第28話(最終話)

 亜生の虚ろな目に映ったのは、見慣れない高い天井。

 窓を隠すレースのカーテンから、細く陽が射している。

 白いシーツは肌触りがよい。マットレスも寝心地がよくて、なんだか体も軽い。

(そっか、ここホテルだった。俺、寝ちゃったんだ……)

「おはよう、亜生」

 優しい声が、おぼろげに聞こえる。

 開き切らない亜生の瞼の上、優しい口づけが降りてきた。

 亜生が視線を向ける先、隣で横になる架は黒髪が乱れて、着ているバスローブから素肌の胸元があらわ。彼は爽やかさに混じって、朝から色気が漂う。

(あれ? 新條さん……。そうだ、俺、昨日確か、新條さんと、誓ったんだ……)

 いつのまに、架に腕枕をされていた亜生は、夢見心地のただなかで、頭が上手く働かない。

「ねぇ、新條さん。俺をつねってみて?」

「なんで?」

「『夢』じゃないか、確認するの」


 架は体を起こして、亜生の首筋へと鼻先を滑らせる。

「んんっ……」

 架に首を甘噛みされて、亜生が顔を歪めていると、架の唇が首元から頬へと上がってきた。

「痛かった?」

 架は微笑み混じりにそう言うと、亜生の鎖骨さこつを指で触れながら、再び微笑んでいる。

「俺は、独占欲が強かったんだな」

 亜生の首元、そして胸へ、架は次々と指を置いていく。

「何?」

 亜生はくすぐったくて笑いかけると、架は嬉しそうに呟いた。

「こんなにいっぱいある。亜生が俺のものだって印。ああ、まだまだあるな」

 亜生は言葉の意味を理解した途端、あまりの恥ずかしさに、眠気が一瞬で吹き飛ぶ。

 掛けていた毛布を両手で手繰り寄せると、熱くなっていく自分の顔を覆った。

(えっ? えっ? 待って待って。俺、もしかして新條さんと、し、し、しちゃっ……)

 亜生は昨晩の自分を思い出そうと、懸命けんめいに記憶を辿る。

 けれど、服を着ている自分に気づく。


 架のいたずらっぽく笑う声が聞こえた。

「冗談だよ。俺も亜生と一緒で、さっきまで寝てたから」

 毛布の中で、亜生は頬を膨らませる。

 不意に、亜生は自分の左手に何かの感触を感じ取る。

(これ……。えっ……?)


 薬指に、銀色の指輪。

 傷一つなく、亜生の手で輝いている。


 静かに毛布を外した亜生は、自分の左手を架に見せた。

「新條さん……、あの……」

「サイズ、合っててよかった」

 架は枕に背をもたれながら微笑んでいる。

 亜生は薬指の指輪に触れた。まるで号数が分かっていたかのように、自分の指に見事に合致している。

「本当は、昨日、十字架の下で渡そうと思ってたんだけど……。亜生に『愛してる』って伝えたくて、先走っちゃって。鞄の中に入れたまま……」

 架はそう言うと照れ笑いを浮かべて、長い前髪を掻き上げた。

 彼の指にも、銀色の指輪が見える。

 亜生は思わず声が出た。

「それって、もしかして……」

 架の左手に触れた亜生は、自分の左手を彼の手に近づける。


 サイズは違えど、同じ色、同じ形。

 シンプルでいて洗練された、くまなく美しく磨き上げられている指輪。


 たまらず、亜生は架を見つめて問いかける。

「お揃い?」

 架は、今度は優しく目尻を下げた。

「うん」

 彼の答えに、亜生は再び自分の左手の指輪に触れた。


 彼と同じ指輪を、自分がしている。

 亜生にとって、初めてのことだった。

『幸せ』が形になって見えているみたいな、不思議な感覚。


「指輪が欲しかった」とかそういうことではないけれど、いざ自分の指に、それも『薬指』に指輪があるということで、こんなにも心が温かくなるだなんて、想像もできなかった。


 自分の左手薬指で真新しく光っている銀色の指輪を見つめながら、亜生は自然と瞬きを繰り返す。

「……重いよな」

 不意に呟いた架の気弱な声に、亜生は彼に視線を移す。

 俯いている架は、自身の指輪を静かに指でなぞっている。


 亜生はおのずと、彼の左手を握った。

「嬉しいよ? すごく……、すごく嬉しい。ありがとうございます」

 亜生はそう言い終えると、彼に微笑んだ。


 自分と彼を繋いでいるものが、今、目の前にあって、しかもそれは、彼が自ら贈ってくれたもので、そして何より、彼が『指輪』という形にしてまで愛を伝えてくれていることに、亜生は彼のその気持ちだけでも、胸が一杯になる。


 架は顔を上げた。彼の眉間に寄っていた皺が解れていくと、彼の頬が緩んだ。

 亜生も釣られて、笑顔になる。


 架の手が、亜生の頬に触れた。

「可愛いなぁ……、亜生」

 架は漆黒の瞳を細める。


 彼と見つめる合う亜生は、瞬間で愛しさに胸が締めつけられる。


 架が言葉を付け加えた。

「寝顔もね」

 そう言うと、架は白い歯を零した。

 亜生は途端に恥ずかしさが再燃さいねんして、毛布に包まる。

 寝落ちしていた自分を思い出して、照れ臭さと情けなさでいたたまれない。


 不意に、笑っていたはずの架が低く囁く。

「好きだよ、亜生。もう、離さないから」

「……急に、何?」

 体ごと毛布に覆ったまま、亜生が答えた。

「『何度も誓う』って、言っただろ」

 架の迷いのない言い方に、自然と亜生も心が素直になる。

 毛布を持つ亜生の手が、緩んでいく。

「……お、俺も、大好き。……架」

「それ、反則」


 亜生の包まっていた毛布が、途端に宙を舞いながら、ベッドの下へと落ちる。

 瞬く間に、亜生は架に組み敷かれていた。


(完)

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