case4:手も足も出ない(裏)
「何で俺こんなことしているんだよ」
エレベーターの中、あたしのすぐ横で鳴宮は思い切り不平をこめてそう言った。
すぐ横。目を向けると段ボール箱と今すぐキスでもしかねない鳴宮がいる。60×60×45サイズの箱二個分。中は販促用タオル。重さはそれほどないが視界は確実に奪う。
独り言とも、あたしに対する軽いジャブともとれるその声にあたしは鋭い視線を向ける。
「鳴宮がその箱を持つ前。どうしてあたしは今の鳴宮と同じような状態で東棟に運ぶことになったんでしたっけね?」
そう。最初にこの箱をもっていたのはあたしだ。
ほんの2,3分前のやり取りを思い出す。
「すげぇ、仁科ってば力持ち」
段ボール箱2個を抱えていたあたしは当然その声の主を見ることができない。
でも見なくてもそれが誰なのかわかる。
なんせ相手は同期の中でも一番陽気で一番目立つ男だ。
そして一番お騒がせな奴でもある。
あたしは体を斜めにずらして鳴宮を見つめた。
いたずらっこのような表情は相変わらずだ。
会議室を出たすぐそばのリフレッシュルームで鳴宮は上司と立ち話をしていた。
「台車がないのよ」
不機嫌そうにそう言うと、鳴宮は笑っていた顔から一転、あ、と何か気がついたような顔をした。
「あ、台車もってんの俺だ」
「はぁ?」
「この間第二ビルに荷物をとりにいったら台車一個で足りなくてさぁ、法人営業部の台車、ちとお借りしてしまいやした」
私、法人営業部。鳴宮、首都圏営業1課。
……遠いじゃん。それどころか所属ビルさえ違うじゃない。いやそれよりも。
「鳴宮。それいつのこと」
「えーっと」
いいよどむ、ってことは自覚あるでしょ、鳴宮。
鳴宮は怒られるとなると途端に目が泳ぐ。
そしてあたしは2個の段ボール箱を抱えながらもつめより、なおも睨む。
「鳴宮っ。あんたいつから台車持っていってるって聞いてんのよ?」
「はいっ、二週間前!」
勢いづいてそう答えるのと、鳴宮の上司が大笑いしだすのと、あたしが空いている右足で蹴りをいれるのと、ほぼ同時だった。
「いてぇ。俺、今日蹴りいれられてばっか……」
隣の鳴宮の上司、瀧原さんは興味津々といった顔をしてあたしたちを見つめていた。
「まぁ、蹴られても当然だな。どう考えても非はおまえにある。もう会議の設営も終わったし。仁科さん、こいつ好きにつかってくれていいよ」
もちろん瀧原さんのそのありがたい申し出を受けないわけがない。
「いいんですか?」
「どうぞ。こいつの今の使い道はそういう力仕事が主だから」
そりゃないですよ、瀧原さん、といいつつも、上司からのお墨付きをもらったあたしはそのまま鳴宮の両手に段ボール箱を乗せた。
で。今にいたる。
鳴宮は意外にも素直に運ぶのを手伝ってくれた。
こうして会うのは久しぶりだ。研修では名前の順が近いこともあってよく顔を会わせていたし、飲みにもいっていた。
でも正式配属が決まって、同じ営業部とはいえまったく仕事の内容の違う部署だったために、接点は少しずつ減っていった。
そもそも違うビルで仕事をすることになった時点で距離が離れてしまうことは仕方がない。一年目ということもあり、仕事中心の生活になってしまうことはある程度承知していたことだ。
だから偶然にしてもこうして顔を会わせることができたのは、正直うれしい。
「仕事はどうなの?」
エレベーターを待つ間、あたしはそんなあたりさわりのないことを聞いてみた。
「あー。まぁまぁ。楽しいよ。退屈はしないよな。なんてったって瀧原さんの下だから」
瀧原課長の話は有名だ。中堅層では一番のホープだといわれている。当然首都圏にいる社員で瀧原さんを知らない人間はいない。
女性社員も影でこっそり憧れている人は多いが、何せあのとおり豪快な性格の持ち主だから、下手に近づくこともできない。せいぜい遠まきできゃーきゃーいっているだけのようなもの。
「瀧原さんってすごく素敵だしねぇ。あたし生瀧原さん見たの初めてだったけど、みんながきゃーきゃーいう意味、なんとなくわかる気がしたわ」
あれだけのいい男、そうはいない。
あたしの感嘆の声に鳴宮はそれほど反応しなかった。
というか、不機嫌になっている?
「瀧原さんは、無理。もう決まった相手がいるから」
決まった相手。
ああ納得。仕方ないと思う。
が。
どうして鳴宮は不機嫌なわけ?
「へぇ。んで? 瀧原さんに決まった相手がいることに対してなんで鳴宮が不機嫌なわけ?」
「別に不機嫌じゃないけど」
「はぁ? 今のその態度が不機嫌じゃないと思っているならあなた営業としてどうかと思うわよ」
あたしの言葉に鳴宮はますますぶすむくれた。
鳴宮はあたしの視線に耐え切れなくなったのか、観念したかのように告白する。
「人の気持ちってなかなかうまくいかないもんだよな、仁科」
まあそれは確かに。
だがいきなりそれ?
