09
扉から顔を出したのは紫がかった長髪の少女。
「私が行くわ」
部屋から出て来て、少女は大魔法使いの目を真っ直ぐと見た。
大魔法使いは少しの間茫然として、椅子から立ち上がる。
「まっ、待ちなさい。まだ賊や野生動物もうろついているというのに」
「私もう十七よ? そんなのにやられるほど弱くは無いわ」
大机の前に立っていた男女二人に視線をやる。
「私ならついて行くと言ったって、友人として何ら不自然ではないはず」
決意の込もった目で、少女は男女の方に顔を向けた。
「それに、記憶消去をかけたのは私なんだから」
少女の説明を受け男女は顔を見合わせて大魔法使いの方を見た。
大魔法使いは二人の表情を見た後、横に立っている少女に視線を戻す。
「……あれは確実な魔法ではない。隠し通すのは大変な事じゃぞ」
「当然、分かってるわ。……隠せるのは魔王城までだってことも」
最後の一言は小声だった。
鞄を肩にかけ、屋敷を出ようとした少女を白衣の老医者が引き留める。
「すまない。旅立ちの前に、君に伝えておきたいことがあって……」
怪訝そうに少女は顔を上げる。
膝に手を置いて息を突き、老医者は少女に目線を合わせた。
「……彼は、辛いと言うことが出来ないんだ」
老医者の言葉に少女は目を見開き、だがすぐにその言葉に納得する。
「……どうしてですか」
しかし疑問はあった。
「余りにも辛い思いをしたせいで、もう辛いのが分からなくなってしまったんだ」
質問に答え、老医者は少女の両肩に手袋をはめた大きな手を置いた。
「だから、誰かが気が付いてあげないといけない」
少女は俯いて黙っていた。
だが顔を上げ、しっかりと頷く。
それはよくある、勇者が世界を救う物語だった。
ただどこで歯車が狂ってしまったのか、それは最悪な悲劇となった。
「う……っ」
地下室の床に広がった血の上に崩れるように倒れ、セルは僅かに瞼を開ける。
手を離してみると血がべったりと付いていた。
「……あ……あれ」
自身の胸を貫く一本の剣。その簡素ながら神秘的な装飾には見覚えがあった。
「な……んで、ここ、に」
血の伝う刃が月明りで赤く光る。剣に貫かれたままセルは床に向かって大量の血を吐き、口から血を垂らして不思議そうな目で伝説の剣を見た。
血がどくどくと流れ続ける体を起こし、後ろを振り向く。柱の傍に毛布が落ちており、柱には千切られた縄が巻き付いていた。
「…………そっ、か」
セルの表情から力が抜ける。
決して笑みではなく、どこか安心したような、無表情だった。
「こ……れ、で……」
突いていた手が血で滑ってセルは床に崩れ込む。
僅かに伸びた髪が、血に浸って赤く色づいたように見えた。
「ごめんな、さい」
乾いた頬を血が濡らす。
細い月明りの中で、セルは再び眠りについた。
誰もが被害者であり加害者であった。
ただ誰か一人犯人を探し出すならば、その悲劇の犯人は
勇者だった。
【 第四章 遺書 完 】
礼服を着て、レンガの道を歩くケシィ。
地面を見つめながら何かを考え込んでいる。
「……やっぱり、変よ」
屋敷の門の前で立ち止まって、黒い塗装がされた門を開ける。
「誰かがセルに書かせたとか……そうでなかったら、あんな文章」
呟くその表情は暗く、どこかやつれているようだった。
「ただいま……」
重そうな扉を開けて言うも、返事は返ってこない。
「……おじいちゃん?」
開け放されたままの書斎の扉に首を傾げ、ケシィは扉を閉めて家の中へ入った。
目をこすりながら廊下を進み、書斎の中へ立ち入る。
「おじいちゃ……」
分厚い本を手に、大魔法使いは絨毯の上で横たわり、目を閉じていた。
「え……な、何してるの、おじいちゃん」
しゃがみ込みケシィは大魔法使いを揺さぶって何度も呼ぶが反応は無い。
よろけながら立ち上がり、振り向いてケシィは部屋を飛び出した。
数人の看護師が囲む中、大魔法使いは病室のベッドで眠っていた。
老医者が当てていたペンライトを離す。
「せ、先生……おじいちゃんは」
椅子に座っていたケシィが立ち上がる。老医者はペンライトの電源を切って、ずらしていた毛布を掛け直し、ケシィの方を向く。
「……お亡くなりになられた。だが……」
それ以上の言葉はケシィの耳には届いていなかった。
医者の説明を受けながら、ケシィは茫然と瞬きを繰り返していた。
真っ暗になった廊下の長椅子の上で目を覚ます。
泣きはらした目をこすりながら、ケシィは体を起こして椅子に座った。かけられていた毛布が床に落ちた。
暗闇の中、虚ろな目で毛布を見つめる。
「……もう、やだ」
呟きと対極的に、長椅子の上に置いた手を震えるほど強く握りしめる。
その決意を深く深く胸に刻み込むように。
数本の花を持ってレンガの道を歩くケシィに、セルの母が声をかける。
「ケシィちゃん……その、先日は……ご愁傷さまでした」
丁寧に頭を下げた母に、ケシィも下げ返した。
「……それで、これからって……ケシィちゃん、一人暮らしだよね」
母が顔を上げる。目には隈が出来て、顔色も酷く青白かった。
「だから、その……うちに」
言葉を続けようとした母の手をケシィが取った。
痩せた細い手に花を三本渡し、首を横に振る。
「私は大丈夫です。もう、十七ですから」
手を離し、下がってしっかりと顔を上げる。
母はその表情をしばらく見つめていた。
だが、納得したように小さく頷いた。
「……うん。分かった」
手渡された花を見て、ケシィの方を向く。
「でも、何かあったら遠慮無く言ってね? 義理の親子みたいなものなんだから」
再び軽く頭を下げる。
「お花ありがとう。じゃ、また」
花をそっと握り、力無い笑みを作って母は歩き出した。
振り向いてケシィは反対方向へと歩き出す。
紫がかった髪をなびかせて、歌すらも聞こえてこない静まり返った町の中を、屋敷への帰り道を真っ直ぐ、淡々とした足取りでケシィは歩いて行く。
決して笑みでは無く、強い信念のこもった無表情で。
伝説の勇者だから魔王と平和交渉することにした
完
城の窓際で魔女は頬杖を突いてぼんやりと外を眺めていた。
空には紫の雲が渦巻き、辺り一帯に強い魔力が張り詰めている。
「……さ、てと」
窓際から離れて思い切り背伸びをした。
「いっちょ、人類滅ぼすか」
合わせていた手を解き、魔女は腕を組んで頷く。
予告
その幼さ故に二歳児と揶揄される盗賊の少年。
ゴーイングマイウェイな勇者に世界を救えと言われた彼の運命や、如何に。
それは、全てを終わらせるための物語――
続く
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