第六章  明日世界が滅ぶなら、今日はお前と手を繋いでいたかった 2



 イルダス曰く、たとえ何度大目玉を食らおうが楽しいものは楽しい。だから止められない、というか止めない、とのだった。


 悪びれた様子は全くなく、エレジーは毎日大声を張り上げる教師たちのために、のど飴を常備するようになった。


 大食い大会や腕相撲大会なども、真っ先にやろうと声を上げるのはたいていがイルダスだった。



 「よーうエレジー。お前毎回こういうの参加しないよなー」



 数少ない休養日の夜。イルダスが言い出したのが、いつの間にやら同期全員を巻き込む勢いにまで発展した、白熱したボードゲームの大会が寮の応接室で行われていた。


 早々に敗退したイルダスは酒瓶とグラスを手に、ひとり図書室にこもって過去の軍略を勉強して帰寮するエレジーを、渡り廊下の窓辺に座って待ち伏せていた。



 「私はどうもその手の雰囲気が苦手でな」


 「まあ見るからに堅物って感じだけどよ。お前の剣と一緒で。もうちょっと肩の力を抜くっつーかなんつーか、あれだよ。ユーモアってもんをきかせようぜ」


 「あいにく持ち合わせていないな」



 エレジーのにべもない返事に、イルダスは肩をすくめるしかない。


 甘い香りを放つ透明な液体で満たされたグラス同士があたり、チンッという軽やかな音が石造りの廊下に響いた。



 「剣には扱う者の性格がそのまま反映される。お前のは正直で真っ直ぐすぎる。動きが固えってことじゃねえぞ。不意打ちにも奇策にも反応しやがって。俺が負け越してるのなんてお前ぐらいだ」


 「そうだな。同年代で勝負が拮抗しているのはお前ぐらいだ」


 「だから嫌味かっつーの」



 静かな夜だった。通る者もいない。応接室の喧噪も、ここには届かない。


 冴え冴えとした、でもどこか温もりを感じさせる。そんな不思議な輝きの月を肴に、グラスを傾けていた。



 「……こういう」


 「ん?」


 「こういう自由さというか、おおらかさも集団には必要なことだと知っている。楽しい、という感情は生きたい、という気持ちにも繋がるしな。だが、私にはとてもできる芸当ではない。それは、お前みたいな者の役目だ。お前がいてくれて、よかった」


 「……泣かせてくれんじゃねーの」



 エレジーのグラスが空になっていたのでイルダスは瓶を差し出したが、彼女は軽く首を振ってそれを断った。



 「酒にはあまり強くないんだ」


 「お、意外。……いや、断る口実か?」


 「さて、どうかな」



 クッとエレジーの喉が鳴った。頬も赤くなっていないし、体もふらついていない。いつも通り、微動だにしない美しい姿勢のキリッとした顔だ。



 (こりゃ醜態晒さないための方便だな)



 そして、ふと首をかしげた。



 「……んじゃあよ。お前の役目ってなんだと考えてるんだ?」



 それはただの興味。エレジーの一貫した姿を支える大黒柱がなんなのか、ずっと気になっていたというのもあった。



 「息抜きの場を用意するのが俺の役目なら、お前は何をするんだ?」


 「旗手だ」


 「旗手?」


 「軍の内外の象徴となること。それが私の役目だと考えている。もちろん、人格的にも実力的にも私より優れた者が現れるなら、そちらがその役目を担うだろうが、少なくとも現時点では、私以外にそれが務まる者はいないと考えている」


 「それはまた、たいそうなお話で」


 「こればかりは、生まれも関わるからな」



 そこでイルダスは、エレジーの父親が騎士団の長を務めていたことを思い出す。



 「あー……。けど、父親がそうだからって、子どももそうである必要はないだろ?」


 「そうかもしれんが、私はべつにそれが押し付けられた役目だとは考えていない。我々は国の剣となり盾となる騎士だ。国民とは生き方が異なる。だが騎士とて人だ。人は脆く、すぐに迷う。だから腕が立ち、頭のいい私が旗手となって騎士たちを鼓舞し、率いる」


 「自分で言っちまうところがアレだな……。事実だろうけどよ」


 「自信のない者に人はついていかないさ」



 一瞬吹いた風が、エレジーの美しい夕日色の髪を舞い上がらせた。



 「私は負けてはいけない、崩れてはいけない。全ての騎士の、そして民の、理想とする騎士でなくてはならない。何度お前に堅物と言われても、私はこの生き方を変えるつもりはないよ」



