05

「それで、家に…………」

 ベッドの上で目を覚まし、セルは不思議そうに数度瞬きをした。

 しかしすぐに元の虚ろな目へと戻る。

「ああ、セル君起きたかい? 今これ外すからね」

 ベッド際に座っていた白衣の老年の男は微笑みかけ、セルの体を拘束していたベルトを外していく。頭のベルトを外し、全てのベルトを回収する。

「今日はありがとう。薬はもうすぐ切れるはずだから」

 床に置いていた黒い革製の鞄を持ち上げ、上に置いていた聴診器を首にかけた。

「おやすみ。また来週」

 セルに軽く手を振り、男は部屋を出て行った。



 扉の向こうから話声が聞こえてくる。

「お辛いとは思いますが……そろそろ、入院を検討して……」

 男が話す声に続き、父と母が返事をする声。

「……何かありましたら呼んでください……では」

 両親が礼を言い、男の足音は遠ざかっていく。







 窓からこぼれる日の光を浴びて、台所で料理をする母。

「……セル以外誰も居ないし、久々に一人鼻歌コンテストでもするかっ」

 独り言を言って、フライ返しをマイク代わりに手を上げる。

「いえー」

 言いかけた時、扉の方でノックする音。

「……あ、あれ? 急にお医者様が来たのかなー?」

 赤面しつつ母はフライ返しを置いて濡れた手をタオルで拭き、扉の方へ歩み寄る。


「はーい……って、あれ」

 扉を開けると、そこには誰も居なかった。母は軽く震え、扉を閉めようとする。

「えっ」

 下の方で少女の声。閉めかけた扉を開けて母が見下ろすと、そこにはテラが困った様子で小包みを持って立っていた。

「ああ、テラちゃんか。今日は一人?」

「はい。父はサイショの村へ行っているので」

 テラはにっこりと笑う。母はどうぞ、とテラを中へ招き入れる。



 膝に手を置き、机に向かって椅子に座るセル。

「セル、テラちゃん来たよ」

 母がセルの肩を軽く叩いた。セルは机を見つめたまま反応を示さない。

「ほら、せめて顔くらい上げて……」

「あ。大丈夫です、これをお渡ししたら帰るつもりだったので」

 テラは母にかわいらしいラッピングの小包を丁重に手渡した。

 母は受け取った小包を眺めてみる。

「ん? この匂い……レモンケーキ?」

「はい、村の方に渡す分を作り過ぎてしまったので……」

 当たった、と母は笑って、小包をセルの顔の前に持っていく。

「これ、テラちゃんの手作りケーキだってさ」

 セルに見せつけた後、見つめている先に包みを置いた。


 テラはやや不安そうに椅子に座るセルを見上げる。それを見て母は軽く苦笑いして、同じくセルを見た。

「この子ね、かなりの甘党なんだよ。特にケーキは大好物でね」

 セルを見る母の笑みがいたずらっぽくなる。

「予防接種の時大暴れしてたんだけど……ケーキあげるって言ったら急に大人しくなってさ、半泣きだったけど。しかも当時十二歳」

 昔を思い出してその笑みは少し寂し気になった。

 テラはそれに気が付き、かわりに笑みを作る。

「……あ、暴れたってどのくらいですか?」

「道中の空き家一つ吹っ飛んだ。工事費節約になったって言われたけど」

 母の表情に笑みが戻る。それを見てテラはほっと息をついた。

「では、そろそろおいとまします」

 母に丁寧に頭を下げる。

「あれ、本当にもう帰っちゃうの?」

「はい。父ももうすぐ戻ってくると思うので」

 母に笑いかけ、テラは扉を開けた。

 レンガの道を歩いて行くテラを母は手を振って見送った。


 扉を閉めて、壁に寄りかかりつつため息をつく。

「あんなちっちゃい子に気を遣わせるなんて……私もまだまだだな」

 顔を上げ、椅子に座っているセルを見た。その後ろで上がる煙。

「……あっ、火消すの忘れてた」

 フライパンの卵焼きは真っ黒になっていた。




 レンガの道を歩くテラ。

「この歌……何て言うんだろう」

 どこからか聞こえてくる歌に耳を澄ませる。だが、横から伸びた手に腕を掴まれ裏通りに引き込まれた。

「きゃっ」

 口を布で覆われ、テラは何者かの腕の中で眠りについた。








 扉を開けた父は無言で床に座る母を見ていた。

「……怪我は、してないのか」

 やっと口を開いた父に、母は振り返って笑って見せた。

「うん。……つい、命令形で言っちゃってさ」

 抱いていたセルの背中を優しくさする。

 セルは両腕を母の背中に押さえられて全身を震わせていた。開ききった目は床では無い何かを見ている。

「大丈夫。怖くないよ」

 母は動かないセルに言葉をかけつつ、肩の向こうの床をじっと見た。

「寝ないと」

 ふとセルが消え入るような声で言葉を漏らした。母が回していた腕を解くと、震えは治まり、セルはすっと立ち上がって自室へと戻って行った。

「……このところ、多くなってきたな」

 閉まった扉を見ながら父が呟く。母は扉から視線を外し、床へと落とした。

「でも……出来る限り、傍にいてあげたいよ」

 告げられた言葉を思い返し、母は涙のにじむ目で父に振り向いた。




 窓の外は闇一色になり、ちらほらと家々の窓から灯りが見える。

 暗い部屋の中、ベッドに横たわってセルは瞼を閉じていた。

「……あ」

 息を吸い、セルの目は見開かれる。


 突如セルの顔の上に水色のゲル状のものが広がった。

「えっ何……ってあ、兄貴!? すいませんっ!」

 ゲル状のものは声を上げて咄嗟にベッドから降り、人型に変わった。

「や、夜分遅くに不法侵入すいません……た、大変なんっす」

 プルは血相を変えてセルを見た。

「テラ姉さんが誘拐されたんっす。い、今は南の国に……」

 寝ていたセルの手を取って引っ張った。

「頼れる人が兄貴しかいないんっす。一緒に助けに行きましょうっ!」

 しかしセルはびくともしなかった。それどころが無反応。


 だったが、その目はより一層見開かれた。

 セルはベッドから起き上がりただならぬ様子でプルを見た。

「……無事伝わったみたいっすね。じゃ、行くっす」

 歩き出そうとしたプルの手からセルはするりと抜けて、部屋の隅に置かれていた箒を手に取った。

「え、箒は」

 プルが横を向くより先に、セルは箒の柄を自分の胸に突き刺した。

 床に血が飛ぶ。箒の先端は折れ、部屋に木片が散らばり少量の血が垂れた。

「…………あ、兄貴……?」

 折れた箒を見つめ、セルはあ、と声を漏らした。

「剣を探さないと」

 呟いて、箒を落として扉の方へ歩き出すセル。慌ててプルが立ちふさがる。

「あ、兄貴……い、一応確認するんすけど、その剣で何するんすか……?」

 扉を塞がれたセルは茫然とプルの顔を見つめた。シャツの胸部には穴が開き、血の染み出ている胸の傷周辺には細かい木片が刺さっている。

「……答えてくださ」

「僕の胸に刺す。そしたら死ぬから」

 抑揚無く呟いたセルにプルは言葉を失った。セルはしばらくプルの顔を見つめていたが、動かないプルに諦めたらしく俯いた。

 下ろしていた両手を上げ、自身の首にかける。

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