第六章  明日世界が滅ぶなら、今日はお前と手を繋いでいたかった 3



 襲撃は白昼堂々、突然に行われた。戸惑いと不安が冷静さを奪い、混乱ばかりが広がっていく。



 「うろたえるなっ! ケガ人は救護室へ搬送! 手の開いている者は東の消火へ回れ! 隊長、どこにいらっしゃいますか!」



 抜き身の剣を片手に、エレジーは建物内を駆けながら生存者を見つけるたびに指示を飛ばしていく。


 だが、その数はいつも傍にいた仲間たちの数を思うと、見るからに少ない。我知らずと、エレジーは唇を強く噛みしめた。



 (完全に後手に回ってしまっている……。王宮はどうなっている? これが陽動であったなら、次なる攻撃にも備えなければ……!)



 天井には爆発のせいか穴が空き、いつ石材が降ってくるか気も抜けない。壁や柱も大きく削られ、細かな砂礫となって廊下に散らばっている。足を進める度に、ブーツの底と擦れてザリザリと耳障りな音を発てた。


 逸る気持ちに任せて全力疾走を続けるエレジーの目を、左に続く別の廊下から伸びてきた銀の光が焼いた。


 ブゥン!


 しかし、相手の剣は空を切った。



 「お?」



 相手の片眉が上がる。


 とっさに体を倒して相手の剣を避けた。もちろん、相手に二の太刀を振るわせる隙など与えず、エレジーは素早く距離をとって体勢を整える。



 「へえ、なんだ意外とマシそうなのもいる……っていうか、その夕日色の髪……。もしかして、アンタがエレジー・カルカレラ? よっしゃ、ついてる~!」


 「貴様、何者だ?」



 現れたのはエレジーよりも年下の、だが少年と呼ぶほど幼くもなく、半端な年頃の男だった。男は口笛を吹いて剣を肩に担ぐ。



 「こんな凡百兵士どもの殲滅なんてやりがいのない任務だと思ってたけど、アンタみたいな大物と出会えるとは思わなかったぜ。いやあ、ラッキーラッキー。女のくせに剣の腕はたつし、指揮官としてもそれなりに優秀だって噂のアンタの首を取ったら、勲章ものだぜ」



 男が着る黒い軍服の下、白いシャツを汚すシミ。手入れの行き届いた白銀の剣を滑る赤い液体。どこの誰かは分からずとも、それを見れば確認などいらなかった。



 「貴様のような、傲慢で愚昧な小僧にとれるほど安いものではないと思うがな」


 「あぁん?」



 男の顔が不愉快そうに歪む。しかしそれは、エレジーとて同じこと。



 「凡百兵士どもとはよくも言ってくれたな。それもやりがいのない任務とは、馬鹿にしてくれる」



 エレジーの構えた剣が、崩れた天井から差す陽光に照らされて、危険な光を放つ。



 「己の愚かさを供に、地獄への道を歩むがいい」


 「……っ、ふざけんのも大概にしやがれ、負け犬のくせに!」



 力強い踏み込みで剣を振りかぶった男は、瞬く間に距離を詰めてきた。エレジーも自分の剣を強く握りこみ、


 晴天の下、刹那の電光が閃いた。


 男は何が起こったか、まったく理解できなかっただろう。それぐらい、一瞬の出来事だった。男の腕と首から吹き出た血が、エレジーの白い制服を汚く染め上げる。


 男の襟についた紋章は、よく知っていた。戦場に掲げられていた彼の国の旗に描かれていたものと同じだったからだ。



 (帝国の兵がこんな奥まで……。しかもこれだけこちらの兵が倒されていることを考えると、襲ってきた兵の数は一桁ではないだろう。……内通者でもいたか)



 そう思うと、眉間にしわが寄る。信じたくはない話であった。



 (だが、どんな理由があろうとも、それがたとえ誰であろうとも、決して許しはしない。必ず償わせてやる)



 歯ぎしりとともに前を見つめ、剣についた血を払ったとき、



  この腐った世界に乾杯を



 背後から声がした。



  夢は所詮記憶の欠片にすぎず



 眼光鋭いまま振り向くも、そこにいたのは見慣れた男。そもそもよく聞けば、この声はつい昨日まで隣で聞いていたものではないか。


 そう思って、エレジーは肩の力を抜きかけた。



  求めた場所には帰れない



 しかし、浮かべた安堵の微笑みはすぐに凍りつく。



  愚者は過去に怯え



 剣を手にゆったりとやってくるのは、見間違えるはずない。大なり小なりあったが、結局は最も自分の近くにいた人物。



  賢士は現在いまを恐れ



 だが、彼が身につけている黒い服は、今まで一度たりとも見たことがなかった。



  狂人は未来を嗤う



 「イル……ダス……?」



  風のようにまた己を愛しみ



 乾いて掠れた声は、彼に届いたのだろうか。



  心愉しく今を生きよ!

