第21話 前編

 美里が買い物に出かけた。

 彼女にしてみれば、急な来客だったにも関わらず、嫌な顔一つせずに彼女と恵の他、ここにいる三人を合わせた五人分の夕食をこれから用意する。

 亜生はもちろん、櫂たちも「手伝う」と言ったけれど、美里は「準備は恵がするから。私は甘いもの担当」と、笑顔を見せた。


 家主不在の中、亜生は櫂と昭良に今日の話を聞かれると腹を括っていた。けれど彼らは亜生の髪を触ったり、肩をマッサージしてくれたり、普段と変わらない接し方。

 そのうち美里が荷物を両手に下げて帰ってきた。

 亜生がダイニングテーブルに駆け寄ると、彼女は満面の笑みを浮かべて、買ってきた数々のスイーツの説明を始める。

 一方、リビングにいる櫂と昭良はじゃれ合っていて、亜生は心が解れるように自然に笑みが零れる。


 陽が落ち切ってから間もなく、ようやく家の主が帰宅。

 リビングに入った恵は先ほどの美里同様、両手に大量に荷物を下げていた。

 美里がいるキッチンへと向かって、両手の荷物をダイニングテーブルの上に置く。

 櫂が恵の肩を組んで、ねぎらっている。

 亜生は何気なく、リビングのソファーに座っていた昭良に視線を向けた。

 昭良も微笑んでいる。けれどあんじょうというか、目に嫉妬のようなものを浮かべている。

 亜生が微笑ましく彼らを見ていると、痺れを切らした昭良が、幡川兄弟の間に割って入った。

 兄弟で笑いながら彼をたしなめて、櫂は昭良に、恵の買ってきた料理を次々とリビングテーブルへ運び込ませる。


 五人での夕食を終える頃、突然、櫂が「飲み物買ってきて」と、恵と昭良に言った。

 昭良は恵に気を利かせて「俺が行くよ」と腰を上げたけれど、櫂は恵に「昭良に付いていけ」と言って聞かない。

 今度は恵が「じゃあ俺が行ってくる」とソファーから立ち上がると、櫂もソファーから立ち上がって、昭良と恵の腕を組んだ。

「はい、二人でおつかいよろしく」

 櫂はそう言いながら、昭良の背中を優しく押した。

「何たくらんでんの?」

 恵はあやしむような目をして、櫂に尋ねた。けれど櫂は素知らぬ顔をしながら、「何も」と口をとがらせる。

 昭良は別の心配をして、彼は両手で櫂の両頬に触れたかと思うと、今度は頬を軽く摘んだ。

「昭良、こんな時に妬くな」

 溜め息混じりに、櫂は昭良を優しくしかる。

 昭良らしいというか、二人のその光景に、亜生は思わず笑みが零れた。


 なんだかんだで部屋を出ない二人に、櫂が声を荒げる。

「ああもう! さっさと行ってこい!」

 亜生は思わず隣にいた美里と顔を見合わせた。次に恵を交えた三人で顔を見合わせる。

 恵は呆れた様子で溜め息を吐きながら首を振る。

「分かった分かった。昭良くん、行こう」

 恵は昭良の肩をたたいた。


 恵と昭良が玄関を出た頃、櫂は胸を撫で下ろしたようにリビングのソファーへと座る。

 櫂が口を開いた。

「ごめんな。昭良、すぐ妬くんだ」

 櫂は照れた素振りで頭を掻いている。その姿が、亜生の目にはなんだか可愛く映る。

 美里にも同じように映ったのか、櫂を見ながら微笑んでいた。

「それより、亜生。今日は『女難じょなんの相』が出てたらしいな」

 櫂はそう言いながら、ソファーに背をもたれた。

 不意に話題を振られて、亜生は思わず苦笑いをする。

「恵から聞いたの? 恥ずかしいな。でも、うん、恵と美里ちゃんが守ってくれたから」

 亜生が美里へと笑いかけると、彼女は照れたようにして流れた髪を片耳に掛けた。

「そっか、よかった。でも、あんま思い詰めんなよ。亜生には味方がたくさんいるんだからな」

 櫂は優しく頬を緩める。