あたしは口をはさむことなく鳴宮の答えを待った。
「課長はさ、すごくいい男だよな。ああ、そりゃ否定しようがなくって、俺も認めるしかないよ。かなわないよなぁ。だって課長、いい男だもん」
何なのそれ。
そんなふうにオブラートに包んだ物言いをされても困るんだけど。
でも。なんとなく状況はつかめてきたような気がする。
「瀧原さんの相手、鳴宮の好きな人なのね」
そう指摘した途端、鳴宮は先ほどまでの愚痴をぴたりととめた。
あ。図星か。
鳴宮は溜息をついて観念したかのようにそれを認めた。
「そうだよ。あー。そうですそうです。いいなぁと思っていた女性をしっかり瀧原さんにもっていかれてしまいました。すげぇ悔しいです。もう俺ってば勝負に出る前から負けているんだぜ? しかも負けちゃったことに関して自分で納得しちゃってやんの。うわぁ、俺って情けねぇ。でも相手は瀧原さんだもん。今の俺じゃ絶対にかなわない。ついでに言うと相手の女性も今の俺の手には負えないってわかってんの。だから完敗しちゃっても仕方ないとか思っている自分がまた情けない」
自分で感想言って批判して問題提起して結論を出しちゃうのもどうかしらねぇ。
あたしは冷ややかな目で見つめていたけど、その一方でだんだんと腹がたってしかたなかった。
鳴宮はいつもそうだ。
自分の許容内ならば、これ以上ないくらいに気にとめ、気を配るくせに、そこから1歩外れてしまうとまったく関心がなくなる。
鳴宮にはグレーゾーンがない。常に白か黒かでしかない。
瀧原さんやその女性は彼の許容内。そしてあたしは鳴宮の許容外。
あたしがずっと鳴宮のことを気にかけていたなんて思いもよらないのだろう。そう。あいかわらずあたしは鳴宮の同期でしかない。
こうして偶然会えば親しくしてくるが、自分から歩み寄ることはない。
それは無意識にあたしはそれだけの存在でしかないと突きつけている結果だと、鳴宮は気がついていないのだろう。それがいかに残酷なことなのかわかっていないのだろう。
あ。無性に腹がたってきた。
「ほんっと、情けない」
かなりの悪意をこめて、あたしは冷たく言い放った。
鳴宮はそういう点では敏感だ。
積み上げられた段ボールからひょいと顔だし、あたしを見つめた。
「そんなに情けない?」
軽い調子だったが、あたしの怒りに戸惑っているようだった。
ああ本当に情けないわよ。そんな鳴宮に振り回されているあたしが一番情けない。
そしてあたしが怒っている原因にまったく思い当たらない鳴宮がなおも憎たらしい。
そうとなれば何とか一矢報いたいと思うのが人情じゃない?
鳴宮の両手は段ボールにふさがれたまま。ついでに視界もふさがれたまま。鳴宮に抵抗する術はない。
あたしはそのまま鳴宮の襟元を鷲掴みして、強制的にこちらを向かせた。
「にし、」
鳴宮はあたしの名前を最後まで言いきることはできなかった。
あたしの唇が鳴宮の言葉をすべて吸い取っていたから。
わずかにぐらついた段ボールに気がついて、あたしはちょっとだけ唇を放して囁く。
「落とさないでよね。また鳴宮の手につむのって大変なんだから」
そう言われて、慌てて手元をしっかりとさせる。
そのままあたしはついばむように鳴宮の唇を堪能した。
「ん」
鳴宮が苦しいのか、それとも気持ちよくなってきたのか、ちょっと判断に苦しむ声をあげたときだった。
エレベーターが到着の音を告げる。
それと同時にあたしは唇を放し、襟元から手を放し、にっこりと笑ってみせた。
何事もなかったかのようにエレベーターを出て、鳴宮の前を歩いていく。
それを鳴宮が慌ててついてくる。
へぇ。それなりに動揺はしたってわけだ。
いままでへらへらしてはいたけど、こんな困惑した、そして焦ってどう対処していいのか悩んでいる鳴宮なんて見たことはなった。
「仁科」
「なあに」
「あのー。今のって、何?」
あたしはちょっとむっとした表情を作り、軽く斜め45度後ろを振り向いた。
「キス」
「いやそれはわかっているけど、その意図は」
笑いだしたい気持ちでいっぱいだった。
あたしはいつも鳴宮を叱りとばす役目だったけど、こうして精神的に優位にたったことは一度としてなかった。あの男の天然っぷりがいつもあたしを焦らせていた。それが今はどう? あの鳴宮が困惑して動揺してる。
あたしを初めて意識した鳴宮の姿を見るのは痛快だった。
「そんなこともわからないほど馬鹿じゃないでしょ」
あたしはそう言い捨てて、鳴宮の先を軽やかに歩いて行った。
two-faced 古邑岡早紀 @kohrindoh
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