ、彼を止めなければ、また同じことを繰り返す。彼を傷つける。

「うん。でも、俺は、軽い気持ちで言ったんじゃない。それを亜生に伝えたい」

 架の真剣な表情が、亜生の目を捉えたまま離さない。

「でも俺は、お、『男』だし……」

 亜生が気持ちを零すと、架が言葉を返す。

「知ってる。でも、俺は亜生が好きだ。だから、亜生はちかわなくていい。今日は俺が亜生に愛を誓うためだから」

 架はそう言うと、亜生の片手をとった。

 十字架に向かって踏みしめるように歩く架に釣られるように、亜生も歩みを始める。


 心臓が、罪悪感と期待で潰れそう。

 彼の隣を自分が、「ゲイ」の自分が、歩いてもよいものなのか……。

 それでも、許されるのなら、彼を誰にも渡したくない。

 いや、許されなくても、一生彼の傍に、隣にいたい。

 神様の前では人は嘘を吐けないものなんだと、亜生は零れる本心を認める。


 紺碧の絨毯は意外と柔らかい踏み心地で、「雲の上」まさにその言葉の通り。

 一歩、また一歩と、亜生は架と生きていく世界に近づいていく。


 明澄が待つ金色の十字架の下へと、二人で辿り着いた。

 亜生は架と互いに向き合う。

 彼は亜生の両手をとった。

「亜生、愛してる。何度だって誓う。だから亜生。残りの人生、俺と一緒にいて」

 誓いの言葉など、自分の人生には訪れないことだと亜生は思っていた。

 亜生の頬には、いつしか涙が一筋流れる。

「……俺、新條さんと一緒にいていいの?」

「いてくれる? 俺と、ずっと」

 彼の漆黒の瞳が、赤みを帯びてくる。

 亜生は、心の底に沈めていた気持ちを自ら解き放つ。

 本当の自分で、彼との未来を生きていきたい。

「……いる。いさせて」


 亜生が誓いの言葉を述べた時、立ち会う明澄が口を開いた。

「それでは、誓いのキスを」

「えっ?」

 亜生は口から声が漏れた途端、自分の腰が前へと引き寄せられた。

 架の手で頬を向き戻された瞬間、亜生の唇が熱くなる。


 これが「誓いのキス」だと理解したのは、その数秒後だった。


 上下の唇の隙間から、彼の熱い吐息が亜生の歯をなぞる。

 亜生は自然と口が開いて、架の唇と唇が、何度も絡み合う。

 彼のことしか考えられない。

 頭の中が、体中が、痺れながら、彼の熱でとろけていく。


 誰かの咳払いが聞こえた。

「続きはお部屋でお願いします」

 明澄の声で、亜生の唇と体から架が静かに離れる。

 亜生は心地よく温かい夢の中にいるようだった。

「でもまあ、こんなきよい式に立ち会えたのは、光栄だな」

 明澄にそう言葉をかけられた途端、亜生は我に返る。

 恥ずかしさと嬉しさ、さらに喜びとが混ざり合って、顔の火照りが全身へと広がった。


 部屋に戻るエレベーターの中、亜生の心臓は自分史上最速の脈拍数を叩き出していた。

 亜生の右手は架の左手に、撫でられながら繋がれている。

 彼のおかげで顔も体も熱いままで、亜生は左手で頬を扇ぐ。 

 亜生は不意に架を見た。

 途端に、彼は鼻を亜生の額から頬へ流れるように沿わせると、首筋に口づけた。

 唇を離した架が優しく微笑んだので、亜生は目のやり場にも心の置き場にも困る。

 幸いにも、エレベーターが先ほどいた部屋の階に着いた。

 亜生は小さく息を一つ吐く。


 全身の火照りは治ったけれど、鞄が置かれたソファーに腰かけても、亜生は未だ夢と現実との境目さかいめにいるみたいで、地に足が着いていない。

 亜生はチャペルに行く前に少しだけ覗いた窓ガラスの奥を、ひたすらに見つめる。

(キス、した……。あっ、誓っちゃったんだ、俺……)

 亜生は自分の唇を指で触れる。


 その時、水を飲んでいたはずの架が、亜生を後ろから両腕で包む。

「亜生、どうした?」

 架が亜生のこめかみに静かに口づける。

 亜生は再び全身が火照り始めた。

「あ、あの、さっきのって、つまり、その、プ、プロっ、プロポーズ……?」

 亜生はそう言った自分の声で、急に実感がいて、両手で慌てて口を塞ぐ。

 架は亜生の口元にある手をとる。

 亜生の手の平へと頬擦ほおずりをしながら、彼は微笑み混じりに答えた。

「そうだよ」

 一度は治ったはずの亜生の熱が、再びぶり返す。

「亜生を独占していいのは、これからも俺だけだって、覚えておいてもらおうと思って」

 囁く架の声が、亜生の鼓膜こまくからつま先へと響く。


 架の手が亜生が着ているシャツのボタンを弾いた。

「えっ、な、何?」

「皺になるから」

 亜生は架に、ボタンを一つ外される。

「ね、ま、待って、ちょっ」

「ここじゃ嫌? じゃあベッドルームで」

 架はそう言いながら、亜生を抱き上げた。

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