プロローグ  世界で最も高くて貴い庭園にて




 どこからか、高い鳥の鳴き声が聞こえてくる。頭上から降り注ぐのどかな白い光が、鮮やかな若葉に反射して眩しい。


 きれいにならされて窪みひとつない土の道を、のんびりと歩いている影があった。手土産の入った籠を揺らしていて、形のいい鼻からはふんふんっと楽しそうなリズムが漏れている。


 彼は今から、古い友人を訪ねにいくのだ。最後に会ったのはどれぐらい前だったか覚えてないが、まあかまわないだろう。ちなみに連絡はしていない。



 「お? やあやあ見えてきたぞ。いつ来てもそうだが、誰かが住んでるとは思えん見た目だなあ」



 それもそのはず。ヘルクレイアの塔と呼ばれるそこは、円形の石造りの建物だったが、外壁が植物に一面覆われていたからだ。かといって無作法にも見えないのが不思議なところで、どこか優しさと穏やかさを感じる。住んでいる主は、どちらかというと偏屈なほうなのに。


 蔦や葉のほか、色とりどりの花も咲き誇り、近寄ればむせかえるような甘い匂いが肺を満たした。


 中へ入るための唯一の入口にすら緑のカーテンがかかっているのだから、本当に徹底していると思う。そしてそれをくぐれば、また自由に生い茂る植物が迎えてくれた。


 床にはまるで絨毯のように青紫色の小さな花が咲き揺れている。その中で一筋だけ、マーブル模様の床が見えているのは、来訪者へのせめてもの気遣いだろう。


 両足並べて立つのがやっとの細いそこを、彼は軽やかに渡って上へ続く階段に飛び乗った。木目の調和が美しい重厚な階段は、わずかな軋む音もさせなかった。


 友人がいるはずの最上階を目指していると、ピョーィと鳴いて鳥がやってきた。明るい黄色の体だが、長い尾だけが濃い緑色だ。



 「おっ、晴鳴鳥ハレナキドリじゃないか。君のご主人は息災かい?」



 ピィーッと返事をすると、強い羽ばたきであっという間に上へ飛んでいってしまった。



 「やれやれ、早く来いと言うのか? せっかちめ」



 肩をすくめるも、唇は弧を描いていた。口笛のような吐息をこぼし、



 「歪な珠」



 羽飾りのついた帽子を押さえて、一段上がる。



 「開闢の深奥」



 勢いをつけて一段飛ばし。



 「放たれる道」



 さらに勢いに乗って二段飛ばし。



 「疾駆する馬に乗る」



 長い足を活かして三段飛ばし、空間を飛び越えて踵が着いたのは、鏡のように磨かれた白い石の上だった。この屋上には植物もあまり伸びていない。縁に彩りを添える程度だ。


 なぜならここは、この塔の主が楽しみにしている月に一度のお茶会の会場だからだ。



 「やあ、久しぶりだクロースター。元気にしていたか?」



 濃淡のある緑の服を着た長い黒髪の男が、手を止めて振り返った。彫りの深い美形であったが、忌々しげに寄せられた眉間の皺が少し残念だ。



 「やっぱり来たな。どこで聞きつけたのやら。招いてもいないのに、相変わらず図々しい奴め」


 「親友になんてことを言うんだ。だいたいそうは言っても、君だって俺が来ると分かっていただろう。だから今日は一人しか招かなかったはずだ。お茶会は三人で、というのが君のポリシーなんだから」


