第六章  明日世界が滅ぶなら、今日はお前と手を繋いでいたかった 1



  名も知らぬ私よ


  音と光の奔流に呑み込まれ


  孤独の海に沈むのか


  仮面に姿を消した君よ


  吹き上げる炎に焼かれて


  荒涼の大地にたおるのか


  仮初めの世界で自由を謳い


  功罪の調べをかき鳴らす


  一縷の望み 囚われの咎


  急逝したもうな、愛しきともがら


  安らかなる日々を……




 大陸から南へ進んだところに、大きな島があった。島を巡るには、どれほどの時間がかかるだろう。


 緑も多く、澄んだ水の湖が点在するこの島の奥には、もはや知る者も少なくなった崩れかかった古城があった。


 歓迎する客が来なくなった庭園は手入れされることなく、草花が雑多に生えていた。迎える者が誰もいなくなったホールも天井が崩れ、窓ガラスは飛散し、埃にまみれている。


 全ての民が頭を垂れて忠誠を誓っていた謁見の間は、長い年月の間に風雨にさらされて虫がわいた樫の扉の向こうで、色褪せたまま取り残されていた。


 かつてこの島は、世界屈指の海洋国家として有名だった。


 そんな王国の由緒ある伯爵家の才女を母として、若くして王国の騎士団長となった傑物を父として、エレジー・カルカレラという女性は生まれた。


 それだけに周囲の期待も大きかったが、エレジーはそれによく応えた。才能に恵まれていたこともそうだが、両親の教育が良かった。



 「国に忠節を、民に正義を、世界に理を誓え。それこそが騎士としてあるべき姿だ」



 両親はただ真摯に国と民のことを考え続け、ことあるごとにエレジーにもそう言い聞かせてきた。そしてそれは、エレジーの生涯の指針となる。


 十五になる年、エレジーは国の騎士を養成する寄宿学校に入学した。そこで彼女は、運命の人物と出会う。


 イルダス・ヴァーミリオン。


 エレジーが生涯ただ一人愛し、そして自らの手で殺さなければならなかった男だった。




 イルダスは平民の生まれながら剣の腕もたち、頭の回転も速かった。


 入学早々、上級生をまとめて撃破したこともあり、一気に注目を集めていた。そんな彼が学校創設以来の天才ともてはやされていたエレジーと対峙するのも、遅い話ではなかった。



 「これはこれは。高潔なるカルカレラ卿ではありませんか。お噂はかねがね聞いております。どうかひとつ、非才なるわたくしめにも剣をご教授願いたい」



 礼儀正しいのは言葉遣いだけで、歪めた顔からもエレジーを──というより、貴族生まれの生徒全員を見下しているのは明らかだった。


 エレジーの周りには様々な思惑を抱えた者たちが取り巻いていたが、そんなイルダスに対する認識はみな同じものだった。



 「なんだ、その態度は! 我々を馬鹿にするのか!」


 「貴様のような下賤の者が、よくエレジー殿に話しかけられたものだ」



 しかし、エレジーはこれらの声を押しとどめ、自ら勝負を願い出た。



 「イルダス・ヴァーミリオン。お前の評判は聞いている。ちょうど私も、一度手合わせをしてみたいと思っていたんだ」


 「……あー、そうですか。ンな余裕ぶっこいてると、痛い目見るって教えてやるぜ」



 そう毒づいたイルダスだったが、一本勝負を制したのはエレジーのほうだった。



 「さすがはエレジー殿! お見事です」


 「まったく、当然の結果ではないか。平民風情が、何を勘違いしていたのやら」



 エレジーを取り囲む者たちは盛大な賞賛をおくった。その傍らでは、イルダスと同じく平民出身の生徒たちが愕然としていた。



 「ま、マジかよ……」


 「イルダスが負けるなんて……。それも女に」



 イルダス自身もそう思っていた。驕っているつもりはなかったが、それでも腕には自信があった。貴族のお姫様なんかに負けるとは思ってもなかった。


 地に伏し、悔しさで歯ぎしりするイルダスに、ふいにエレジーから手が差し出された。



 「凄いな、お前は」


 「あ? 嫌味かテメエは」



 負けた直後に言われれば、誰だってそう思うだろう。イルダスが剣呑な態度になるのも無理はない。イルダスはエレジーの手を取らず自分で立ち上がると、頭ひとつ低いところにあるエレジーを睨みつけた。



