第13話
部署に戻って数時間後。
仕事を終えた亜生が一人でエントランスへ降りると、女性に声を掛けられた。
「佐久田さん、ですね」
亜生が立ち止まると、正面の出入り口前に大紀の秘書の咲が立っていた。
「あ、えっと、呉石さん? いつもお世話になってます」
そう亜生が答えると、咲は「折り入って話がある」とだけ言って、歩き始める。
咲の行き先は雪代社近くのカフェ&バー。文字通り、日中はカフェで夜はバーになる。
今はまだカフェの時間帯。亜生は咲のあとに続いて一番奥のソファー席へ進む。
互いに向かい合って、ソファーに腰を下ろした。
少し薄暗い店内、カフェ特有の雑音が亜生には少しだけ心強かった。
テーブルに水が運ばれてくる。
咲はメニューも見ずにコーヒーを注文。
亜生がたじろいでいると、咲は大きな溜め息を一つ吐いた。亜生は慌ててメニューに目を通して、カフェラテを頼む。
「あの、話っていうのは……」
たまらず亜生が口を開くと、咲は作りものの笑い顔を見せた。
「佐久田さん。あなた、
亜生は絶句する。
確かに先日、亜生は大紀の妻の聖花に問い詰められて、彼との関係に気づかれたようなものだった。だけど認めた訳でもなく、
けれど、こちらから認めなければ、まだごまかせる。
「お答えにならないということは、事実なんですね」
柔らかく微笑む奥で、咲は何か異物でも見ているかのような目をしている。
「あの、それは、違います」
亜生は膝に置いた両手の平を握りしめた。
「いいんですよ、隠さなくても。それに今日は、個人的なお願いで
含みのある言い方をする咲に、亜生の不安は
話の合間にタイミングよく、テーブルの上に注文していた飲み物が運ばれる。
店員が去った時、亜生は早く話を切り上げようと先に問いかけた。
「お願いって、なんですか?」
咲はコーヒーカップを持つと、冷ややかな笑顔を見せた。
彼女は優雅にコーヒーを飲む。
亜生は返事を待ちながら手持ち無沙汰になって、自分のカップを手にとる。
しばらくして、咲はカップをソーサーに置くと、亜生へと笑みを浮かべて静かに言う。
「私、そちらの新條さんに一目惚れしたんです。だから、佐久田さんに紹介してほしくって」
「えっ……」
亜生は自然とカップをテーブルの上に付けていた。
「断っていただいても構いません。香山との関係が蘇堂に知られてもいいのなら、ですが」
途端に咲の笑顔は消えて、口角が片方だけ上がる。
「協力していただけさえすれば、私の方から聖花さんに上手く言っておきますから。お願い、できますよね? 佐久田さん」
亜生は心臓を
『大紀との過去』と『無関係の架』を
けれど
ノーマルの架と咲たちの始まるかもしれない恋路を、ゲイである自分が勝手に壊す権利もない。
「……分かりました。紹介します」
亜生が奥歯を噛むと、咲は今度は心の底から笑っているような顔をした。
「ありがとうございます。こちらも約束は守りますから、安心してください。それでは、ご連絡お待ちしてます」
咲はそう言うと、流れるように伝票を掴んで帰っていった。
亜生はテーブルに額を付けた。
結局は自分の保身のため、結局は自分が一番可愛いのか、と亜生は悔しさと
* * *
翌朝、亜生は約束通りに咲と架を引き合わすため、出勤したばかりの彼に声を掛けた。
同じフロアの簡易応接室へ、架を呼び込む。
「新條さん。実は、お話がありまして」
「ああ、俺も。佐久田くんに、聞きたいことがあるんだ」
先に架の話を聞こうとしていたら、彼は亜生から話すよう促す。
亜生は大きく深呼吸をして、架に話を切り出した。
「あの、新條さんに紹介したい人がいます」
言葉を発する度に、亜生の心臓は悲鳴を上げる。
「く、呉石さんと、会ってください」
「……『呉石さん』って、蘇堂の秘書の? それならこの前、蘇堂の本社で会ったよ」
当然、架は話の
「そうじゃなくて、その……」
「まあ、うん。分かったよ、会うよ」
架の軽い
途端に話を切り替えるようにして、亜生は架に問いかけた。
「新條さんの話って、なんですか?」
「ああ、俺の話は……。……昨日、佐久田くん、仕事のあと、何してたの?」
「えっ? 昨日は……」
亜生はそう言うと、言葉の続きを止める。
咲に会って、突然あなたとの仲を取り持てと言われたと話せば、彼は何を思うだろう。それを知った咲が何をするか。亜生は口籠った一瞬の間に、色々な思考が働く。
「何してた?」
架がさらに踏み込んでくる。
いつもなら過度な
「なっ、何って。ええっと……」
「亜生、何してた?」
突然『下の名前』で呼ばれて、亜生は驚きとともに一瞬頭の中が真っ白になる。
「亜生?」
何度も自分の名を呼びながら顔を近づけてくる彼に、亜生は戸惑いを隠せない。
「それはその、……カ、カフェに、行ってました」
嘘じゃない。亜生は架の顔を見れなくなって、目を逸らす。
「誰と?」
架の吐息が、亜生の目元を掠める。
「えっ? だ、誰と……? ええっと……、一人です」
亜生がそう答えると、架は眉間に皺を寄せながら顔を離す。
彼は納得していない様子で、なぜか不機嫌そうだった。
亜生は胸の痛みと後ろめたさに、彼に「戻ります」とだけ告げて、その場を逃げるように去った。
そのあとに一度だけ咲から連絡があって、「架と会った」とだけ聞いた。
職場の女性たちは、毎日のように架の情報を共有している。彼女たちの話の内容を耳にした感じでは、架は同一の女性と会っているところを
『男』と『女』の健全な関係。順調に愛を育んでいるなら、むしろ紹介してよかったのかもしれない。
そう思えることが一番よいと分かっていても、納得していない自分がいる。
けれど、それが正しい道。それ以外の道は、元からないのだから。
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