 


 灰色の煙が舞う廊下で、白い彼女と黒い彼は、共に剣をかざして対峙した。そこに再会を喜ぶ抱擁はなく、ただ無情なる運命の悲哀に立ち竦むだけだ。



 「……あーあ」



 先に口を開いたのはイルダスのほうだった。



 「エレジーには絶対一人で挑むなっつったのに。どうせ敵いやしねえんだから。これだからお坊ちゃまは」



 イルダスは、いつも無理をするエレジーに言うような呆れた調子で、エレジーの傍に転がる死体を見てそう言った。


 聞き慣れた声なのに、見知らぬ者が話をしているように聞こえる。


 見慣れた顔なのに、他人と向き合っているような気がする。


 エレジーの表情は、どんどん翳っていった。



 「……お前の、知り合いか?」


 「本国の、プライドだけが取り柄の三流貴族の四男坊。顔は知ってたが、あんまりしゃべんなかったなー。とにかく気が合わなさすぎて」


 「……本国、とは?」


 「大陸の帝国」


 「……イルダス」


 「なんだ?」


 「……私たちを、裏切ったのか?」



 それを口にしたとたん、エレジーの中に渦巻いていた混沌とした感情の塊に、言葉がついた。



 「なぜだイルダスっ! 何がお前を寝返らせた! 私たちが何かをしたか? それとも奴らがお前に何かを示したか? 私たちを裏切ってまで得たいものがあったのか? それは私たちではどうにもできなかったことなのかっ?」



 エレジーの血を吐くような叫びは、無惨な有様の、無人の廊下に虚しく響いた。



 「答えろ、イルダス・ヴァーミリオンッ!」



 壊れた施設はまた直せばいい。傷だっていつかは癒える。けれど、この朝霧のように頼りなく、幻であったかのようにひどくあっけなく消えてしまった絆は、どうすればいい。



 「なぜ私たちを裏切った!」


 「……べつに裏切っちゃいねえさ」


 「なんだと?」


 「俺たちは兵士として忠実に、国のために戦っているだけだ」


 「……何が、言いたい?」



 先の比ではない。もっとずっと嫌な予感がエレジーの体を駆け巡った。


 胃がどうしようもなく締めつけられて苦しい。鼓動が痛いと感じるほど脈打っている。



 「最初っからなんだよ、エレジー。本当に、最初から」



 エレジーの身体の内か、心の内か。何か言葉にできないものが、どこかも分からない場所で、だけどたしかに崩れる音がした。



 「俺たちは、いつか来る今日のためにあの学校に入って、今の居場所を作ってきた。べつにお前らに愛想を尽かしたわけじゃねえ。帝国に有利な条件を出されたわけでも、理不尽な脅迫を受けたわけでもねえ。俺たちがこうしたのは、それが俺たちに与えられた任務だったからだ」



 そしてイルダスは、少し寂しそうに微笑わらった。



 「まあ、黙っていたことにかわりはねえし、それを裏切りだと言うなら、そうかもな」


 「……か」


 「ん?」


 「全て、嘘だったというのか」



 エレジーの声は、震えていた。めったに表情を崩すことがなかった、あのエレジーが。



 (いつまでも、拒絶しているわけにはいかない。現実を見ろ。受け入れるんだ。イルダス・ヴァーミリオンは、敵なのだ)



 そう必死で言い聞かせても、簡単には切り替えられない。そう割り切れるほど、浅い付き合いではなかったのだ。



 「寄宿学校で遊びに興じていたときの笑顔も、戦場で死んだ仲間たちを悼んで流した涙も、全て」



 初めて見る。ここまで傷ついた表情のエレジーは。


 いつだって気を張っていた彼女に、少しでも安らぎを与えたかったのに。少しでも多く、彼女の思い出に笑顔を与えたいと思っていたのに。



 (まったく逆のそんな顔をさせてるのは俺、なんだよなあ……)



 苦いものがイルダスの心を満たしていく。



 「イルダス。私は本気で信じていたんだ。お前たちが、お前がいれば、私たちはきっと上手くいくと。腐ることも怠けることもなく、全員で真っ直ぐにこの道を進んでいけると。なのにお前は、ずっと私たちに嘘をついていたのか?」



