02

 湯に浸かる男子陣。

「あれ、プルなんか赤くなってる……?」

「仕様っす」

 ほんのり赤みを帯びて髪と目の色が赤紫になっているプル。

「あ。こういう時、男は女風呂を覗くって聞いたんすけど」

 兄貴はしないんすか? と平然と言ってしまうプル。

「しっ、しないよ!? それどこの情報……」

 できればしてほしかった、と地の文。

「研究所に居たミノタウロス情報っす」

 手を組んでプルは湯で水鉄砲をして遊びだす。


 横で真似して手を組んでみていたセルがふと口を開いた。

「……そういえば、プルっていつまで研究所に居たの……?」

 プルは手を止め、少し考え込む。

「えっと……確か一歳くらいまでっすね」

 腕を組んで遠い目をする。

「脱走したんすよ。俺だけ」

「えっ……だ、脱走って」

 セルは壁に寄りかけていた体を起こした。

「隣の檻に、色々知ってるバジリスクのばあちゃんがいたんすよ」

 足で湯を掻きまわしながらプルは話し出す。

「あそこって食事以外基本的にやることないんすよ。だから俺、ばあちゃんの話聞くのが大好きだったんっす」

 思い出話に耳を傾けつつ、セルは水面に映る星を見つめた。

「若い頃外で生活してたらしくて、この世界のこと色々知ってるんすよ。勇者伝説の話とかも聞いたっす。けど、それ聞いてたらやっぱりここが安全で一番だなって……」

 思ってたんすけど、とプルは空を見上げる。

「ある日唐突に本当の話を聞かされて、逃げろって言われたんっす」

 ちゃぷ、と音を立てて湯に首まで浸かった。

「スライム用の檻って隙間が無いんすよ。けどそう言われた次の日に、急に檻に穴が開いて……逃げた後気が付いたんすけど、それやったのばあちゃんだったんっす」

 次見に行ったら誰も居なくなってた、と言った所でプルは黙った。

 再び壁に寄りかかり、セルは口元まで浸かって水面を眺めた。

「前に……初めてあった時、強さに憧れたって言ってたよね」

「はい。俺強くなりたいんっす」

 どうして? とセルはプルを見た。

「だって、強くないと……正しいこともろくに言えないような世界じゃないっすか」

 プルの言葉にセルは息を飲み、水面へ視線を落とす。

「まっ、力でゴリ押しはダメなんすけどね」

 そう言ったプルに、セルは水面を見たまま苦笑いをした。

 プルはすっかりピンク色になった髪を手で仰いで、浴槽から上がろうと立ち上がった。それと同時に浴室の扉が横に開いて、腰にタオルを巻いた男が入ってきた。


「あっ」

 思わず声を漏らすプルとセル。

 男の頭には狼の耳、そしてタオルの下からは灰色の尾が出ていた。



 目を丸くして見ている二人に気が付いた男は、笑いながら手を横に振った。

「安心して、俺獣人だから。オオカミ獣人」

 二人の緊張が解けた。セルは慌てて頭を下げる。

「すみません、てっきり……」

「構わないさ。しょっちゅう間違われてるからね」

 同じ獣人からですら、と苦笑して男はシャワーの蛇口をひねる。立ち上がりかけていたプルが湯船を出る。

「じゃあ俺お先に上がるっす。兄貴はまだ入ってるっすか?」

「うん。もう少しだけ……」

 女風呂から女将の甲高い悲鳴が上がった。


「い、今のって……」

 女風呂との仕切りを見てプルは浴室を駆け出た。

「ぼ、僕も出るっ」

 セルは慌てて湯から上がって、プルと共に浴室を出て行った。






 顔を真っ赤にして床に寝かされているテラ。

「て、テラどうしたの!?」

 濡れた髪のままフードを被ったセルが駆け寄る。

「のぼせたのよ。……私より先には上がらない、とか言って」

 呆れたようにため息をつく。ケシィはまるで涼し気な表情。

「ちくしょう……次こそは、ぜってぇに……」

 起き上がろうとしたテラの額から濡れタオルがずれて落ちた。

 ケシィはタオルを直しつつテラの体調を確認する。

「この程度なら水分を取って寝れば治るわ。何か飲み物を」

「あっ、じゃあ俺買ってくるっす」

 挙手するプル。

「ええ。ならお願い……あ、冷たいのを買ってくるのよ?」

 ローブのポケットから銅貨を一枚取り出してプルに手渡す。

「そのくらい分かってるっす。じゃ」

 銅貨を手にプルは廊下を走り出した。



 再びずれたタオルを直して、セルは熱い息を吐くテラを見つめた。

「テラって……何だか、変わったよね」

 廊下の向こうを見ていたケシィがテラを見た。

