第15話 後編

 マンションに帰宅した亜生の携帯電話には、大紀と架から交互に何度も連絡が入っていた。

 亜生はそれを横目に、リビングのソファーへ座り込むと、頭の中で今日あった色々な出来事が繰り返される。

 たまらず頭を掻いた時、不意にテレビの横にあった紙袋が目に入る。


 白地に、黒のブランドロゴ。


 亜生はどうにもならない気持ちをこらえきれずに立ち上がった。ベッドルームに向かって、今度はベッドへと倒れ込む。

 自分以外の人が使ったことのないベッド。

 一人で買いに行ったその日から、一人きりで眠るベッド。

 傍らにある架が贈ってくれた四角い黒ガラスの香水の瓶を見た時、泣くつもりなんてなかったのに、亜生は涙が零れた。

 瞬く間に号泣。嗚咽おえつが止まらない。

 自分で望んだはずなのに、自分が出した答えなのに、自分で選んだことなのに……。


 自分がゲイだということよりも、そんな自分と関わったがために、本来ノーマルだった人がゲイだと思われて過ごすということが、亜生には耐えられない。

 少なくとも、ノーマルだった大紀をこちらに引き込んだという責任が、今も自分にはあるのだから。

 大紀と別れたこの一年、もうあんな思いはしたくない、相手にあんな思いはさせたくないと思ってきたのに、結局、未だ、大紀を苦しめていた。そして、無関係の架も、恋人のフリなんかさせて巻き込んだ……。

 好きになっていた架への想いだって、ただの自分の独りよがりで……。

 明かりの点けない部屋で、亜生は自分を責め続ける。


 * * *


 翌朝、亜生はいつもと同じように出社。

 気持ちが吹っ切れた訳でも、答えを見つけた訳でもない。今はただ、心を無にして、動揺が外にれないようにと努めるだけ。

 部署に着くと、やはり架に呼ばれた。

 昨日彼が咲と抱き合っていたことは、亜生には何の関係もないこと。それよりも、そのあと架があの状況だったにも関わらず、大紀から自分を守ってくれようとしたことには感謝しなければと、亜生は自分をふるい立たせるように架の後ろを付いていく。


「昨日はごめん」

 開口一番、向かい合った架がそう言った。

 亜生は早く話を切り上げようと、冷静に言葉を返す。

「いえ、俺の方こそ。本当にすみませんでした。それに新條さん、俺のこと守ろうとしてくれたのに、勝手に帰ったりして」

「そうじゃなくて、その……」

 会話を続けようとする架を、亜生は遮る。

「俺のことはもう、大丈夫ですから。その、今までありがとうございました。それと、昨日は本当に、本当にすみませんでした」

 亜生はそれだけ告げて、架の返事を待たずに走って仕事に戻った。

 架の顔が見れなかった。ただでさえ迷惑を掛けているのに、その上自分は彼に対して好意まで持っている。


 相手はノーマル。

 自分はゲイ。

 どうしようもない現実を、亜生は受け入れるしかない。


 それから亜生は、不自然にならない程度で架と距離を置いた。というか、亜生は架を避けていた。

 幸い、蘇堂とのミーティングはしばらくないし、大紀もプロジェクトから外れる時期。

 架は前よりも声を掛けてくることが多くなった。仕事のことはもちろん、休憩時間にまでも何かと話しかけてくる。

 亜生が架に他の同僚と同じように接していると、その都度、彼は不満そうな顔をする。

『態度を変えず、平静を装う』

 できることは他にないというのに、亜生は胸が苦しくてたまらない。

 亜生の心の中には、架への想いが消えることなく残ったまま。だけど、大紀とのことが亜生にはいましめとなって、未だ罪悪感が重くのしかかっている。

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