 「誰が親友だ」



 嫌そうな溜息を漏らして、クロースターは準備に戻った。大きな白い丸テーブルに、淡いピンクのテーブルクロスをかけ、華やかな模様で飾られた茶器を並べる。



 「つれないなあ。ほら、ちゃんと手土産を持ってきてやったぞ。なんと、あの蜜雪を練り込んだクッキーだ! 高かったんだから、大事に食べてくれよ」


 「天涯の高山の北を落ちる滝の裏に積もっているというアレか。そんなところまで何をしに行っていたんだ?」


 「ははっ、それはもちろん企業秘密さ……お、この子が噂の書記官かい? ずいぶん可愛らしいな。それに俺の発明品も使ってもらえているようでなによりだ」



 談笑する神々の視線の邪魔をせず、さりとて声は聞き取れる絶妙な位置に、影のようにひっそりと佇んでいる少女がいた。そばには小さなテーブルと椅子が用意されている。


 テーブルの上には、無数のボタンが並んだ機械が置かれていた。最初は粋狂だの使えないだのと言っていたクロースターも、どうやらその認識を改めたらしい。



 「ああ、速く正確な記録をつけてくれるので、重宝している」



 そう紹介され、クロースターと同じ色の服を着た少女は、無駄口を利かず美しい仕草で一礼した。



 「ふむふむ。では、今回は君のお手並みも拝見させてもらおうか」


 「お前が偉そうに言うな。押し掛け客のくせに」



 そう言いながら、手土産と渡された籠にかけられた布をとれば、ふわりと香ばしい匂いがした。飴でも混ぜたのか、光を受けてキラキラと輝いてもいた。



 「……お前、本当に茶菓子の選びだけは外さないなあ。あとはポンコツなのに」


 「なんてことを言うんだ⁉」



 心外だと目を剥くが、クロースターはいそいそと白磁の大皿にクッキーを並べるのに忙しく、聞いていなかった。拗ねて顔を背ければ、遥々とした景色が迎えた。近くにはここより高いものがないから、天の園がよく見渡せた。



 「ああ、やっぱりここからの眺めは最高だな! 見ろ、空が虹色に染まっている」



 両手を広げて歓声を上げた。



 「いつもそう言うが、その気になればお前も再現できるだろう。奇術の神ヴェルメイユ」


 「うん? そうだなあ、たとえば……」


 「あ、おい」



 クロースターがテーブルに置いたばかりの銀のスプーンを空にかざした。淡く重なり合う色合いの空が、曲面に美しく映っている。ヴェルメイユが指を鳴らすと、それは銀で縁取られた爪ほどの大きさの硝子球へと姿を変えた。


 柔らかい黄色から薄いピンクを挟み、明るい灰みを帯びた青紫へと移ろうグラデーションとともに白い雲までも浮いていて、まさに今の空を閉じ込めたようだった。



 「……いや、やっぱり紛い物だな。本物にはかなわん」



 しばらく光にかざして見ていたが、納得がいかなかったのか投げ捨てようと手首を返したとき、ひょいと硝子球をつまみ上げる別の手があった。



 「そうかしら。わたしは好ましいけれど。いつかこれを見て、そうそうあのときは……なんて話をするのもいいでしょう? いらないのならもらってもいいかしら」


 「ヴェネト! 今日の客人は君だったのか」


 「ええ、そうよ。あなたは相変わらず自由人のようね、ヴェルメイユ」


 「さっきも同じことをクロースターに言われたところさ」


 「私は図々しい奴だと言ったんだ。ヴェネト、自由人はこいつにとって褒め言葉だぞ」


 「あら、そうだったわね」



 眼鏡をかけた知的な印象の女性はそう言って顔をほころばせたあと、銀の糸を織り込んだ白いドレスをひるがえして優雅に一礼した。



 「今日はお招きありがとう、森と眠りを司る神クロースター。これ、お口にあうといいのだけれど」


 「こちらこそ、来てくれて嬉しいよ。ああ、おいしそうなケーキだ。さっそくいただくとしよう。では、席へどうぞ」



 空は美しく、鳥が歌い、花も笑う。お茶もお菓子も揃い、準備は整った。



 「今日も佳きこの地に乾杯を。さあ、お茶会を始めよう」





 カチリ、という機械的なキーの音が、お茶会の始まりの合図。


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