「言われてみると……前より素直になったような」

「うっせえ。それ言うならプルのが変わってんだろ」

 閉じていた目を開けて、テラは寝たままプルが走り去っていった方を見た。

「初めは考えの読めねえ奴だと思ったが……今思えば単なる馬鹿だな」

「それもそうね」

 頷くケシィ。そこへ瓶片手にプルが戻ってきた。

「……やっぱりね」

 瓶の中身は薄ピンク色、ラベルにはいちご牛乳の文字が。

「冷たいの買ってきたっす! さ、どうぞ。姉さん」

 満面の笑みでプルは横たわるテラにいちご牛乳を差し出した。

 テラはあからさまな嫌悪感を表情に示す。

「て、テメェ……吐き気してる所に、んな甘ったるいもんを……」

「え……こ、これ嫌いだったっすか……?」

 いちご牛乳を持った手を引き、プルはしょんぼりとした寂しそうな顔。

「…………いや、飲む」

 テラは立ち上がってプルの手から瓶をひったくった。

 そして蓋を剥がして腰に手を当て一気飲み。唖然として眺めるケシィ。


 手を下ろし、床を見つめて苦虫を噛み潰したような表情。

「……う、うまかったぞ」

 顔を上げて引きつった笑み。

「良かったっす! じゃあそろそろ……」

 部屋へ戻ろうとするも、テラは壁に手をついて反対の手で口を押えた。

「…………やっぱ無理だ」

 はあ、と二度目のため息をついて、ケシィはテラの手を引いた。






 部屋のベッドで壁を向き、テラは毛布をかぶっている。

「うう……ちょ、ちょっと外の空気に当たってくる」

 毛布を落としてテラはベッドから起き上がった。よろけたテラをケシィが支える。

「私も付いていくわ。テラ、一人で歩ける?」

 テラは頷き、部屋の扉に向かって歩き出した。その後をケシィが付いていく。

 扉を開け、二人が部屋を出た。

「あ、お……俺も行くっす!」

 後を追ってプルも部屋を出た。

「あ、行ってらっしゃい」

 廊下を歩く三人にセルは軽く手を振った。

 部屋の中にセルだけが一人残される。


 セルは扉をしっかりと閉め、フードを下ろした。

「びしょびしょになっちゃった……これも一緒に乾かさないと」

 壁に掛けられた送風機を手に取った。

「服もそのまま着たから濡れてるし、せめて上だけでも」

 シャツのボタンを外していく。


 部屋の扉が開いた。

「あっ、部屋間違えまし…………って、君」

 立っていたのは浴室にいた狼獣人の男。

「え……」

 茫然とセルは狼獣人の男の顔を見た。

「あ、もしかして着替え中……これは失敬」

 狼獣人の男は部屋を出て、扉を閉める。



「…………って、えっ!? その髪、まさか」

 再び扉を開けて二度見した。小さく悲鳴を上げてセルは後ろへ一歩退く。

「ゆ、勇者様……ど、通りで風呂の中でもフードを」

 扉の前に立ったまま、男はまじまじとセルを凝視する。

 困惑しきった様子でセルは頭を隠すも、無駄だと判断して手を下ろす。

「あ、あの……」

「勇者様、サインください! 俺大ファンなんです!」

 ズボンのポケットからペンとメモ帳を取り出し、手渡した。少しの間困惑を見せていたセルは、それらを受け取ってペンの蓋を外した。

 しゃがんで床の上にメモ帳を置き、丁寧にペンで名前を書く。

「……こ、これで大丈夫ですか?」

 立ち上がり、ペンの蓋を閉めてそれらを男に返す。

「あっ、ありがとうございます! あと、出来れば握手も」

「は、はい」

 差し出された男の手を、両手で包むように握る。

「うわあ……滅茶苦茶光栄です、どうしよう手が洗えなくなった」

「えっ、だ、駄目ですちゃんと洗わないと」

 慌ててセルは首を横に振り、狼獣人の男の顔を見上げた。

 物凄く嬉しそうな表情で握手する男。

「やっぱり、言ってもいいんじゃないかな……」

 セルは聞こえないよう小声で呟いて、笑顔になる。

「でもまさか、世界を救っていただいたお礼が直接言える機会が訪れるなんて」

 狼獣人の男は手を離し、一歩下がってセルの前で深々と頭を下げた。

 男の言葉にセルは再び困惑を見せる。

「あ、あの、僕はまだ何も」

「何を仰いますか。魔王を倒して、世界をお救いになられたというのに」



 え、と声を漏らしてセルは狼獣人の男の顔を見つめた。

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