13

 瓦礫の中を走り抜ける水色の毛の犬。

「足が速いのは良いけど……この毛色じゃ魔物だってバレバレっすね」

 犬は鼻をひくつかせながら進む。

「研究所のデザイン班は何考えて……ん?」

 人々の悲鳴を聞きつけて足を止める。漂う甘い香水の香り。

「この匂い……間違いなくサキュバスっす!」

 香水の香りをたどって犬は住宅地あとを猛ダッシュした。悲鳴の声が大きくなり、香りも強くなっていく。犬は息を整えながら立ち止る。

「や……やっと見つけっ…………!?」

 崩れた家の陰から覗き見て、犬は目を見開いた。

 だが、鼻をひくつかせて首を傾げた。





「セルやめてっ! 貴方は人殺しなんて…………て、あれ」

 ふとケシィが手を止めた。サキュバスは指を立ててくるくると回しながら二人の姿を眺めている。

「悲劇的だねぇ。でも抗っても無駄だよ…………ありゃ?」

 サキュバスも何かに気が付きその手を止める。


 再び手をセルの方へ突き出した。

「命中したはずなんだけど……もう一回っ」

 手のひらから黒い球が放たれる。先ほどより強い魔力を持った球は、瞬きをしていたセルの額に一瞬で吸い込まれる。

 が、吸収されずに流れ出てセルの顔を伝った。完全に目を覚ましたセルは魔力を袖で拭い落した。袖に出来た染みは風に流されて消える。

「な、なにこれ……魔力が弾かれてる……?」

 サキュバスは手の先に魔力を集中させて止めた。反対の手が緩む。

 その隙にテラは腕を潜り抜けて二人の方まで後退した。

「どうやら魔力切れらしいわね」

 ケシィはサキュバスに改めて杖を向ける。セルはテラを後ろにかばい、向かい合う二人を見て剣に手を伸ばした。

 予想外の形勢逆転にサキュバスはこっそりと背中のチャックを下ろした。ピンクの羽が広げられる。浮き上がるサキュバス。

「……おっと? やっとお姫様が来たみたいだね」

 しかしすぐに着地して三人の後ろを見た。



「ふん……とっくに洗脳して手を出しているところかと」

 振り返った三人の動きが三重の意味で止まる。

「なっ!? 私そこまで淫乱じゃないよっ!」

「お前淫魔だろ。まあいい、洗脳できずともまだ策はある」

 後ろから現れた男の腕の中に掴まれていたのは、純白のドレスを血で汚し、まとめた桃色の髪を乱す麗しの姫君……フレアだった。

「こいつの命が惜しくば、大人しく捕まってもらおうか」

 レイピアの先がフレアの首に突き付けられる。傷は見当たらないが既に大量の血を流した後らしくフレアの顔は青い。白いドレスの裾から血が垂れている。

 フレアは噛まされている布越しに声を上げるも、男にレイピアで首を刺される。

「次、動脈を刺せばこいつは死ぬだろうな。だが見捨てたりはしないだろう?」

 血の付いたレイピアを引き抜き男は口角を上げた。

 真上に昇る日の光に金髪が照らされて輝く。それは西の国第一王子だった。


 王子の腕の中でフレアは雪のような白い首から血を流している。

「じ、自分の妹を人質にするなんて……」

 テラの言葉に、王子はフレアの顔をレイピアの先でつついた。

「妹ではないが……こいつに情が湧いたことなど一度も無いな」

 王子は冷たく言い放ち三人の方を向いた。頬を血に染めたフレアは肩で息をしながら地面を見つめた。レイピアは再び首に向けられる。

「いたいけだよね。刺されてもなお兄上のことを信じてたなんて」

 サキュバスは腕を組み頷きながら言い、フレアに手を向けて回復魔法を唱えた。

「でっ、どうするの? 捕まるの? 見殺しにするの?」

 そして三人を見た。



 荒れ果てた西の国の一角は静かになった。

 その沈黙の中でゆっくりとした歩調で足音が鳴りだす。

「せ、セル」

 ケシィが抑えていた手を伸ばす。セルは王子の前で立ち止った。

「目当てはお前だけではない。その二人もだ」

 王子は顎で後ろの少女二人を指した。しかしセルはその場から動かない。

「……そうか。なら」

 フレアの首にレイピアが当たる。布越しに荒い息を吐くフレアにセルは目をやり、下ろした両手を強く握りしめる。







 病室でベッドに横たわる老男性。慌ただしい足音が聞こえてくる。

 そして勢いよくドアが開いた。


「爺さん! まだくたばんじゃねえ!」

 ベッドに駆け寄り老男性を思い切り叩く夫。片手には空き瓶。

「げ、言動が滅茶苦茶じゃよ……あとわしは元気じゃ……」

 叩かれた腹部を押さえ老男性は体を起こした。

 病室のドアから妻が心配そうに入ってくる。

「大丈夫? 止めたんだけど聞かなくって」

「だ、誰だって心配するだろ。九十間際の老いぼれがぶっ倒れたとか……」

 心配そうに老男性を見る夫妻。

 老男性はしわだらけの顔で弱弱しくも笑って見せる。そして夫が持っている瓶を見た。

「それで……その瓶に関して用があったんじゃろう?」

「そ、そうだった。……この瓶の中身についてなんだけど」

 妻は夫の手から瓶を取り老男性に見せた。


 窓から入る日光を受け、瓶の底の乾いた青い液体は赤く光った。

「…………これをどこで」

「うちのタンスの中に……あ、あの子が飲んでたとしたら」

 赤く光る瓶を老男性は深刻な表情でじっと見つめた。

「……間違いない。これはわしが作った魔力封印剤、じゃが…………」

 何か思い当たりがあるかのように、老男性は言葉を濁らせた。








 セルは勢いよく頭を下げた。

「ん?……何だ」

 王子はセルを見下ろした。激しい呼吸音だけが聞こえる。

 セルは声にならない何かを必死に言い続けている。

「……サキュバス、お前こいつの喉に何かしたのか」

「ううん。この子最初からずっと黙ってたよ?」

 サキュバスは首を傾げ、頭を下げ続けているセルを見た。

 セルから目を離し、王子は後ろの二人を眺めた。

「……まあいいだろう。ここで逆上されるよりはマシだ」

 セルが僅かに顔を上げた。

「どうせこいつがいればあのガキ共は動けないだろう」

 二人を見たまま王子は足でセルを蹴った。全く動かないセルだったが、ケシィとテラは思わず前に一歩出る。

「セル、だ……駄目よ、ここで捕まったら……」

 ケシィの抑えていた杖を持つ手が上がりかける。

「ま、魔王城に行けなく…………」

 言いかけて止めた。



 突如フレアが頭を思い切り横に動かした。布越しに押し殺された悲鳴が上がる。

「なっ」

 王子の腕に大量の血がかかる。

 レイピアが突き刺さったところは首、それも動脈。フレアは勢いよく血を噴き出して王子の腕にもたれかかった。

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