第23話 前編

 二週間が過ぎた頃、蘇堂グループが「プロジェクトの白紙化を撤回てっかいした」と、亜生は峯島から聞く。

 恵の話によれば、大紀は今回の騒動の責任を取ると言う名目で降格。一方、命令とはいえ聖花に加担した咲は、懲戒ちょうかい解雇かいこから一転、子会社に出向ということで収まったみたい。

 大紀がコトの発端ほったんは自分にあるとして、亜生や咲の処遇について、みずから上層部に掛け合ったらしい。

 最終的に、大紀は蘇堂に「亜生との不倫は『事実無根』」と言いくるめて、騒動は終結した。


 それから『十年間、幸せをありがとう』と『さよなら』が、大紀から恵に、亜生への伝言だった。


 亜生は会社での誤解もけて、職場復帰を果たす。

 社内措置そちでは、当面の内勤業務を命じられた。蘇堂グループからはおとがめなしで、双方そうほうの折り合いが付いた。


 大紀は「何もなかった」と、結果としては一人で全ての責を負ったけれど、実際何もなくはなかった。

 彼を、既婚者の彼を、一瞬でも受け入れていた自分にはなんのばつもないだなんて、「良心が痛む」と言ったらおこがましいけれど、後味は悪いまま。

 それでも最終的には仕事での損失は受けていない自分がいて、亜生はなんだか釈然しゃくぜんとしない。


 社内では、すでに「亜生がゲイ」だということが知れ渡っていた。

 その結果、性差別等を問題視した人事部は、亜生のような同性愛者や性別問わずの各ハラスメントに対して、厳しい措置を行うと社内通告があった。


「この度は、お騒がせして、申し訳ありませんでした」

 亜生が出社早々に部署内で謝罪すると、一部の人は、やはり亜生を未知なる生物かのように見ている。

 不穏な空気が漂う中、部署を代表して峯島が声を発した。

「我々こそ、なんの確認もせずに、すまなかった」

「いえ。元々、自分が同性愛者だと隠していたことが原因です。……すみませんでした」

 亜生はそう言って、下唇を噛む。

『ゲイ』というだけで謝るのか、と感じながらも、これ以上余計な波風を立てたくはなかった。


 亜生は二週間ぶりの仕事にく。

 隣の席から、絶えず視線を感じる。

 架がこちらを見ていると、亜生は瞬時に理解した。


 亜生が在宅勤務になってから、架から毎日のように連絡が来た。亜生はそれを避け続けて、架の考えも、架への自分の気持ちにも、触れないでおこうと決めた。

 同じ過ちを繰り返したくない。

 亜生の気持ちは固かった。


「亜生、話がしたい」

 隣で架が小さく何度も囁く。

 亜生は何度も聞き流す。

 そのうち架の声がしなくなると、今度は亜生の置かれている現状が浮き彫りとなった。


『俺、「ゲイ」って初めて見た』

『なあ、俺らも狙われてんのかな?』

『同性なら誰でもいいんでしょ』

『実際、本当に不倫してたって話』


 数多あまたの偏見の声。亜生の脳内に蓄積ちくせきされていく。

 亜生は感情を表に出さないようにPC画面を見つめて、一心不乱にキーボードを打ち込んだ。


 こうなる事は分かっていた。

 これまでだって、同じ経験をしている。

『ゲイ』だと分かると、どこへ行っても、何をしていても、自分の存在が否定されて、世の中のことわりに反していると色眼鏡で見られてきた。

 だから、必要以上に性的指向を公言することは避けてきたのに……。

 社会の歯車の一部となって数年、亜生は久しぶりに味わう痛みだった。


 突如とつじょ、架の低い声が聞こえてきた。

「その辺にしとけよ」

 亜生が架の姿を目に捉えた時、部署の出入口付近で、架が社員と対峙していた。

「べ、別に、俺たちはっ……」

 途端にしどろもどろになる彼らへと、架は言葉を続ける。

「どう思うかは、個人の自由。けど、どう見ても、君たちに佐久田くんは勿体もったいない」

 語尾でなぜかすごみを利かせた架の後ろには、「そうよ、そうよ」と同調している部署の女性たちが、いつの間にか連なっている。

 恥ずかしいような申し訳ないような、色々な気持ちが亜生の頭と胸の中でからまり合って、思わずその場で身をかがめた。


 対峙する彼らの一人が、怯む事なく架に噛みつく。

「そういう新條さんこそ、どうせ腹の中では『ゲイとかあり得ない』って思ってんだろ? なんで俺たちだけ非難されるんだよ」

 不意に、架が不敵な笑みを浮かべた。

 それが何かの合図だったかのように、架の後ろにいる女性たちが、一斉いっせいに声を上げる。


『ちょっと! いい加減にしなさいよ!』

『何? 今度は新條さんに当たる訳?』

『男の嫉妬は、みにくいわよ』

『本当、サイテー』


 次々と言葉の矢を放つ女性たちによって、亜生を批判していた彼らは、隅へと追いやられていく。

 彼らも声を上げている。

「しっ、新條さんだって、隣の席が『ゲイ』なんて、貞操ていそうの危機、感じてるんじゃないですか?」

 架は、その場の誰もが、亜生でさえも想像もしていなかった言葉を紡いだ。

「俺は、佐久田くんなら光栄だよ?」

 架はトドメを刺すように彼らへ微笑んで見せると、傍の女性たちは、皆、恍惚こうこつとした表情を浮かべている。

 亜生に嫌悪を向ける社員たちは、ようやく静かになって、それぞれの持ち場へと戻っていった。


 亜生はいたたまれなさに席を立つ。

 女性たちに向かって「ありがとう」と言葉を掛けて、架に会釈。

 亜生は一人、部署を出た。

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