【五場】

傘をさして土手の上を歩く散策子と出家。

雨の音が小さくなっていき、晴れ間が射す。


散策子 「晴れたようです。傘も貸していただいてありがとうございました。(傘を閉じて出家に渡す)」

出家 「いえ、私もあなたの身が気がかりでしたので、お送りすることができてようございました。では、私はここで。」


出家が上手に去っていく。

下手からお面を取った角兵衛が現れる。


角兵衛 「あっ、さっきのお兄さん! ……どうして濡れてないんです?」

散策子 「ああ、傘をさっきまで貸してもらっていたんだ。そっちは降られたんだな。……ん? お前、角兵衛獅子のお面はどうしたんだ? それにあの二人は……。」

角兵衛 「お面は捨てた。俺、逃げてきたんだ、あの場所から。」

散策子 「逃げた!? それはまた大胆な……。しかし、お面を捨てたということは角兵衛獅子もやめたんだよな。暮らしのあてはあるのか?」

角兵衛 「暮らしのあてって……お兄さんもちょっとは面倒みておくれよ。今の自分の居場所にとらわれるな!と言ったのはお兄さんのほうだぞ。」

散策子 「たしかにそうだが……。まいったな。」

角兵衛 「ああ、それと。蛇のことはあの角屋敷の人にちゃんと言伝しておきました。」

散策子 「それはよかった。ありがとう。」

角兵衛 「あの屋敷に住んでた人にすっごくありがたがられました。『まだ近くにいるなら一言御礼が言いたいわ』って。」

散策子 「そりゃご丁寧なことだ。そこまでしなくていいのに。」

角兵衛 「(にやにや笑いながら)いや、御礼してもらったほうがいいと思いますよ。お兄さんも気になってた人だし、すっごい美人だから。」

散策子 「気になってた人? ……まさかそれって……。」

角兵衛 「(下手を振り返って)お兄さん! ついてますよ! 美人のほうから来てくれた! 玉脇さーん!」


みをがしゃなりしゃなりと下手から歩いてくる。


散策子 「『玉脇みを』ではないだろうな?」


みをが散策子を見やる。


みを 「(振り返って)私、ですかい?」


散策子が恐る恐る振り返る。


みを 「(微笑して)……あなたお呼び留めしましたか。」

散策子 「(とぼけて)はあ、なんのことでしょう。」

角兵衛 「玉脇さん、この方ですよ、蛇の件に初めに気が付いたのは。」

みを 「これは……先程は、御心配下さいましてありがとうございました。お蔭様で災難を免れることができました(深く礼する)。」

散策子 「いや、そうでしたか。それは……よかったです。」

みを 「お堂のほうも見てらっしゃいましたのね。」

散策子 「……なぜそれを?」

みを 「実は私、屋敷の二階からあなたの姿を見ておりましたの。」


角兵衛が口笛を吹く。散策子が角兵衛をたしなめる。


みを 「お堂のほうへ歩いてくのが見えましたから、きっと御参詣だと。」

散策子 「そんなところから見られていたとは……。なんともきまりが悪い。」

角兵衛 「(悪気なく)なんでお兄さんのことを見ていたんですか?」

みを 「それはその……なんでかしらね。」

角兵衛 「もしかして、俺のことも見えてました? お兄さんともお堂のところで会ったんだ。」

みを 「あなたまでは見てないわ。ちょっと気分が悪くなってしまって、その後すぐに寝ていたの。」

散策子 「それは、私と似ているという男のことがあったからですか?」


みをが散策子を振り返る。


散策子 「さっき聞いたんですよ、あなたと、私とよく似た男の間に起きたことを。私を見て気分が悪くなって、そのくせ『御礼が言いたい』と呼び止めて。何がしたいんですか? 無茶苦茶じゃないですか。」


蝶が一匹、三人の間を飛んでいく。

みをは土手の上に腰掛ける。


散策子 「ちょっと、さっきまで雨が降ってたんだ、汚れますよ。」

みを 「汚れ? なにもないですよ、ほら(立ち上がり、服が汚れていないことを見せる)。あなたもお座りください。」


みをが散策子の背に手を掛け座らせる。青ざめる散策子。

角兵衛にスポット。


角兵衛 「そう言って、土手に座る二人を俺はすぐそばで見ていた。セリフのない役者のよう、ではよく言い過ぎだ。役が与えられてもいないのに枠の中にいる、困った置き人形のようだった。」


照明、元に戻る。


みを 「人が悪いのはあなのほうでしょう。私は私の身に起こったことをそのまま申し上げただけ。そこに腹立たしくなるような解釈を加えたのはあなたのほうです。言葉の綾もあります。朝顔の葉を御覧なさいまし、表はあんなに薄っぺらなもんですが、裏はふっくりしておりますもの……。」

散策子 「言葉の裏……? それなら、私の姿を見て気分が悪くなったことの反対だから、私と会えて気分がよくなった、と。悪い冗談はやめてください。」

みを 「難しいわ。どう言えばわかってくださるの? 私は煩っているんじゃありませんか。(地面の草をいじりながら)まあ、聞いてくださいよ。私に、恋しい懐しい方があるとしましょうね。それで、恋しい懐しい方にどうしても会えないで、夜も寝られないぐらい思い詰めて、気も狂いそうになっていたとしましょう。せめて、似ている人に会えたら……と願うものの遠方からの便りはなし。そこに似た姿を見たとしたら、あなた。そのときの気持ちといったら……あまりに切なくて、行き所のなくなってあふれた感情が気分を悪くしました。その気持ちは、なんと呼べばいいのでしょうね。やっぱり、気分が悪くなって、というほかはないではありませんか。それをお話したんですよ。」

