05

 森の周りを走る二人。盗賊らしき人影は無い。


 ケシィは息を切らしながら立ち止まると森の奥を見渡した。

「噂通りの素早さね……もしくは森の奥に隠れているのか」

夕方と違い月明かりのみに照らされた森の中は、一歩踏み込めば出られなくなりそうなほど真っ暗だった。

「は、入ってみる?」

 森に近づいていくセル。

「やめた方が良いわ、どうせ迷うだけよ。それに……」

 言葉を止めてケシィはしゃがみ込んだ。同じ、またはそれ以上に走り回ったはずが全く息の上がっていないセル。にもかかわらず足はガクガクと震えている。

「いくら何でも怖がり過ぎよ」

「だ、だって夕方よりも暗くって……何かがいてもわからないのが、よ、余計に……」

 セルはそう言いつつ森から目を離さない。少しづつ森に足を近づけていく。

「……なら私も一緒に行くわ。いざとなったら火炎魔法で」

「え、ま……まさか森を……?」

 杖を手に持ったケシィからセルは一歩下がった。


 その瞬間、何かが二人の横を風のような速さで通り過ぎた。


「えっ、今の」

 とっさにケシィの方を向くセル。既にその手にあったはずの杖は無くなっている。通り過ぎた何かはもうそこにはいない。

「木の上よ」

 ケシィが上を見上げた。つられて上を向くセル。



 高い木の上に立つそれは、布で顔こそ見えないが明らかに小さな子供だった。

 手にはケシィの杖、反対の手には大きくて重そうな剣が握られている。

「伝説の剣……丁度探してた盗賊ね」

 ケシィは地上から盗賊を睨みつけた。両手は低い位置で構えられている。

「ま、待って! いくら盗賊でもあんな小さな子に魔法は危ないよ」

 慌ててセルはケシィを止めた。

「そうね。直撃すればあの高さから落ちるかもしれないわ」

 まるでそれを狙っているかのようにケシィは目を細め照準を定める。普段と変わらぬ、十七ほどとは思えない冷静さにセルは僅かに後ずさった。

「……や、やめて、そんなことしたらあの子は」

「相手は盗賊よ。容赦なんてする必要は無い」

 両手に魔力を集中させるケシィ。木の上の盗賊はそれには全く気が付かぬ様子で下の二人を見下ろしている。

 一歩、また一歩とセルは後ろに下がっていく。その目はこれから起こること、そして目の前の恐怖に見開いている。


 しかし途中で足を止めると、セルは真っ直ぐ盗賊の方を向いた。

「僕が……説得する」

 声は盗賊まで届いていない。

 ケシィは僅かに反応を示すも両手に魔力を集中させたまま動かない。セルは少し俯いてから身構えた。攻撃態勢では無く、自分の体を張って魔法を受け止められるように、という意味での身構えだった。