 エレジーの唇が緩く弧を描く。


 月明かりに照らされた、覚悟を定めたその顔のなんと美しいことか。


 イルダスはそれに見蕩れなかった。見蕩れれば、それは自分をエレジーより下に置くことになる。イルダスはエレジーに付き従いたいわけではなかった。肩を並べていたかったのだ。


 もっとも、自分がそう思っていたことに気がついたのも、このときであったが。



 「それじゃあ、おやすみ。あまり遅くならないようにな。寮監がつぶれる目は、そう多くないぞ」


 「……エレジー」



 グラスをイルダスに返し、立ち去ろうとする背中に声をかける。いつになく強張った声が出ていることに気がついていたが、こればかりは、いつものようにふざけた調子で尋ねられることではなかった。



 「旗手になったお前は全ての騎士の先頭に立つだろう。全ての騎士の信頼と憧憬を集めるだろう。全ての騎士は、お前がいるから戦場に赴ける。……なら、お前は誰を頼りとする。その重圧を、誰と分け合うつもりだ」


 「……誰とも分け合うつもりはないさ。分け合えるとも思っていない」



 エレジーは振り返らなかった。



 「いずれ私にも、孤独を和らげてくれる者が現れてくれることを祈るだけだ。父にとっての母のようにな」



 そう言い残して、今度こそエレジーは去った。



 「……孤独を和らげてくれる、ね。孤独を『癒してくれる』奴じゃないってことかよ」



 そしてひとり残されたイルダスは、グラスに残った酒を一気にあおった。



 「早ぇんだよ、バカが。お前まだ人生の半分も生きてねえだろ。なんなんだよ、その悲壮な決意は」



 ぐいっと口元を乱暴に拭って上げたイルダスの顔は、何かを決めた顔だった。




 次の日から、イルダスはそれまでよりも増して、エレジーと行動を共にするようになった。


 手始めに、美しい夕日色の髪を飾る花のアクセサリーを贈った。上品で艶がある紫の宝石で作られた髪飾りだ。美しく透き通るそれをエレジーは気に入り、試験や演習などここぞというときにつけるようになった。


 エレジーが、しょせんファストフードと呼ばれる手づかみの食事をしたことがないと知ると、わざわざ夜中に寮を抜け出して買ってきては、寮監の目が届かない窓辺から差し入れた。


 街で祭がある日と休みが被ると、自主訓練に向かおうとするエレジーを馬でかっさらった。馬に乗って自分に向かって突進してくる笑顔のイルダスにとっさに反応ができず、エレジーは彼に腕をとられて気がつけば学校の門を越えていた。これにはエレジーも帰寮したあとイルダスに説教した。ちなみにそれには、さんざん周囲に冷やかされた八つ当たり分も入っている。


 イルダスの器用なところは、彼女を気にかけつつ他の者にも目を配り、どちらの顔も立てながら上手く両者を繋ぐ架け橋となったことだ。色々敬遠されがちだったエレジーが、卒業する頃には全校生徒と教師に心から信用されるようになっていたのは、イルダスの影の気遣いが大きかった。



 「こんな未来になるとはな……。礼を言うよ、イルダス」


 「なーに言ってやがる。これからだろうが。頑張ろうぜ、将来の騎士団長たる姫騎士様」


 「……その呼び方は止めてくれと何度言えば」



 珍しく嫌そうな顔をするエレジーを、イルダスはからからと笑い飛ばした。


 イルダス・ヴァーミリオンという男は、豪放磊落として自由闊達な人間だった。同時に人の感情を読むのに長けていて、彼に救われた者は多かっただろう。


 正式に騎士団に入団してからは、なおさら。


 エレジーたちが学生であった頃に始まった大陸の帝国との戦争は激化の一途を辿っていた。大敗を喫することも敵を上陸させることもなかったが、国民はそれを諸手を上げて喜び、国家の行く末を楽観視することができなかった。


 相手は人口も技術もはるか上の巨大国家。征服した国の人間から土地も文化も奪い、一欠片の情さえ寄越すことはないと聞く。



 (戦端が開いて早五年。このままでは互いに疲弊する一方だが、そうなれば苦しいのはこちらだ。選択肢は二つ。相手に手を引かせるか、和平を結ぶか。これまでに聞いた被征服国の末路を聞くかぎり、降伏はできない)