 「俺はたった今、お前に負けたんだけど? その俺に向かって『凄い』ってなんだよ。お前は凄いけど私のほうがもっと凄いの~ってか? 馬鹿にしてんのはどっちだっつー話だぜ」


 「そんなことは思っていない。本当に凄いと思ったから、そう言ったまでだ」


 「はっ! どうだか」


 「お前の剣は読みづらかった。我流か?」



 突然の質問に、イルダスは眉をしかめた。



 「あん?」


 「私は昔から父に剣を教えられてきた。異なる流派の使い手とも手合わせをしてきたし、剣以外にも弓や槍も習った。お前の剣は、どれとも違っていた。だから、我流かと聞いたんだ」


 「ふんっ、まーな。俺ァお前みたいに、高名なお師匠さまに教えを乞えるような環境にいなかったもんでね。近所走り回って大人相手にやり合ってたわけだよ。おかげで地元じゃ筋金入りの悪ガキだってよく言われたぜ」


 「なるほど。だからお前の剣は型らしい型がない奔放で強い剣なのだな。なかなか捉えにくかった。正直、負けもあり得ると思った」


 「かーっ! だから馬鹿にしてんのかっつってんだよ!」


 「馬鹿になどしていない。お前の剣は素晴らしい」


 「ハッ! 今、俺の剣を奔放だっつったじゃねえか。そんなのが素晴らしいって? 高尚な剣術を使うお前が? 本気で言ってんのか?」


 「無論だ。お前の剣は、きっと私たちを助けてくれる。強くしてくれる」


 「…………あんだって?」



 脈絡のない台詞のように思えて、イルダスは苛立ちもどこかへ置いて、エレジーをまじまじと見つめた。



 「私たちの多くが洗練された剣術を学ぶ。先人たちが長い時間をかけて築いてきた至高の剣だ。お前のいう高尚な剣術だな。だが、いざ戦場に立てば、それだけでは決して生き残れない。父がそう教えてくれた」


 「……はあ」


 「軍の末端まで指揮官の望むように動いてこそ、盤面の戦略は真価を発揮する。だが戦場に身を置いて、実際に剣を振るうのは兵士一人ひとりだ。誰だって生き残りたいと思うし、死にたくないとがむしゃらにあがく。相手も、私たちもだ。そうなったとき、どれだけ型通りの動きができるだろう。型通りの動きをしてくるだろう」


 「……」


 いよいよ何が言いたいのか分からなくなった。イルダスの顔には、はっきりとそう書いてあった。



 「戦場に卑怯という言葉はない。相手はこうしてくるだろう、こんなことはしてこないはずだという考えは通用しないと思え! 私たちは誰が相手で何をしてきても生き残れるように、敵を倒せるように、色々な戦い方があると知るべきだ! ……だから、お前の剣は素晴らしいと言ったんだ。イルダス」



 誰もがエレジーの言うことに聞き入っていた。エレジーに反発していようが、イルダスを毛嫌いしていようが、誰も口を挟もうとしなかった。



 「お前の剣は、戦い方は、私たちの視野を広くしてくれる。もし戦場でお前と敵として出会っていたら、私たちのうちのどれだけがお前に殺されていただろう。だがお前は今、こうして私たちの側に居てくれている。私たちは果報者だな。お前のおかげで、いつか戦場に出たとき死なずにすむ者が増えるかもしれない」



 持論を疑わない晴れやかな笑顔のエレジーに対して、イルダスは口も目も真ん丸に開いたまま何も言えずにいた。


 そしてゆうに百を数える時間が経った後で、



 「ぷっ」



 笑い出した。それも、腹を抱えての大爆笑だった。



 「ぶははははははっ! マジかお前! あはははははは!」

 