 が、不意にケシィは魔力を戻すと震えているセルの方を向いた。

「…………言うと思ったわ。ま、攻撃以外だとそれしか手段は無さそうね」

 スピートじゃ敵わないし、と付け加えケシィは改めて上を見上げた。

「……え」

「安心して、あんな子供に魔法を放つほど冷酷じゃないわ」

 しばらくの間セルは呆然とケシィの顔を見ていたが、頷くと盗賊の方を向き直した。不安げな表情のセルをケシィはじっと見つめている。


「交渉でもする気か」

 突如上から少年のような低い声がした。布で口元は見えないものの明らかにそれは盗賊の声だった。辺りに他の人影は無い。

 セルは一瞬動揺したが、盗賊を見ると首を縦に振って見せた。

「盗みなんて良くないよ。人に迷惑がかかるし、それに」

「迷惑? んなこた知ってるさ」

 盗賊は口元を上げた。

「それが良いんだろ。慌てふためく奴らを見てると笑いがこみあげてくる」

 ニヤニヤと笑いつつ盗賊は右手に持った杖を鮮やかな手つきで回転させている。

「ひ……人を困らせて手に入れた楽しみなんて、そんなのは」

「何もわかっちゃいねえな」

 盗賊の顔から笑みが消えた。そして後ろを向いて何も言わなくなった。

 どう声をかけていいか困惑するセルをよそにケシィは鋭く盗賊を睨みつけた。

「さっきから聞いていれば……」

 言い切る前に盗賊が木から飛び降りた。落下する盗賊に慌ててセルは駆け寄ろうとしたが、その前にケシィが手を前へと突き出した。

「水魔法!」

「えっ」

 セルが声を上げた。唱えると同時にケシィの手から水が噴き出し盗賊が落下した地点に穴をあけた。だがすぐに横から盗賊の声が聞こえてきた。

「心配しねぇでもどうせ明日には戻ってるさ」

 ケシィはすぐさま横に手を向けるもそこにはもう木しかなかった。

 再び静まり返る森。



 木々の揺れる音の中でケシィは気が付きセルの方へと振り返った。

「あ、当てるつもりは無かったのよ。……つ、つい」

 弁解するケシィ。セルは盗賊が走り去っていった方を見たまま動かない。

「ごめん、僕のせいで逃げられて……取り返せないまま」

 そして地面に視線を落とした。

「いいのよ。説得なんてそう簡単なものじゃないわ。それに信憑性は怪しいけれど、明日には戻すと……」

 ケシィはセルの方へ進みだそうとして立ち止った。二人の立ち位置は大きく離れていた。セルの手はまだ微かに震えている。

「……少しやり過ぎたわね」

 聞こえないほど小さく呟き、ケシィはセルの方へ歩み寄り手を取った。





 二人が目を覚ますと、部屋の真ん中に杖と伝説の剣が置かれていた。

「本当に戻ってきた……」

 セルは不思議そうにそれを見ている。ケシィは杖を拾い上げると数回振って頷いた。

「壊れているところも無さそうね」

「で、でも何でわざわざ返してくれたんだろう」

 伝説の剣は鞘まで含め傷一つ増えていなかった。

「まあきっと、セルの強さに恐れをなしたのね。所詮は子供よ」

 鞄を肩にかけながらケシィが言った。

「えっ!? ぼ、僕何もしてないけど」

「何もしてなくても強さが伝わるなんて、流石は勇者」

「ええ……それきっと僕じゃなくて剣の方を見て」

「何はともあれ戻ってきたなら気にすることは無いわ。さ、出ましょう」

 全く聞く耳を持たないケシィ。

 セルは若干困惑しつつも、その姿と戻された盗品を見てほっと息をつき微笑んだ。






「あ、あの」

 去り際二人は少女に呼び止められた。父親の言っていた通り、少女は初めに出会った時と同じかそれ以上に元気そうな様子。しかし表情はどことなく暗い。

「昨日は……すみませんでした」

 二人に向けて謝りだした少女。セルは手を横に振った。

「あっ、謝ることなんて無いよ。……それより今は大丈夫?」

「はい。朝はいつも調子がいいので」

 そう言いつつ少女は昨晩の様には笑わない。

「その……困った時は、誰かに頼ることも大切だと思うよ」

 セルが言うと少女はえ、と声を漏らし顔を上げた。

「……ありがとうございます」

 そして弱弱しく笑顔を作った。

「昨夜はごちそう様、美味しかったわ。……ほら、そろそろ行かないと」

 ケシィは少女に言い歩き出した。慌てて後を追うセル。

 少女は笑顔で手を振っている。しかし姿が見えなくなったのを確認すると手を下ろし、その手をじっと見つめる。






「昨日部屋に戻ったこと、そこまで気にしてたのかな……」

 森の中でセルが呟いた。それに対しケシィは明らかに呆れた様子。

「多分そういうことじゃないと思うわよ」

「え、でも他に謝ることなんて……」

 考え始めるセル。ケシィはお手本のようなジト目でセルを見ていたが、足元に差し込む光に顔を上げた。


「森はここで終わりみたいね」

 ケシィの言葉にセルも顔を上げた。光の先には草原が広がっている。地平線の真ん中には木で作られた家が幾つか立っており、その周りを数人の人々がうろついている。

「あれがマスターさんの言っていた農村……」

 その素朴な景観は、まさしく農村という言葉がピッタリと当てはまるものだった。

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