第2話
大手化粧品会社『
新年度を迎えて、亜生が
朝の部署内、彼の紹介が始まる。
見るからに容姿は
代わり映えのしない生活を送っている亜生には、彼の姿が太陽そのもののように
無駄に落ち着きを放つ彼を、亜生は無意識にも一点に見つめていた。
不意に、目と目が合う。
亜生が驚いて
彼の名前は、
それはこの会社で、いわば『出世』を約束されていることを意味する。
挨拶が終わり、亜生が席に着いて仕事を始めると、声を掛けられた。
「初めまして。佐久田亜生さん?」
低くて
架が
「佐久田亜生さんだよね? 俺、この部署の人の顔と名前、覚えてきたんだ。隣同士、よろしくね」
彼は潤いのある唇からそう言葉を
心地よい爽やかな香りがする。瞳と同じ色をした
だからこそ、亜生にとって彼は『別世界の住人』に感じた。
架は隣の席に座ってからも、こちらを見ながら微笑んでいる。
「俺ね、一個上なんだ。だからお互い敬語はやめよう。これからよろしく、佐久田くん」
彼は人との付き合い方に慣れている様子。
自分に向けられる視線に、亜生は少し落ち着かない。忘れたつもりのあの人と、どことなく似ている気がして、心が
「こ、こちらこそ、よろしく」
亜生はぎこちなく口角を上げた。
人事異動なんて珍しくない。誰がが去り、誰かが入るを繰り返す。ただそれだけのこと。
いつもなら気に留めることもないけれど、『架』という新たにもたらされた刺激は、亜生に深い溜め息を誘う。
架の周りには、自然と女性たちが集まっていく。
彼が誰かに聞かれて「独身」だと言葉を
女性たちに共感する訳でも、遠巻きで見ている男性陣に同情する訳でもない。自分が『ゲイ』だという事実が浮き彫りになるだけのこと。
『理想と現実』、言葉の意味を誰よりも分かっているから、「感情」とか「欲」というものを素直に表せている彼らが
* * *
恵と並んで歩く終業後のエントランス。
「佐久田くん」
呼ばれた声に振り返ると、架がこちらに歩いてくる。
照明の
架は微笑みながらも、目を
「ごめん。……今、大丈夫?」
今朝は気づきもしなかったけれど、架は恵よりも背が少し高くて、亜生が思っていたよりも大きい。
「いえ……。えっと、こちら新條さん。今日付けでうちに異動になって。こっちは同期の幡川です」
亜生が話していると、架は恵の胸元に下がっていた社員証を目で追っていた。
「営業部の幡川です。……じゃあ俺、先に店に行ってるから」
恵はそう切り上げると、社員証を首から外しながら一人で立ち去る。
「もしかして、大事な話してた?」
架は少し表情を
「大丈夫です。それで、何ですか?」
「ああ、ごめん。大したことじゃないんだ。佐久田くんと、話をしてみたくて」
架は首に手を当てながら、苦笑いのような顔をしている。
「……そうですか」
亜生は当たり
不意に架の着けている爽やかな香りが鼻先を
「さっきの、幡川くん? 仲がいいの?」
「えっ? ええ、まあ。彼は幼馴染なので」
急に、架の顔が近づいてきた。
(えっ? えっ? な、何っ?)
亜生が驚きを隠しながら瞬きを繰り返していると、彼は言葉を続ける。
「あのさ、今度一緒に食事しない?」
(……は?)
突然何を言い出すのかと思えば、と亜生は喉まで出かかるが、それを
「ごめん、いきなりすぎたね」
架は静かに笑いながら顔を離すと、今は外を見ている。
同僚に食事の誘いを受けることぐらいよくある。けれど、あまりに突然に顔を近づけられて、動揺した。
本当にそれが理由なのか、眩しくて目を背けたい相手だからなのか、分からない。
彼にとっては深い意味のない行動でも、亜生の
「じゃあ、また明日」
架が微笑みを向ける。
「ああ、はい。お疲れさまです」
亜生は
* * *
亜生が店に着いた時は開店時間を少し過ぎた辺りだったけれど、店内はすでに
その中で、見慣れた顔がいかにも不機嫌
亜生が椅子に腰を下ろした。
向かいの席の恵が、
「もういいの?」
「うん。待たせちゃって、ごめんね」
亜生は苦笑いをしながら、テーブルに置かれていたメニューに目を通す。
「注文まだだよね。恵は飲み物何にする?」
亜生が視線を上げる。
恵は肘を戻して、テーブルの上で両手の平を組んだ。
「さっきの、新條さん? 仕事はできるけど、『うちの会長の孫娘と婚約』とかっていう
肩を下げながら、恵は息を一つ
「言ってる意味、分かるよな?」
噛み
「うん。それで?」
亜生はさらりと返事をして、メニューを置いた。
自分が女性なら、恵の言うことも理解はできる。けれど『男性』の、しかも『ゲイ』の自分には、そんな噂話なんて関わりようのないこと。
亜生は目の前に置かれていた水を一口飲んだ。グラスをテーブルに置くと同時に、恵が大きな溜め息を
「……食事にでも、誘われたか?」
「何で知ってんの?」
亜生は思わず声が漏れた。
「『似てる』って、思っただろ」
恵の言葉に、亜生は今度は息を呑む。
似てるのか、と亜生は視線を落とす。架と話すとどこか落ち着かないのも納得ができた。
目線を戻すと、恵は物言いたげな顔でこちらを見つめていた。
亜生が無理やり笑顔を作ると、恵の顔から
「何かあったら、すぐに言えよ。それと、明日の夜は俺ん家で夕飯。約束、忘れんなよ」
この話はこれで終わり! とばかりに、恵はメニューを見始めた。
亜生はそんな恵の姿を頼もしく見ていた。
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