 目は口ほどにものを言うとは、よく言ったものだ。これほど雄弁に、憎しみにも変わるほどの歎きと痛みを語る瞳を、イルダスは他に知らない。


 そんな顔しないでくれ──とは、もう言えない。



 「……言い訳くせえし、信じてもらえるとも思えねえけど、一つだけ言わせてくれ。あの時の笑顔も涙も、嘘じゃなかった」


 「っ、何を……」


 「俺たちの間で、一つだけ約束したことがあったんだ」


 懐かしく、心痛む過去を、イルダスは思い出す。



 この国に密命を受けてやってきたイルダスとその仲間たちは、見知らぬ土地で生活することへの漠然とした不安と、任務の重責に苛まれていた。


 当時からリーダーシップを発揮していたイルダスは、そんな彼らにいつも通りにやろうと声をかけていた。



 『五年先か十年先かは分からねえが、俺たちは今から仲間となる奴らにいずれ牙を剝く。だからって今から緊張してたら、すぐボロが出ちまうぜ。気負ってうまくやろうとしても、頭の悪い俺たちのことだしな。だからさ、俺たちが今からつく嘘は一つだけ。隠し事も一つだけ。『俺たちが本当は帝国の兵士であること』、これだけだ。それ以外は、いつもの俺たちでいようぜ!』



 そして彼らは、今日のこの日までそれを守り抜いた。



 「昨日の夜、作戦会議を始める前に確認したけど、誰ひとり止めようなんて言わなかった。抜けるとも言わなかった。今朝になっても、告げ口した奴はいなかった。どれをしたって許そうと思ってたんだけどな。……なあ、エレジー。兵士ってのは、嫌になるぐらい悲しい生き物だよな」



 ザリッと音とを立てて、イルダスはとうとう一歩を踏み出した。エレジーもハッととして剣を構える。



 「こうなっちまった時点で、とれる選択肢は一つなんだよ。……我らが王のために、俺はこの国を滅ぼす!」


 「……そんなことはさせない。この、エレジー・カルカレラの名と誇りにかけて!」



 涙を呑んで、二人は同時に地面を蹴った。


 その後、何合剣を交わしたか、当の本人たちにも分からないだろう。両手では足りぬほどの回数、向かい合って稽古を積んできたのだ。手の内はお互いに知っている。決着のときは、なかなか訪れなかった。



 「今回、俺たちが上に出した希望はひとつ。この宿舎への襲撃の指揮は完全に俺たちに預けること。何年と同じ釜の飯を食ってきたんだ。俺たちの手で神の御下へ送ってやるのが、俺たちが通すべき筋だからな!」


 「お前たちの律義さには頭が下がるな。どうりで多くの者が倒されるはずだ。隣からいきなり刺されたのでは、反撃もできまい」


 「戦場に卑怯という言葉はねえんだろ?」


 「そうだな。次からは、戦場とはこうも近くに在るのだと、教えることにしよう!」



 つかず離れずの距離で足を止めることなく打ち合うその姿は、まるで不器用なワルツのようでもあった。


 その最中、押されていると感じたのはエレジーのほうだった。


 なぜなら、覚悟の重さが違う。イルダスは、エレジーと出会ったときから彼女を斬ることを覚悟していた。一方のエレジーは、動揺を必死で押し殺して、立った今決めたばかりの覚悟だ。この差は大きかった。



 (だが、私とてこのまま斬られるわけにはいかない。私は誰だ? 全ての騎士と民を支える旗手たるエレジー・カルカレラだぞ!)



 自らの誇りを、他でもない自分の手で折るなど許すものか。彼女が彼女であるために、エレジーはここで終わらせることにした。


 そう、この砂上の楼閣の如き覚悟が、情という大きな波に崩されてしまう前に。



 「おおぉっらあ!」



 上段から振り下ろされるイルダスの剣ではなく、エレジーは彼が握る剣の柄頭に狙いを定め、したたかに蹴りつけた。


 大きな音とともに、イルダスの剣は宙を舞って遠くへ落ちた。



 「なっ……!」



 イルダスの目が驚愕に見開かれた。


 これまでエレジーが剣を使う中で、こんなことをしたことはなかった。どちらかといえば、イルダスのほうがよくこんな真似をしていたかもしれない。


 エレジーは格闘技も無難にこなし、剣技にもその体の使い方は活かされていたが、両方を交えた戦い方を見せたのはこれが初めてだろう。


 固い素材でできている軍靴とはいえ、金属を力一杯蹴ったエレジーの足は、一瞬感覚がなくなるほど痺れていた。それでも大きく前に踏み出し、エレジーは剣を突き出した。



 「はああぁぁ!」


 「くっ……!」



 イルダスもとっさに腰の短剣へと手を伸ばす。


 息と息がかかるほど近づいた距離で、互いの瞳に自分の姿を認めたとき、



 『俺と駆け落ちしね?』



 ふいに、昨夜の出来事が頭をよぎった。


 そのときのイルダスは本気だった。もしもエレジーがそうだな、とでもたった一言答えていたら、いや、頷くだけでもいい。そうしていたら、良心の呵責も兵士の矜持も、何もかもかなぐり捨てて、彼女と一緒に、一刻も早くこんな地獄から逃げ出していただろう。


