12
「戻ったぞ…………て、何だ? 電気もつけないで」
暗闇の中で夫は壁から手探りで電灯のスイッチを探す。
快いカチッという音が鳴り、オレンジ色の電灯が付いた。
「あ、パパ、お、おかえ……っり、なさっ……」
部屋の隅で三角座りで号泣する妻の姿。
妻は夫に背中をさすられて涙を拭う。
「……お、落ち着いてきたかも」
「そうか。なら良かった」
立ち上がって夫は机の上の鞄を手に取る。妻も立ち上がり再度涙を拭って、丸めたティッシュを屑籠に捨てた。
「……今日、いつもの卵の人とそこでばったり会ってさ」
「つまりそいつに泣かされたのか」
「違う! 話が早い!」
真顔で鞄を漁る夫。取り出した新品の本には、魔法使いらしき成人女性が描かれている。ポップな字体で書かれたタイトル。夫は真顔のまま妻に本を見せた。
「伝説の勇者じゃないのに王様に魔王倒せって言われた」
「ま、まじ!? でも魔王は…………って何だタイトルか……」
伝説の、というのは夫の持つ本のタイトルであった。
「本屋で見かけてな。前は読まずに捨てたから……確かあいつは読んでたよな」
パラパラと本をめくる。
「あー読んでた。後で見たら夜這い的なシーンとかあったから焦ったよ」
妻はこぼれた涙を拭った。
台所に向かって蛇口をひねり、流しの中の食器を洗いだす。
「……実はね、卵の人の娘さんが、今あの子と一緒に居るんだって」
「なっ……で、もしや全部話したのか」
首を横に振る妻。夫は息をつき、落とした本を拾い上げて再び開く。
「話しても心配させるだけだし……ほら、無意味じゃん? 人に話しても」
流れる水音と共に妻はほんのり涙声。
「ただ、旅の話してたらさ。旅が終わる時のことをかっ、考えちゃ、って……っ」
流しの前にしゃがみ込んでわっと泣き出す妻。
夫は本を机に置き妻の傍に来て頭をやや乱雑に撫でた。妻の結ばれた髪が乱れる。
「まっ、また、あの子が……っ!」
「まだ無理だと決まった訳じゃない。……あいつは意外と強いやつだ、いつかは……」
視線を床に向け、妻の頭を撫で続ける。
細い窓から夕方の赤い光が漏れ込む。
「じゃ、そろそろこいつを売りに行く……と、その前に」
ジャンパーの男は椅子に座るセルを見下ろして腕を組んだ。
「変ないちゃもん付けられても困るからな、そのフード脱げ」
組んでいた腕をほどいてセルのフードに手を伸ばす。セルは咄嗟にフードを手で押さえ、頭を下げた。
「だ、だめ」
「いいのか? お前の仲間が代わりに売られても」
はっと息を止め、セルは押さえていた手でフードをずらす。
突如勢いよく扉が開いた。
おろしかけていた手を止めてセルは扉の方を向いた。
義手に杖を握ったケシィが、荒い息を吐きながら顔を上げる。
「セルっ! だっ、大じょ……」
ケシィとセルの目が合った。
「え……け、ケシィ……?…………な、何で」
目を見開いたままケシィを見つめるセル。ケシィは崩れ落ちるように深い安堵の息をついた。
そしてキッと氷柱のような視線を男に向ける。
「誘拐の首謀者は貴方ね」
瞬時に義手に魔力が溜まり
「電気魔法っ!」
杖の先から槍の様に鋭い青い電流となって放たれた。バチッと強く弾ける音を立てて男目掛けて一直線に伸びた稲妻は
「だめっ!」
男へ刺さるより早く立ちふさがったセルに直撃する。青白い閃光がセルの体を包み薄暗かった部屋内が青い光に照らされる。眩しさにセルは強く目を瞑った。
「せ、セル!? なっ……何やってるの」
ケシィは光の消えたセルの元へ杖を握り駆けつけた。あとのついた服から焦げた臭いが立ち上る。
「攻撃しちゃだめ、僕は何とも無いから」