 エレジーはなぜイルダスが笑っているのか分かっていない風だったが、怒ることなくイルダスがしゃべれるようになるのを待った。



 「はははははっ! ……はー負けだ負け! 完っ敗!」



 そう言って膝を一度叩くと、先ほどまでの卑屈っぽい表情は完全に姿を消し、気持ちのいい笑顔を見せた。



 「お前おもしれえな、エレジー。いやマジで一本取られた」



 そして、今度はイルダスから手を差し伸べた。



 「正直、こんなところに入るなんてって思ってたけど、お前の生き方には興味がわいた。これからよろしく頼むぜ」


 「ああ、こちらこそ」



 二人は大勢の生徒が見守る中、固い握手を交わした。


 これを機に、水面下で広がりつつあった貴族出身者と平民出身者の溝は埋まっていった。お互いのリーダーがそれぞれを認め合い、手を取り合ったからだ。


 この先多少のいざこざがあったとしても、二人の耳に入れば必ず喧嘩両成敗ですまされることになるだろう。


 これから自分たちは、きっとより良い道を進めるだろうと思った。

 

 少なくとも、エレジーはそう信じていた。




 イルダスは一部の教師や学生から目の敵にされてはいたが、寄宿学校のムードメーカーとして絶大な人気を誇った。


 たとえばある日、真冬であるにも関わらず、肩で息をして大粒の汗を浮かべたイルダスを、エレジーは廊下で見かけたことがあった。



 「今日の修練はもう終わったはずだが?」


 「いや、それがさっき外階段で雪合戦してたらよー。運悪く雪の塊が下を歩いていた先輩の頭にヒットしてさ。只今絶賛鬼ごっこ中。鬼三人に対して俺ら五人だから、余裕かと思ったら、さっき見たら何故か鬼が九人になってて超焦ってるとこ」


 「そう言いながらも、楽しそうなのがお前だな」


 「まーこれも集団生活の醍醐味的な? とりあえず、消灯時間まで逃げ切れたら俺らの勝ちだよな!」


 「食事も摂り、風呂にも入ってか。自分で勝手に難易度を上げたがるのはお前の悪い癖だ。付き合わされた奴らの苦労が偲ばれる」


 「ふふん。なーに一蓮托生ってやつよ。……ってうおおお見つかったあああ!」



 二階の窓から身を乗り出してこちらを指差している生徒を見つけるやいなや、エレジーに片手を上げると猛然とダッシュしてその場を去っていった。




 かと思えばまた別の夜。エレジーが夜食をもらおうと立ち寄った食堂でふと天井を見上げたとき、複雑に組まれた木の梁の上を移動するイルダスを見つけたこともあった。



 「今度は何をしているんだ?」


 「しーっ! 黙ってろって。俺は今かくれんぼ中なんだ!」


 「また先輩か?」


 「いや、槍術のおっさん。さっき部屋でカードゲームしてたら、そんなものをしている暇があるなら勉強しろって言ってきたから、窓開けておっさんのカツラ吹っ飛ばしてやったら、すっげー形相で追いかけてきてよ」


 「狙ってやっているあたり、本当にタチが悪いな、お前は」


 「チッ。べつにいいじゃねえか、カードぐらい。自分が前に生徒相手に負けたことがあるからって、目の敵にしやがって」


 「よく知っている」


 「まーな。……さて、そろそろ俺も部屋戻りてーんだけどなー。明日も朝早ぇーんだぞ俺たちはー」



 そんなことをぶつくさと言いながら、器用に梁を渡り壁を伝い、イルダスは食堂を出ていった。



 (あんな生物がいたはずだが、名前はなんだったか)



 エレジーはヤモリを想像しながら、小首を傾げて粥を口に含むのだった。




 さらには他のある日。点呼も終わった夜遅く、にわかに外が騒がしくなってエレジーは目を覚ました。


 窓からそっとのぞくと、どうやら見回りの教師と夜の街から帰ってきた生徒が鉢合わせしたらしかった。



 「こらぁー! 待て、貴様らーっ! どうやって抜け出した⁉」


 「ギャーッ! マジか! いつもより見回りに出んの早えんじゃねーの⁉」


 「つーか誰が言うかよ! せっかく開拓したルートなのに!」


 「今名乗れば明日のトレーニング十倍で許してやるぞ!」


 「名乗らなかったら?」


 「怪しい奴は片っ端からトレーニング二十倍のレポート三十枚だ! やっていなくても知らん!」


 「鬼かっ⁉」




 逃げる生徒たちの声が綺麗に揃ったのを聞いて、エレジーは苦笑しながらベッドに潜り直した。


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