第10話 あなたの心に温もりを

 男の人が泣いているのを初めて見た。


 テレビドラマやバラエティなんかで見た事はあるけれど、画面の中に映るそれはどこか本物じゃないといつも思ってしまう。

 決して批判しているわけでも馬鹿にしているわけでもないけれど、今私が抱いている感情の波まではきっと届かないだろう。


れい……くん」


 私の手を祈るように握りしめて嗚咽を漏らす彼。好きな人が泣いている時にどうすればいいのだろう。ここ最近のジェットコースターのような展開についていけず私は固まるしかなかった。


ひなちゃん、代わるわ」


 こころさんが私の肩を優しく触り彼の隣に座る。


「鴒、大丈夫だから……ね?」

「ごめん……なさい」


 何に対して謝ったのか心さん以外わからない。そしてデザートで甘いひと時を演出しようとしたお母さんも、彼の事を好いてくれたお父さんも、鴒くんが落ち着くまで静かに待つ。


 ――――――


「すみませんでした。お見苦しい所をお見せして……」


 目元を腫らした鴒くんがゆっくりとこちらを向く。


「雛さんもごめんなさい。それとお守りを拾ってくれて、こんなに素敵にしてくれてありがとう」


 お守りを大事そうに持つ彼の瞳の色は何色だろう。


「……うん。あのっ」


 聞いていいのかわからない。

 それでも聞きたい。

 だって私はまだ鴒くんの事を何も知らないのだから。


 胸の前でギュッと握った手が震える。

 聞いてもいいのか。

 やっぱり聞きたい。

 あなたの事が知りたい。

 秘密が無い関係を築きたい。

 出来ればキスしたい。


「キ……」

「?」

「キ、キキ……聞いてもいいかな?」


 危ない危ない。

 シリアスの空気をクラッシュしてしまう所だった。ハナちゃんから空気が読めないとよく言われるけど流石にここでは踏み止まる。

 踏み止まったよね?


「……母さん」

「そうね……雛ちゃん達には話しましょうか」


 親子2人で何かを決意した様子で居住まいを正す。


「あの、私達が聞いてもいいんでしょうか?」

「ご家庭の事情があるでしょうし、先程の鴒くんの取り乱し方を考えると……」


 大人2人は大人な対応。それでも私は知りたいと強く願う。この話を聞く事によって私の中で引っかかっていたものが氷解しそうな気がしたから。


「大丈夫ですよ。なぜだか御三方には知っておいて欲しいと思ったんです。うふふっ不思議ですよね」


 心さんはいつもの調子を取り戻したらしく目を細める。その仕草に納得した両親はお茶のお替わりを用意して想良羽そらばね家の物語へと耳を傾ける。




 私にとってその話は水たまりに映る夕陽のように眩しく……儚いものだった。



 ――――――



「私の旦那はパティシエでした」


 パティシエ……その言葉を聞いた途端、目の前に置かれたプリンの意味を知る。そして過去形で締めくくられた語尾も意味を得る。


「私が彼と出逢ったのは大学生の頃。友達と気になっていた喫茶店に行った時に見かけました」


 名前は烏丸からすまえにしさん。

 縁さんは当時喫茶店で働きながらパティシエの専門学校に通っていたらしくお客さんに試食をお願いしては熱心に勉強して一所懸命働いていた。


「私の一目惚れでしたね」


 元々おっとりした性格の心さんは実家の手伝いをよくしていた気前のいい娘として常連さんに可愛がられていたらしい。そして大学生になると交際を申し込まれる事もしばしば……だけど本気で付き合いたいと思う殿方には巡り合わなかった。そこに現れたのが縁さん。


「一緒に行った友達は、渋い好みをしているわねと言ってからかわれましたけどね」


 歳は少し上に見えた、後で詳しく聞くと7つほど離れているらしい。彫りが深い顔にほんの少しの顎髭。お客さんに見せる不器用な笑顔とケーキを盛りつける時の真剣な表情にやられてしまったそうだ。


「その日からほとんど毎日あの店に通ったんですよ。時には大学をサボる事もありました」


 最初の方は1人で行くのが恥ずかしく友人達と偶然を装って通った。だけど予定が会わないと行けない友人達にだんだん歯がゆくなり、心さん1人で通うようになる。


「話の流れから大学生だと知っていたらしい彼から何度も注意をされたのを覚えています」


 次第に会話も増え、縁さんと心さんの喫茶店での甘いひと時はしばらく続き。


「……初めての告白は振られちゃいました」


『今の自分には恋愛なんて不釣り合い』


 という理由らしい。


 それでも心さんはめげなかった。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……彼の気を引くために何度も告白した。


