04

 窓際に文を咥えた鳩が止まる。

「あれ、伝書鳩?」

 机を拭いていた妻は鳩の鳴き声に気が付き、窓際に歩み寄る。

「今どき珍しい……よほどの速報が」

 鳩から文を受け取りつつ、そこで妻の表情が凍り付いた。






「こちらの部屋です。どうぞお入りください」

 兵士は救護室の前で立ち止った。

「あ、ありがとうございます」

 兵士に促されたテラとプルは、軽く頭を下げて、目の前の扉のドアノブに手をかける。不安げに顔を見合わせた。

「し、失礼します……」

 恐る恐る扉を開け、テラが中を覗く。


 扉を開きかけたままテラは手を止めた。

「……え、ケシィさん?」

 ベッドの横で座っていたケシィは、後ろを振り向いて二人を見た。

「えっ、ケシィ姉さんが何でここに……て、あれ」

 開きかけの扉を開いて、プルは目を見開いたまま中へ入る。

 ベッドに横たわり、点滴の管に繋がれて仰向けに眠るセル。

「何で兄貴……寝てるんすか……?」

「腕を刺されたのよ。さっき一度目を覚ましたわ」

 椅子に座ったケシィはセルの寝顔を見た。

「ケシィさん、私たち……勇者様が腕を刺されたと聞いたのですが……」

 扉の前に立ったまま、テラは瞬きをしてベッドを見る。

「ええ。勇者はセルよ」

 答えて、セルの一束だけ赤い黒髪に目を移す。

「え、あの、唐突過ぎて色々理解できないんすけど、つまり……」

 プルは同じく、勇者の証であるその髪を見た。

「兄貴が、魔王を倒した……って、ことっすか?」

 何も言わずにケシィはセルの寝顔を見つめていた。



 テラがケシィの肩を掴む。

「答えてください! ケシィさん」

 肩を揺すられる中、ケシィは俯いて黙っているのみ。

「何でセルさんがそんなこと……な、何か事情があるんですよね」

 手を止めてテラは寝ているセルの方を向いた。

「セルさん起きてください。起きてますよね」

「駄目よ。まだ寝かせ……」

 ケシィがテラを止めようとするも、既にセルは目を開いていた。

「あ、セル……」

 セルは手をついて上半身を起こし、ベッドから降りようとして床の上に転げ落ちた。手に付けていた点滴が外れる。

「セル、ベッドに戻って」

 椅子から立ち上がってケシィはセルの手を取った。起き上がろうとしたセルは床に向けて大量の血を吐き出し、口から血を垂らしながら立ち上がった。

 そのままおぼつかない足取りで歩き出そうとする。

「セル。ベッドに戻りなさい」

 先ほどより強く言われ、セルはぴたりと立ち止った。

「……はい」

 ベッドへ方向転換してよじ登り、毛布の上に目を開けたまま仰向けになった。

 セルに向けて回復魔法を唱え、ケシィは再び椅子に着く。



 一連の流れを見ていたプルが二人から数歩下がった。

「……お、おかしいっすよ。お二人とも」

 ケシィは椅子から立ち上がってベッド際のコップを手に取り、セルの体を起こして水を飲ませようとする。しかし口に水を入れた瞬間、セルは咳き込みながらそれを吐き出した。セルの服に血の混ざった水がかかる。