 日はとうに沈み、だが真夜中と呼ぶにはまだ早い時刻。王城の近くに建てられた騎士団員が生活する宿舎の屋外通路で、エレジーは一人思案にふけっていた。遠く海を見つめる目は鋭い。



 (軍事力を含めた国力の差は歴然。挑むにはリスクも高いが、内から細工をするとなればさらに時間が必要だ。現実的なのは和平のほうか……? だが、平等な内容へもっていけるだけの交渉材料が必要だな)


 「まーたなんか小難しいこと考えてんな? 今ぐらい休んどけって、エレジー」


 「イルダス」



 ホットミルクのカップを持って、イルダスが現れた。


 今夜の月は細く、千切れ雲が夜空の星を隠しては消え、消えてはまた隠すことを繰り返していた。等間隔に燃やされている篝火のおかげで、なんとか顔を見ることができるぐらいだ。



 「もうじき時化の季節が終わって、戦争が再開される。そうすりゃ俺たちはまた前線配備、柔らかいベッドとはお別れだ」


 「その通りだ。だから今のうちに堪能しておけよ」


 「いや、お前もだから。というか、お前が一番温かい食事と柔らかいベッドを惜しんどけって」



 一口ミルクを口に含めば、じんわりと温もりが体を満たしていく。思っていたよりも、体を冷やしていたようだ。



 「冬じゃないとはいえ、やっぱ夜はなんか冷えるなー」



 イルダスがしみじみと呟いた。


 もう一口。砂糖か蜂蜜を入れてあるのか、とても優しい味だった。エレジーがほぅと一息ついていると、イルダスが唐突に口を開いた。



 「なあ、俺と駆け落ちしね?」



 「………………は?」



 本当に唐突だった。


 何を言われたかとっさに理解できず、エレジーの人生で初めてかもしれないほど間抜けな声が漏れた。カップを取り落とさなかったのが奇跡だ。


 ここには二人しかいない。つまりイルダスは、他でもないエレジーに「駆け落ちしよう」と誘ったのだ。


 見えない星を探しながら、イルダスは楽しそうに語った。



 「こんなしんどくて危ないことなんか止めてさ。もっと広い世界を見に行こうぜ。お前となら、どこへ行っても楽しめそうだ。海はさすがに飽きたから……山とか。草原でゴロゴロってーのも気持ち良さそうだな。あ、砂漠っていうとこにも一度行ってみようぜ。どんぐらい暑いと思う? それに……」


 「よほど緊張しているようだな。お前がそんな冗談を言うなんて」


 「…………」



 ピタッとイルダスの口が止まる。図星だったのかなんだったのか、顔は笑っていたがそれは心からのものではなかった。そうではないと、エレジーには分かった。


 イルダスはたしかに毎日を楽しそうに生きて夢を語る人間で、よく冗談を飛ばして場を和ますことも得意だったが、騎士としてあるまじきことをこうも堂々と言うような男ではなかった。


 まったくらしくない。



 「まあ、心配するな。お前は父を含めた騎士団上層部も認めるほどの腕前だ。自信の糧のひとつにするといい。それに家族を、仲間を、明日を想えば、大丈夫だ。必ず勝てるよ。……それはお前の得意なところだろう、イルダス」


 「……」


 「それに、こういうとき国と民を守るため、私たちは騎士になることを選んだんだろう? 最初の志さえ見失わなければ、何も怖がることはない」



 イルダスのこの妙な態度は気になった。だが、誰だって感傷に浸るときはある。言いようのない不安に駆られるときもあるだろう。そんな兵たちのために、エレジーは旗手となる覚悟をしたのだ。


 そう思って、彼女なりの励ましの言葉をかけてやる。まあ、多少動揺したこともたしかなのだが。



 「……ホント、お前って男前ね。普通駆け落ちしよって言われたら、頬を染めるところだろ」


 「そういうのは深窓のご令嬢の仕事だな」


 「マジ会ったときから変わんねーなあ。変に根性論的なとことか」



 ふっとイルダスはとても優しくて儚げな微笑みを浮かべた。そのままくしゃっとエレジーの髪を撫でると、「お前も早く休めよ」と言い残して去っていった。



 「イルダス……?」



 エレジーの戸惑いは、イルダスには届かなかったようだ。静かに閉まった扉を見て、彼女は立ち尽くすことしかできなかった。


 そして扉は同時に、階段を降りていくイルダスの表情も、エレジーから隠してしまっていた。


 心の内に秘めた想いも覚悟も、彼の全てを。




 そして、運命の日がやってきた。

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