首を横に振りケシィの両手を握ろうとした。
が、寸前で手を止め、上げかけた自分の手を茫然と見つめる。
「……セル? ど、どうしたの……?」
ケシィの杖の先に込められていた魔力が引いた。
セルは俯き、伸ばした手を段々と下に下げる。だがその手は下がり切る前にケシィの左手、生身の白い手に掴まれた。
「…………もう何もしないわ。早く戻り……」
取ったその手を引くも、セルは俯いたまま足を動かさない。
「で、でも僕、帰らないって……テラとプルに、酷いことを」
突如ケシィは片腕を掴んだままセルを抱きしめた。
少しの間放心し、セルはえ、と声を出した。
「大丈夫よ、貴方がそんなこと言うはずがないことくらい、皆分かってるわ」
背中に回した手の力が強くなる。
「仲違いしたのなら謝ればいいのよ。だから、一緒に行きましょう」
ぱっと腕を外し、セルの両手を握ってその目をじっと見つめた。
「…………う、うん」
俯き加減に頷いて、ケシィの手に引かれるままにセルは扉へ歩き出した。
床にへたり込んでいた男は立ち上がりハサミを取り出そうとするも、横目にケシィに睨みつけられ小声で短く悲鳴を上げて手を引っ込める。
扉の前に立っていた二人の前で止まり、ケシィはセルの手を離した。
テラとプルはセルの姿を見てほっと安堵の息を漏らす。
「よ、よかった……なら、転移魔法屋さんの所に」
言い出したテラを前に、セルは勢いよく頭を下げた。フードが僅かにずれた。
「ごめんなさい。助けに来てくれた二人を、追い返したりして」
震える声で手を強く握りしめながら言う。
「そのうえ突き飛ばしたりして、二人を、怖がらせて……本当にごめんなさいっ」
更に頭を下げた。テラとプルは頭を下げ続けるセルを茫然と見下ろしていた。
だがテラが首を横に振った。
「いいんです。セルさんがちゃんと戻ってきてくだされば、それだけで」
微笑みを浮かべて穏やかな口調で言葉を続ける。
「あれは追い詰めてしまった私にも非がありました……ので、おあいこです」
そう言いテラはプルを見た。プルは確認するように自分を指さし、セルを見てためらいがちに口を開く。
「あ、いや…………正直怖かったっす。兄貴ってあんな迫力あったんすね」
何か言いたげな様子でケシィとテラが唖然としてプルを見た。
「でも特に気にしてはいないっす。強いのは既に知ってたっすから」
プルはセルの前に手を差し伸べて、にっと笑った。
「ともかく無事で良かったっす。おかえりなさいっす、兄貴」
強く目を瞑っていたセルは目を開け、僅かに手を上げようとするもその手を引っ込める。が、プルがそのその手を取って持ち上げた。
顔を上げかけたセルの、反対の手をテラが取った。
「セルさん、おかえりなさい。さ、帰りましょう」
二人に両手を引かれ、立ち尽くしていたセルは顔を上げる。
そして涙の流れていない目で瞬きをして、笑顔になった。
「うん、ただい」
だがその笑顔は一瞬で凍り付いた。
開けられた扉の向こうから流れ出す暗色の冷たい血。
「……え、あ」
血の流れる先にはメイド服を赤に染めて横たわる001と、作業服の少女。
「い、いや……あ……」
口から血を垂らし横たわる少女の首に、包丁が突き立てられ血が跳ね上がる。
少女の細い首は切り口から血を流しながら横に転がった。
息を荒立て、血の滴る包丁を両手に少女を見下ろす黒パーカーの女。
「あ……頭が、落ちて……」
振り向き扉の向こうを見る三人。セルの目から光が消えた。
地平線に真っ赤な夕日が沈む。
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