第4話 前編

 日曜日の昼間。丸和百貨店近くの駅にある時計台の下、亜生は架と待ち合わせている。

 仕事の延長線上とはいえ、休日に誰かとどこかに出かけるだなんて久しぶりのことで、亜生は時間配分を間違えて、予定していた午後一時よりも四十分も早く駅に着いた。


 よく晴れた週末の昼とだけあって、体感で五割増しの人波の中へ流し込まれるように、駅の階段を降りて改札口の外に出る。

 新緑が芽吹めぶくコンコース。待ち合わせ場所の時計台の下に、架の姿が見える。

 亜生は思わず走り出していた。

「新條さん! お待たせしてすみません!」

 亜生が慌てながら声を掛けると、架は微笑みをまじえた。

「俺の方こそ、早く来ちゃって、ごめん……。今日が楽しみでさ」

 不覚にも亜生は胸がときめいた。

 彼は単に新店舗へ行くことが楽しみと言っただけなのに、言葉の解釈かいしゃくとは全く罪なもの。

「それじゃあ、行こうか」

 架はそう言って歩き始めた。


 誰かと隣に並んで街を歩くのは、いつ以来だろう。

 恋人と別れてもうすぐ一年になるけれど、彼と付き合っていた頃は「誰かに見られないように」「知られないように」と気を張って、街中まちなかを歩いたことは片手で数えて足りる程度。

 普通の恋人らしく過ごしていたのなら、別れを避けられたのだろうか。

 恋人だと公言できていたのなら、彼は自分以外の誰かと結婚することもなかったのだろうか。

 街行く異性同士の恋人たちは、みな、互いに体を寄せ合って微笑み合う。

 彼らを横目に、自分もそんな経験をしていたのなら、『さよなら』とは言わなかったのかもしれない。

 いや、例え毎日手を繋いで街の中を歩いていたとしても、同性同士であった彼との別れは『必然』だったのだろう、と亜生は自然と空を見上げた。

 いつもなら、巣籠もりをして一日が終わる休日。お日さまの下を歩いているだなんて、なんだか不思議な気分。


 亜生は自分でも気づかないうちに、架の半歩後ろを歩いていた。

 仕事の時のスーツ姿と違って、私服姿の架は新鮮だった。

 自分と同じシンプルなアイテムのコーディネートのはずなのに、架が身に着けると途端に〈洗練された大人の男〉の見本になる。

 道すがら、すれ違っていく女性たちは、皆、彼へと振り返る。

 亜生は架がそばで歩いているということだけにも関わらず、少し鼻が高くなった。

 同時に、自分の存在が無色透明で、周りの誰の視界にも入っていないような気にもなった。


 時折架は離れた肩を亜生の隣へ戻すようにして、歩幅を合わせてくれた。

「楽しみだね」とか「角の店は人気なんだ」とか、亜生はこうして誰かと何気ない会話をしているのも久しぶりだった。


 変に気をつかい合う訳でもなく、急に会話が途切れることもなく、自然と笑みが零れていたり、知り合って間もないけれど、架とは波長が合うのかもしれないと、亜生は少し嬉しくなった。

 

 * * *


 今日の目的地である『丸和百貨店』が見えてきた。

 丸和百貨店は一等地に位置する創業百四年の老舗しにせであり、現在では建物自体もランドマーク。

 店舗内には、国内外の一流ブランドが集結して、我々雪代社も古くから付き合いがある。

 交通量の多い大きな交差点を渡って、生成色きなりいろ煉瓦れんがの外壁づたいに歩いていく。

 正面入口のガラスの回転扉は、創業当時から今も現役。上部には装飾のほどこされた鉄製の葉のレリーフがかかげられている。

 回転扉を抜けると、一階のフロアである化粧品・アクセサリー売り場が広がっている。

 フロア内は、暖かみのある照明と磨き上げられている床も相俟って、店内の商品がより一層光り輝いて見える。 

 架とともに一階フロアの中央を進むと、突き当たった左角に、先日話していた国内初出店のコスメブランドの店舗が見えた。


 店内は女性客たちであふれて、亜生は〈私服の男性二人客〉という自分たちに少々気まずさを感じたけれど、架は何食わぬ顔で商品を見回している。

 架は香水の瓶を手にとった。

 亜生が彼の隣へと立つと、女性店員に声を掛けられる。

「こちらは兼用のものですので、女性も同じ香りを着けていただけますよ」

 店員は当然のことのように言った。

 同時に、この人はおそらく「ノーマル」なのだろうと亜生は悟る。

 よく出くわすこと。向こうには悪気はないと分かってはいるけれど、地味に傷つく。

 亜生は店員に向けて、当たり障りのない相槌あいづちをした。

 店員は容姿端麗の架に見惚れるように見つめている。

 架が店員に微笑み返しながら、香水を棚に戻した。

「恋人が『男女』だと、決めつけるのはよくないですよ?」

 架の言葉に、亜生は一瞬息が止まる。

 傍にいる女性客が数人、こちらを見ながら耳打ちしているのが視界に入って、亜生は思わず顔を背けた。

 鏡越しに見えた店員は笑顔を崩してはいなかったけれど、亜生は不安に駆られ始める。

 唇が震え出す。ゲイへと、自分へと、向けられる視線に耐えられない。

「大変、失礼いたしました。こちらの香水は、女性男性ともにおすすめです」

「そうですか。少し見させてもらいますね」

 架がそう言うと、彼女は接客不要と解釈したのか、自然とその場を離れていった。

「別に俺たちだとは言ってないけどなぁ」

 彼はいたずら笑って見せた。

 亜生は架の言動の一つ一つに、心臓が縮み上がる。

(ゲイだと気づかれてる? それとも、この数日でゲイだと気づかれた?)

 その一瞬の間に様々な思考が働いて、亜生は呼吸が浅くなっていく。

 たまらず店を出ようとした時、別の女性の声が聞こえた。

「そんなにいじめないでよね」

 一瞬、自分に対しての擁護ようごの言葉かと思った。

 架が女性に返事をする。

「心外だな。俺は『お客さま』として、当然の話をしただけだよ」

 亜生が顔を上げると、架と向かい合うようにして、紺のスーツ姿の綺麗な女性がいた。

「まあ、そうね。間違ってはいないけど」

 女性はそう言って息を一ついた。

 ヒールのあるパンプスを履いているからだろう、彼女は亜生より少し背が高い。

 肩ほどの長さの艶のある黒髪をサイドから掻き上げて、髪と同色の瞳はフロア内の暖かみのある照明の影響か潤みを帯びて、陶器のような白肌が映える。

 瞬きをする度に優雅に動く長い睫毛。亜生はどこかで見覚えのあるような気がしてならない。

 その答えを架が示した。

「佐久田くん、紹介するよ。俺の妹のユカリだ。こちらは同じ部署の佐久田くん」

「初めまして。丸和百貨店経営企画部の新條ゆかりです」

 彼女にうながされて、亜生たちは店から離れる。


『従業員専用』と書かれた白い扉の前で立ち止まると、彼女は名刺を差し出した。

「改めまして、新條と申します」

 釣られるようにして、亜生はアウターのポケットに入れていた自身の名刺を取り出す。

「初めまして。雪代社企画開発部の佐久田です」

「佐久田さん。本日は、兄のお守りをありがとうございます。こんな兄ですが、どうぞ仲よくしてあげてくださいね」

 いたずらに笑った紫の顔に、架の面影が見える。

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