 彼女が大学を卒業する頃……とうとう縁さんの方が折れてしまう。苦節4年の長い戦いが終わった。とはいえ正確にはここが始まり。


「その頃には彼も腕を上げていて、いよいよ自分のお店を出せる段階にきたのですが……」


 彼との交際も順調に進み両家への挨拶を済ませた後、念願の自分のお店を持てるまでになっていた。しかし彼は悩んでいたらしい。

 心さんの実家を継いだ方がいいのではないかと。


「その時、ウチの両親に言われたんです」


 若いうちに色々挑戦しろというのが想良羽家の教えなので背中を押してもらえた。


「両親の言葉に感動したのかなんなのか……いきなり彼が両親の前で私を嫁にくれと言ったのは今でも衝撃ですね」


 懐かしむ心さんの瞳は何色なのだろう。


「嫁にくれ……とは言ってましたが、蓋を開ければ彼が婿養子に来てくれたんです。一人っ子の私を気遣ってなのか。その姿勢にウチの両親は快く受け入れてくれました」


 唖然とする私を置いて、と心さんは愉快に笑う。


「ここの近くで店を持つ事も考えたんですが、それだと身内の知り合いしか来ないだろうという意見になり県外へ引っ越しました。彼はこれも修行だと言って楽しそうにしてましたよ」


 うふふと笑う心さんは隣の鴒くんの頭を撫でる。


「お店は大変でしたけど、この子が産まれて素敵な旦那さんと一緒にお店が出来て幸せな時間でした……でも」


 縁さんが家を空ける事が多くなった。


「……パティシエの大会に行ってくると言って毎月居なくなるんですよね」


 今までこんな事は無かったので不思議に思ったそうだ。最初は浮気を疑ったがそんな事をする性格じゃないのでその線は直ぐに消えた。


「鴒が小学生の時、お父さんの大会をこっそり見に行く事にしたんです……でも実際会場に行くと」


 縁さんは出場していなかった。それどころか今まで出ていたという大会にも名前は無かった。いよいよ怪しく思った心さんと鴒くんはこっそり後をつけて真相を探る。


「……そこで主人が行ってた場所が」




 ――病院だった。





 嘘をついて病院に行く。

 もう何度目の病院だろう。


「出てきた所を待ち伏せて問い詰めました。あの時の主人の顔は今でも忘れられません」


『ごめんな心……俺、もう長くないらしい』


「あの時の言葉も忘れる事はできません」


 自分の体が震えるのがわかる。それはウチの両親も一緒でお父さんがお母さんの肩を抱いている。


 それからはお店を畳んでこの町に帰ってきたそうだ。マイホームを買って、心さんの実家の手伝いをしながら穏やかな時間を過ごした。


「その頃からでしょうか……この子が毎日神社に通うようになったのは」


 神社……その言葉に息を飲む。


「主人の健康を祈って御百度参りをしていたんです。雨の日も風の日も台風の日も……私には止められませんでした」


 この町にある神社はあそこしか無い。


「このお守りは、主人とこの子を繋ぐ絆なんですよ」


 お守りを初めて見た時に感じた違和感がここで繋がる。どこかで見たと思ったお守りは、あの神社のものだったのだ。


「――医者から言われていた余命から随分長く生きてくれたと思います」


 その言葉の意味を理解するのが怖い。


「……主人は私達に看取られながら穏やかに旅立ちました」


 鴒くんを優しく包むその表情は大切なものを失いたくないというあらわれかもしれない。


「この子……お父さんっ子だったから。このプリンを見て色々思い出したんでしょうね」


 目の前に置かれた甘いプリンは鴒くんにとっては苦い思い出かもしれない。


「こんな長話に付き合わせてごめんなさい。でも、さっきも言いましたけど、皆さんには知っておいて欲しかった」


 目元を拭う仕草にどうしようもできないものを感じる。




「……鴒くんは後悔してるの?」


 私の口からそんな言葉が飛び出す。それは意図したものではなく、自然と出てきた心の言葉。


「えっ? 後悔?」


 今の話を聞いてわかった事がある。


「鴒くん……いっつも周りを気にしてるから。それってお父さんの事があったからなのかなって……違ってたらごめん」

「…………」


 口を開けたまま固まる鴒くん。それを見ただけで答えを言っているようなものだ。

 答えを聞きたい訳じゃない私は次の話題を考えるけど、それより先に心さんが口を開く。


「……鴒、もういいんじゃない? 強がらなくても。誰もあなたのせいだと思ってないわ」


「でもっ、だって! 僕がもっと早く気づいていれば……父さんはっ!」


「大丈夫だから、ね? もう大丈夫だから」


 最愛の人を亡くした時、人は何を思うのだろう。


 私はふと考える。

 私が鴒くんにしてあげられる事はなんだろう。そして答えは直ぐに出た。


「鴒くん」


 彼の隣に移動して真正面から瞳をぶつける。



「……雛、さん?」



 見えない雨が降り続ける彼の心を……私の熱で温めたい。



「私とデートして」



 もうすぐ梅雨が終わる。






 次回

 最終話『雛鳥と鶺鴒』

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