 亜生は胸に熱いものが込み上げて、言葉に詰まった。

 美里はさり気なく、亜生の肩をさすってくれた。

 彼女の優しさに、亜生は微笑みを返す。


「亜生、ごめんな……」

 櫂が突然そう言った。

 亜生は思わず櫂の方へと向くと、彼は俯きがちにこちらを見ている。

「大紀がその……。本当、どうしようもないやつで、ごめん」

 櫂はソファーから背を離した。彼は両手を膝の上で組んで、顔を伏せる。

 その姿に、亜生は胸が締めつけられた。

「そんな……。櫂くん、謝らないで」

 亜生は立ち上がって櫂の隣へと腰を下ろすと、彼の両肩に手を置いた。

「あのな、亜生。実は、聖花さん……、大紀が昔、付き合ってた子なんだ……」

 突然の告白に、亜生は絶句する。


「えっ! どういうこと!」

 向かい側から、美里が大きく声を発した。

 彼女は両目を見開いて、櫂を見ている。

「本当はこんなこと、一生言うつもりなかったんだけど、今日みたく亜生が辛い思いをするくらいなら、話しておいたほうがいいよな」

 櫂は膝の上で組んでいた両手を外す。

「亜生には、知る権利がある」

 櫂は亜生の方へ体ごと向いた。

 亜生は思わず唾を呑んで、彼の言葉を待つ。


「聖花さんは、大紀が亜生の前に付き合ってた子なんだ。……『初恋』ってやつ」

 亜生は再び言葉を失う。


 つまり聖花は、大紀が亜生と付き合うためにその当時別れたという相手……。


 自分が二人を引き裂いていた、と亜生は両手が震え始める。

 上手く声が出せない。息が言葉を奪って、亜生は膝の上で両手の平を強く握りしめる。


「でもさ、『だから、なんだ』って話だよ。聖花さんにも、俺は正直頭にきてんだ。高校時代に終わったことを、今さら逆恨さかうらみみたいに、亜生に突っかかって」

 櫂は大きく溜め息を混じえて、ソファーに背をあずける。

「お、俺……」

 そんなこと知らなかった、と亜生が言葉の続きを言えずにいると、櫂が再びソファーから背中を離して、亜生の肩に手を置いた。

「亜生は何も悪くない。悪いのは、大紀だ。聖花さんが亜生をいびってんのに、好き放題させて」

 櫂は言い切ってくれたけれど、亜生にはそう思えなかった。

 

 櫂の言う通り、高校時代というもう何年も前のことではある。けれど、聖花にしてみれば、当時付き合っていた彼との間に『男』に横入りされて、結婚したあとも『同じ男』が自分の夫の傍にいるだなんて。

 彼女には『昔終わったこと』ではなく、昔から今に渡る『現在進行形』のことだった。


 亜生は自然に俯いて、震え始めた唇を静かに開く。

「櫂くん、美里ちゃん、ごめんね……」

 それ以上の言葉を、亜生は呑み込む。


 俺がゲイなのがいけなかったんだ、とは言いたくない自分がいた。

『ゲイ』であることは辞めることができないし、変えられない事実だから。


 大紀と出会ってはいけなかった、自分がゲイだと誰にも知らせず生きていけばよかった、と後悔にも似た感情が亜生の脳内を埋め尽くしていく。


「謝るなよ」

 隣で、櫂が呟いた。

 亜生が顔を上げると、櫂は両目に涙を溜めて、美里はすでに泣いている。

「大紀のこと、本気で好きだっただろ……」

 櫂に言われて、亜生は深く頷いた。

「相手に真剣だと、強引になっちゃう時もある。大紀だって、今回、それが暴走しただけなんだよ……。ごめんな」

 櫂は眉を顰めて、睫毛を揺らした。

「大丈夫、分かってる」

 亜生は口角を上げて答える。

 櫂は亜生の頭を撫でて「ありがとな」と、少し安堵したような表情を浮かべた。

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