08
伝説の勇者が失踪してから一か月の時が経った。
「申し訳ありませんが……ここで」
深く頭を下げる兵士達。母は泣き崩れ、父は歯を噛み締める。
その日、セルの捜索は打ち切られた。
「勇者失踪……とうとう捜索打ち切り、かあ……案外早かったな」
地下室の壁に寄りかかって紙を眺めていた男がセルを見下ろした。
「残念だったな。もう助けは永久に来ねえようだ」
雑巾を手に床を拭いていたセルを片足で蹴る。セルは横によろけ、崩れて雑巾に顔を付けた。
「うえっ……きったね、さっさと顔洗って来い」
床に手をついてセルは体を起こそうとするも、途中で男に髪を掴み上げられる。
「返事くらいしねえか」
それでも無言のセルに、男は舌打ちをしてセルを床に放り投げた。
セルはよろけつつ立ち上がっておぼつかない足取りで水道へ向かう。
あれから集団の人数は大きく減った。
一人、また一人と抜けて、今では残った十人程がこの地下室で生活をしていた。
「……おい、待て」
赤髪の女に呼び止められてセルは足を止める。女はセルの頭部を掴んで自分の方を向かせた。
「ここ数日妙に反抗的じゃねえか。何のつもりだ?」
セルは頭部を掴まれたまま半開きの目で女の顔を見上げた。その首元にくっきりと出来た手の形のアザを見て、女は顔を一層しかめる。
「……勝手な行動はすんな」
頭を持ち上げ、セルを床に投げた。よろけつつ起き上がろうとするセルを見下ろしていた女だったが、ふと腰に下げていた包みから握り飯を取り出した。まだ起き上がれていないセルの髪を掴んで顔をあげさせ、その口に押し込む。
「食え。……軽すぎて手ごたえが無え」
しかしなかなか飲み込まないセルに、女はより強く握り飯を押し込んだ。少し間を置いて、セルはそれを少しづつ飲み込みだした。
息をつき女は振り向いて立ち上がる。
と、同時に後ろでセルが飲み込んだものを全て吐き出した。
従順なセルに、待遇は次第に穏やかな物へと変わっていった。
中には憎悪を向け続ける者もいたが、それは少しづつ影を潜め、逆に反抗を見せないセルに対し同情心すらも向けられ始めていた。
「なっ、何して……って、まさか、こいつ」
激しく咳き込み続けるセルの姿を見た女は、部屋の隅でこちらを見ていた茶髪の少年に声をかける。
「お、おい! こいつはちゃんと食ってんのか」
少年はセルを見て、首を横に振る。
「食ってねえ……来てから一度も。それに、寝てすら」
女がセルの胸ぐらを掴み上げた。立ち上がりかけたセルのズボンから吐瀉物が床に落ちる。
「……まさかとは思ったが、死ぬ気か」
女に睨みつけられてなお、セルは朦朧とした目を床に向けていた。女は思い切りセルの頬を殴って怒鳴りつける。
「テメェなめてんのか、んなことさせる訳ねえだろ!」
セルを床に放って袋から新たな握り飯を取り出し強引にセルの口へと押し込む。
「食え! 全部飲み込め!」
額を押さえられたまま喉の奥まで押し込まれ、セルは僅かづつ飲み込みながらも口の端から胃液を垂らす。女が手を離すと同時にセルは横に倒れ込み、激しく咳き込みながら結局全てを吐き出した。
赤髪の女は大きく舌打ちをして先ほどの男の方を振り向く。
「睡眠薬持ってこい!」
「はっ、はい」
慌てて男は部屋の角に山積みになった木箱の中を漁りだした。
セルに視線を戻し、女は落ち着かない様子でじっとセルを見下ろしていた。
だがふとセルは咳き込むのをやめて、すっと瞼を閉じた。
「……気絶したのか……?」
しゃがみ込んでセルを覗き込もうとする。
が、突如動いた手に女は反射的に後ろへ飛びのく。
セルの両手は自身の首を掴み、強く握り締めだした。
「なっ……こ、こいつ、無意識のうちに」
「ああ、最近よくやってましたよ。でも水をぶっかければ起きます」
木箱の横に置いてあった水の張ったバケツを手に取り、男はセルの前まで来てバケツをひっくり返した。大量の水がセルにかかる。
「……あれ」
しかしセルは目を閉じて首を絞め続けていた。男はしゃがんでセルの顔を叩く。
「おい、起きろ……おい、おい!」
両手の細い指が喉を締め付け、次第にセルの表情は苦し気なものへと変わっていき、握る手の力も強くなっていく。足をばたつかせ、セルは引きつるような咳をしだした。
「だっ……誰かこいつを縛り上げろ!」
女がセルの手を離そうとするも引き離せるような強さでは無かった。
「けど縛ったってすぐ解かれ」
「薬飲ませりゃいいだろ!」
セルはかすれた声を上げだした。足が当たった床がへこみ、麻布が破けて下の石が砕けて飛び散る。
「持ってきました!」
男がセルの頭を押さえ開かれた口に白い錠薬を十錠近く押し込むも、セルは大量の血を吐き出し、それと一緒に錠剤は流れ出る。
「こいつ舌噛みやがった……は、早く」
再び薬を瓶から取り出して数えもせずに男はそれをセルの口へ放り込んだ。強引にセルの口を閉じて、飲み込んだのを確認してその手を離す。
「おい、回復を」
「う、うん。回復魔法!」
金髪の女が唱えると流れ出ていた血は止まった。力が弱まったセルの手をどうにか引き離して縄でくくり、その縄を体と足に巻き付ける。
咳き込みながら声を漏らすセルの口に男は縄を押し込んで噛ませた。
「こ、こいつどうしますか?」
動こうとするセルを床に押さえつけて男は赤髪の女を見上げた。
「……とりあえず、そこの柱に縛り付けておけ」
男は返事をして、セルを押さえながら柱まで連れて行きそこでセルを座らせた。縄を柱に括り付けてセルの体を頑丈に固定する。
柱に縄で縛り付けられた状態で、セルは縄越しに声を上げ続ける。
セルから視線を離さないまま男は後ろへ後ずさった。
「あいつ……完全に壊れちまったのか……」
縄がすれ合う音を立て続ける。セルの瞼は閉じられたままだった。
震えている少年を腕に抱き、赤髪の女は無言でセルを眺めていた。金髪の女含め、部屋にいた全員の視線がセルへと集中している。
その視線に憎悪はもう無く、同情心と恐怖だけが部屋の中を支配していた。
そしてこの日、中央国では伝説の勇者の葬式が行われた。
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