 むしろ、そう答えてくれと、強く願っていた。


 そうすれば自分は彼女を斬らなくてすむし、彼女もこれまで共に過ごしてきた仲間を斬らなくてすむ。


 全ては、彼女の心穏やかな人生のために。


 だから、彼女がどう答えるか分かりきっていても、そう願わずにはいられなかった。


 なぜそんなことを願うか? イルダス本人も、その理由に名前を付けたことはなかった。ただ、ずっとずっと、心の底から静かに願っていた。


 けれど、絶対的な信頼とともに一蹴されてしまった。



 『よほど緊張しているようだな。お前がそんな冗談を言うなんて』



 らしくないことは自分でも分かっていた。それを怪しむそぶりこそ見せたが、それでも真っ直ぐな彼女の瞳は揺るがなかった。嬉しいやら悲しいやら、いっそ笑うしかなった。



 (そうなんだよな。こいつはどうしようもない馬鹿なんだ)



 一秒を切るこの瞬間の中で、ふと思った。



 (遊びは何も知らないくせに、剣や馬は並の男よりこなすし。口を開けば大丈夫、私がいる、心配するな、だし。その道を一直線に突っ走ることしかできない馬鹿なんだ)



 一度過去を思い出すと、山中に湧き出す泉のようにあとからあとから流れてくる。これをきっと、走馬灯というのだろう。



 (笑わないし、クソがつくほど真面目だし、冗談の一つも言えやしない。昨日の励まし方だって微妙にズレてるし)



 なのに、どうしてだろう。自分とウマが合うはずないのに、気がつけば一番長く傍にいた。彼女が傍に居たかったのか、彼が傍に居たかったのかすらも、曖昧だったけれど。


 初めて言葉と剣を交わしたときに見せた尊敬の眼差し。


 いつも誰かに追われていたイルダスを見てため息をついていた呆れ顔。


 誕生日に花を贈ったときの驚いた顔。


 夜食を差し入れたときにもらったお小言。


 戦場で倒れた兵士を悼む悲しみを押し殺した横顔。


 常に余裕と自信を感じさせる凛とした立ち姿。 


 なにより、二人で話しているときだけに見せてくれた気負わない柔らかな微笑み。



 (結局、片手で足りるぐらいしか見せてくれなかったけど……)



 イルダスはそっと目を閉じた。


 思い返せば思い返すほど、苦しいほどに愛おしい。


 そう気がついてしまった。



 (ああ、ちくしょう)

 