「おかしくなんてないわ。ほら、水は定期的に飲まないと駄目よ」

「はい」

 手渡されたコップを受け取り、セルは水を飲もうとするも全て吐き出してしまう。吐き出すたびにセルは再びコップの水に口を付けた。口から血交じりの水がこぼれる。

「ケシィさん……や、やめさせてください。全然飲めてません」

 見るに耐えかねたテラがケシィに訴える。

「何言ってるの。セルはちゃんと飲めるわ」

 ケシィは水を飲もうとしているセルの背中をさすった。

 コップにはあと少し水が残っていたが、セルは咳き込むと同時にコップを足の上に落とした。残っていた水が全て服の上に広がる。

「あっ……ご、ごめんなさい」

 セルは足の上に転がるコップを見つめた。

「いいのよ。すぐに汲み直すわ」

 コップを手に取り、ケシィは救護室に備え付けられた水道で水を溜める。

 テラは僅かにセルに近づくも、セルは濡れたズボンの膝を見つめて動かない。

「セルさん、どうしちゃったんですか……き、昨日まではあんなに」

「全くいつも通りじゃない」

 水の入ったコップを茫然としているセルに手渡し、掴めていないセルの手を外側から支えた。

「さ、飲んで」

「はい」

 セルはコップを口元まで運び、傾ける。少量の水が口からこぼれ、入った水もすぐに膝に吐き出してしまう。そして再びコップに口を付ける。

「な、何でさっきからずっと言いなりに……せ、セルさんやめてください」

「はい」

 テラが言うとセルはすっと動きを止めた。テラは息を止め、視線を外さないままセルから数歩後ずさる。違う、と小声で繰り返し呟いた。

 コップを持ったまま動かないセルに、ケシィは再び水を飲ませようとする。

 プルはその光景に俯いて、両手をゲル化するほど強く握った。

「け、ケシィ姉さん……現実を見るっす、すでに兄貴は」

「認められるわけないじゃない。こんなこと」

 抑えた声で言う。首を横に振り、下ろしていた髪が微かに乱れた。

「もう記憶消去は使えないのに……そしたら、ずっと、このままかもしれないのよ」

 焦燥と不安に満ちた声で押し出すように呟く。

「大丈夫よ。ね、セル、水を飲んで」

 確かめるようにセルの手を握った。



 部屋の端に突如魔力が集中する。

「……っと。到着です」

 周囲の魔力がかき消され、現れた青ローブ、転移魔法屋の女が顔を上げた。

 驚いてセルを除き、三人がその方を見る。

「港の国の城、救護室で間違いないですね?」

「え……は、はい」

 女のはっきりとした物言いに、テラが返事をして頷いた。

「では、私は城下町に戻りますね。あ、勇者様お大事に」

 丁寧に頭を下げ、女は後ろを振り向いた。

「あ、ありがとうございます」

 女の後ろに立っていた妻は丁寧に頭を下げる。結ばれた髪が前に垂れた。

「転移魔法っ!」

 転移魔法屋の女が唱えると、女の姿は魔力に包まれて消えた。


 後に残されたのは妻、夫、そして老男性。

 一同は黙りこくり、向かい合ったまま部屋に沈黙が走る。

「あっ、そうだ。自己紹介してない」

 切り出したのは妻だった。妻は丁寧に頭を下げた。

「セルの母です。うちの子がお世話になってます」

 えっ、とテラとプルが声を漏らした。夫も習って頭を下げる。

「父です。不束な息子ですが、どうぞ」

「それじゃなんか婿に出すみたいだよ」

 すかさず妻、改めセルの母が言った。それもそうだなと父は呟く。

「それからこっちが中央国大魔法使いの……」

 母に促され、茫然としていた老男性は三者の中で最も丁寧に頭を下げた。

「わしはケシィの祖父じゃ。いつも孫と遊んでいただき……」

 老男性改め大魔法使いは咳き込んだ。母に支えられ、上半身を起こす。

 突然のことに旅人三人は固まって現れたばかりの三人を見ていた。母は旅に加わった二人の姿を見て僅かに微笑み、それからケシィを見た。

「ケシィちゃん……ごめんね、大変だったでしょ」

 歩み寄り、立ち尽くしていたケシィを抱きしめた。そして、その後ろで上半身を起こし、コップを見つめているセルに視線を移す。

「こんなに長いこと旅ができたなんて……ケシィちゃんと、二人のおかげだね」

 手を離し、母はセルの手からそっとコップを取ってベッド際の机に置いた。

「じゃ、そろそろ帰ろっか。パパ、転移魔法屋さん呼んできて」

「……ああ」

 父は頷いて扉から部屋を出た。


 母は再びセルの方を向いて、体を起こしていたセルをベッドに寝かせた。

「……と、言うことで……身勝手で申し訳ないんだけど」

 テラとプル、そしてケシィを見て微笑みを作る。

「セルはこの旅から抜けます。今までありがとうございました」

 三人に向けて、ゆっくりと頭を下げた。

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