第20話 前編

 昼時間が近づいた頃、ようやく部署に峯島の姿が戻る。同時に、亜生は彼に呼ばれて簡易応接室へと入った。


 峯島は背を向けている。

 緊張が部屋全体を包んで、亜生は彼が口を開くまで黙った。


 不意に、峯島がこちらを向いた。表情には疲労が見てとれる。

「佐久田くん。君には新企画のプレゼンから外れてもらう。それと、……今から君は在宅勤務だ」

「はい……」

 何となく、そうなる予感はしていた。亜生は奥歯を噛みしめて、両手の平を強く握る。


 沈黙が、流れる。

 亜生は俯くと、峯島の言葉を待った。


「今週は出社しなくていい。何かあれば、その都度連絡する」

「……承知しました」

 亜生はそう返事をすることしかできなかった。

 峯島は処遇が決まるまでの間だけだとは言ったけれど、おそらく自分は何かしらの処分が下ると、亜生は覚悟を決める。


 応接室を出ると、席に架が戻ったところだった。

 架は「担当者」という立場上、蘇堂とのプロジェクトの件で、説明と釈明しゃくめいに追われている。

 それだけでも、亜生は申し訳なさと情けなさでたまらない。


「あの……、新條さん。……ご迷惑を、お掛けしました」

 亜生はなんとか声を絞り出した。

 架が大きく息を吐いた。亜生は心臓が縮み上がる。

「亜生のせいじゃない。これは俺の責任だ」

 架はそう言ってくれたけれど、どう見ても、どう考えても、今回の件の大元おおもとは自分と大紀の「関係」にある。


 不倫ではない。だけど双方の会社を、加えて架と聖花まで巻き込んだ大騒動に発展していることは、間違いない。


「新條さん。本当に、申し訳ありません」

 亜生はそう伝えると、自分の鞄を手にした。

 その時、不意に腕を掴まれる。驚いた亜生が顔を上げると、架と目が会った。

「どこ行くの?」

 架は、少しやつれた顔をしている。

「帰ります。今から、在宅勤務です」

 亜生は素直に答えると、腕を掴んでいる架の手を下げた。

「それでは、失礼します」

 そう告げて、亜生は部署を出た。


 エレベーターホールへと向かっていると、後ろから恵に呼び止められる。

 何も知らない恵は、当然のように一緒に昼食をとろうと言った。

 恵に在宅勤務になったことを告げると、彼は一瞬で眉間に皺を寄せて「俺も帰る」と言って、自分の鞄を取りに行こうとした。

 亜生が慌てて恵を宥めると、彼はどこかに連絡をする。


 しばらくして、恵が言った。

「俺の家に行ってろ」

「えっ、でも、俺の在宅勤務は、謹慎みたいなものだし……」

 亜生が言葉を返すと、恵は再び眉間に皺を寄せる。

「『在宅』なんだし、俺の家でもいいだろ」

 恵の眉間にさらに深く皺が刻まれた。

 その様子に、亜生は彼に押し切られるようにして、それを受け入れる。

「……分かった。行くよ」

 亜生がそう答えると、恵は安堵したように息を吐く。

「とりあえず、今は昼食ということで」

 恵は亜生の肩を組みながら、エレベーターへと乗り込んだ。


 * * *


 エントランスから社外に出ると、ランチの時間帯で人通りが多い。

 亜生は恵に腕を引かれるがままに人波に乗って、二人で近くの定食屋に入る。

 店は満席状態に見えたけれど、運よく席が二つく。店員に席へ通されて、亜生と恵は向かい合った椅子に腰を下ろした。


 互いに注文し終えた時、恵が言った。

「それで、何があったんだ?」

 真っ直ぐに自分を見つめてくる恵に、亜生はたまらず視線を泳がせた。

「何って?」

 恵は今日一番の大きな溜め息を吐いて、亜生の逸らす視点に合わせてくる。

 その行動に亜生は笑いを誘われて、吹き出した。

 亜生は素直に口を開く。


 自分の誕生日に、大紀と彼の妻と修羅場しゅらばみたいになって、それを架が収めてくれたこと。

 今日、蘇堂側から、自分と大紀の『不貞』を理由に「雪代社とのプロジェクトを白紙化する」と言われたこと。

 それから『自分がゲイ』だということが、社の内外に知られたこと。

 加えて『渦中かちゅうの人』となった自分を、現在架と峯島が守ってくれていること。

 全てを恵に話した。


「そうか」

 恵はそう一言。何も聞かなかった。

 内容が重かったのだろう。恵は自分の親友だけど、大紀の従兄弟でもある。

 いたたまれない。

 本当は話すべきことではないとは分かってはいる。だけど、どうしても、恵に甘える自分がいる。

「ごめん……」

 亜生は小さく言葉が零れていた。

 恵は聞き逃さなかった。

「謝るな。亜生は悪くない。俺たちは亜生の味方だ。それだけは、忘れるなよ」

 恵はそう言って微笑んだ。

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