 だから、イルダスは剣を抜くことができなかった。



 肉を裂き、骨を割る嫌な音がした。食道を逆流してきた血液が、イルダスの口から吐き出される。


 それと傷口から噴き出してきた血の両方を真っ正面から浴びたエレジーの上半身は、まるで自身が傷ついたかのように真っ赤になった。



 「……っとに、よ……しゃ、ね……な……おま、え……」



 喉から漏れる息はか細く、粘ついた液体に音を奪われ、声は小さく聞こえない。



 「イル……ダス…………」



 剣をイルダスの胸に深く突き刺したまま、エレジーは唇をふるわせた。



 「イルダスッ……!」



 エレジーは、イルダスが剣を抜くのが間に合わなかったのではなく、剣を抜かなかったのだと気がついていた。だけど、その理由には気がついていなかった。


 いや、気がついてはいけないのだと、頭のどこかで警鐘が鳴っていた。


 だから、今はただ名を呼ぶことしかできなかった。


 エレジーのその葛藤を知ってか知らずか、イルダスはもうろくに力が入らない手を伸ばした。



 「まあ……なんだ……」


 イルダスの大きくて武骨な手が、血の気を失ったエレジーの頬をゆったりと撫でた。その動きにつられて、エレジーはのろのろと顔を上げる。



 「お前がそういう奴だから……俺はお前に…………惚れたんだよなぁ」



 やけにはっきりした声だった。先ほどまでのくぐもった声とは違う、鮮明で優しい、いつものイルダスの声だった。


 エレジーの美しい青灰色の瞳が、驚きと絶望に染まって見開かれる。


 エレジーよりも頭一つと半分ほど高い所にあるイルダスの顔は、この局面にあってもなお、幸せそうだった。


 後悔も未練も執着もない、本当に幸せな微笑みを浮かべたまま、イルダスは事切れた。


 力を失った体は、重力に逆らえず地面に崩れ落ちる。



 「……っ、…………っ!」



 エレジーは浅い息継ぎを繰り返した。


 息が肺まで届かない。


 手足が震えて言うことをきかない。


 身体の内が焼けつくように痛い。



 「────────!」



 突然、エレジーは走り出した。王宮を目指して。


 剣は手放さなかった。


 涙の一粒だって零さなかった。


 どれか一つでもしてしまったら、二度と騎士として生きられない気がしたから。


 王宮に着くまでにいったい何人の敵を手にかけたか、エレジーにはまったく分からなかった。誰を切ったかも気にかけなかった。


 知らない服を着ている者は敵、とでも言うかのように迷いも躊躇いもなく、剣を振るっていた。


 鬼気迫る表情のエレジーの身を案じてかけられた先輩騎士の制止も、上官の指示すらも聞こえないぐらいだった。


 声にならない叫びを上げ、血走った目で駆け回り、一振りで全てを切り伏せるエレジーの姿が、仲間であり敵であった者たちにどれほど痛々しく見えただろう。できることなら見たくなかった。


 彼らはイルダスがエレジーを愛していたことも、エレジーが無自覚ながらイルダスに惹かれていたことにも気がついていた。


 エレジーの初恋の自覚は、永遠の失恋と同時だった。それも、自らの手で招かざるを得なかったという辛い現実を添えて。そのショックが大きすぎて、いっそ壊れてしまったのではないのかと疑った。


 同情はあった。だからこそ、イルダスが言ったように自分たちの手で、彼女を含むこの国の騎士たちを倒さねばならなかった。それが通すべき筋で、せめてもの情けだから。



 「……いくぞ。全ては我らが王と祖国のために!」


 「おうっ!」



 我を失っていても、エレジーは強かった。次々と仲間が倒されていく。それでも最後まで、逃げ出した者はひとりもいなかった。


 それが誰にとっての幸福で、誰にとっての不幸だったのか、もはや答えられる者はいなかったけれど。




 エレジーが正気にかえったのは、襲撃があった日からひと月が経ったときだった。


 その間、どこで何があって自分がどうしていたのか、エレジーは何も覚えていなかった。


 分かるのは、唯一無二だった愛しい男を自分の手で殺めたことと、数多くの仲間を失ったこと。


 そして、自分が国の危機を救った英雄になっていたことだけだった。



 「エレジー・カルカレラ。先だっての襲撃における働きをたたえ、そなたを大隊長に任命し、また嵐の称号を与える」


 「……謹んで拝命致します」



 周りの熱狂とは逆に、エレジーの心は冷えきっていた。あれだけたくさんの者を守りきれず失っておいて、何が英雄か。


 彼女と戦った兵士たちが想像したように、エレジーはこのときすでに壊れかけていたのかもしれない。彼女のそんな危うい精神をつなぎ止めていたのは、イルダスの最期の言葉だった。



 『お前がそういう奴だから、俺はお前に惚れたんだよなぁ』



 ならばそのままでいい。


 国に忠節を、民に正義を、世界に理を誓おう。


 ああ、そうだとも。


 身も心も国に捧げる馬鹿な騎士であり続けよう。


 彼が愛してくれた私のままで。


 そう、私は……


 私は……






  我に涙を、君に光を……


  かつて在りし日の嘘は溶け、夢も解けた


  言祝ぐ華冠よ、流転する世界に僅かな奇蹟を願え


  咎人の祈りは今どこへゆく


  恋人の誓いは今どこへゆく


  空っぽの心に絡まるは孤独の風ばかり


  求めた貴方の面影は


  二度とこの身に戻らない


  望んだ貴方の隣には


  二度とこの身は帰れない


  時間と涙だけがいたずらに流れてく


  ああ、至高の姫たれよ我が命


  ただ愛しきものたちを護る為に在れ——

  



 揺るぎない抵抗が長く続き、虎の子の作戦も失敗した帝国は、それからすぐに和平を持ちかけてきた。王国はそれに応じ、戦争は終結した。


 その後も王国は海賊の襲撃を受けたり内乱が起こったりと、何度も危機に見舞われたが、いつでもひとりの強く聡明な騎士が鎮めてきた。国民は皆その騎士を讃え、長く語り継いだ。


 嵐の姫騎士エレジー・カルカレラ。


 彼女は養子をとって伯爵家を継がせ、自らは結婚せず、ある海戦で命を落とすまで前線で戦い続けた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る