散策子 「(しばらく沈黙した後)じゃ、そういう方がいらっしゃるんですね。」

みを 「ご存じの癖に。」

散策子 「ええ?」

みを 「ご存じの癖に。」

散策子 「今お目にかかったばかりなのに、どうしてそんなことがわかります?」

みを 「それでも、私とある一人の男性との間に起きたこと、あなたご存じなんでしょう?」

散策子 「それは、あのお堂の和尚さんが推測も交えながら話したことで、なんの確たる証拠もありません。私があなたを寝込ませるような存在だと知ってたら、お目にかかるべきじゃありませんでした。」

みを 「言葉というのは難しいですね。意味があるのに、その言葉の意味が本当とは限りません。その裏に隠された魂の部分を読み取って初めてその本意がわかるものです。もしも魂もなく、言葉だけを操る人がいたとしたら、玉ねぎの皮むきのようにどこまでむいても真意にたどりつけない、そんなことだってあるのかもしれませんね。あなたがどう思うか知りませんが、私は魂をもった人間のつもりです。ですから、どうか真意までたどりついてほしいのです。言葉が足りない、というのなら、言葉を尽くしましょう。このうららかな、樹も、草も、血があれば湧くんでしょうね。朱の色した日の光にほかほかと、土も人肌のように暖かい。竹があっても暗くなく、花に陰もありません。燃えるようにちらちら咲いて、水へ散っても朱塗りの杯になってゆるゆると流れましょう。海はまっさおな酒のよう。空はとろとろと、曇もないのに淀んでいて、夢を見ないかと勧めるよう。柔らかなビロードのような山ではそちらこちらで陽炎や糸遊が、たきしめた濃い薫物のようになびくでしょう。ひばりが鳴こうとしています。鶯が、遠くの方で、低いところで、こちらにも里がある、楽しいよ、と鳴いています。何不足のない、申し分のない、目をつむればすぐにうとうとと夢を見るような、春の昼じゃありませんか。あなたは、今どんな気持ちでいらっしゃるのですか?」

散策子 「どんな気持ちって……。」

みを 「楽しんでいらっしゃいますか。」

散策子 「はあ。」

みを 「うれしいとお思いですか。」

散策子 「はあ。で、あなたは?」

みを 「私は気持ちが悪いんです。ちょうどあなたのお姿を拝見したときのように。(言いかけて、はっとする)言葉はだめです。やっぱりいい加減で、あてになりません。まるで夢の話でもするみたい。脈絡がなくて、おかしなところばかりになりますわ。どうでしょう、このしんとして寂しいことは。やっぱり、夢の中の賑わいを見るようでしょうか。二つか三つぐらいの時に、負ぶわれて見たお祭の町のようにも思われます。なぜか、秋の暮より今のこの季節のほうが心細い。それでいて、あの暖かさで心を絞り出されて汗でもかいているよう。苦しくもなく、切なくもなく、血を絞られるようです。柔らかな木の葉のさきで、骨を抜かれるようではないですか。私はなんだか、水になって溶けて、そのまま消えて行きそうで涙が出ます。涙だって、悲しいんじゃありません、そうかと言ってうれしいんでもありません。叱られて出る涙と慰められて出る涙があるでしょう? こんな春の日には、慰められて泣くんです。やっぱり悲しいんでしょうか。ああやって、菜の花畑にちらほら見える人も、すっかり魂を抜き取られて、ふわふわ浮き上って鳥か、蝶々にでもなりそう。心細いようですね。暖かい、優しい、柔かな、すなおな風にさそわれて、たんぽぽの花が、ふっと、綿になって消えるように魂がなりそうなんですもの。死に際に見える極楽浄土とここは同じです。楽しいと知りつつも、情けない、心細い、頼りのない、悲しい事なんじゃありませんか。そして涙が出るのは、悲しくって泣くんでしょうか、甘えて泣くんでしょうか。私はずたずたに切られるようで、胸を掻きむしられるようで、そしてそれが痛くも痒くもなく、日のなかで桃の花が、はらはらとこぼれるようで、のどかで、うららかで、美しくって、それでいて寂しくって、雲のない空が頼りのないようで、緑の野が砂原のようで、前生の事のようで、目の前の事のようで、心の内が言いたくって、言われなくって、じれったくって、口惜しくって、いらいらして、じりじりして、そのくせぼっとして、うっとり地の底へ引き込まれるというより、空へ抱き上げられるような、なんとも言えない気持ちがして、それで私は伏せって寝たんです。それでも、やっぱりお気に障りますか。」


空中をきらきらと光る粉が風に舞う。それを目で追う散策子。

角兵衛にスポット。


角兵衛 「まるで夢の中にいるような光景だった。俺は二人の間に何があったのか知らないが、お兄さんと玉脇さんは俺が見知った二人からどんどん遠ざかっていくようだった。ずっと以前の因縁でも手繰り寄せているみたいに。俺には愛だとか恋だとかというものはよくわからない。けれど、この二人の間に流れる切ない感情の渦のなかに、俺も入ってみたくなった。でも、俺の存在はここでは空気よりも薄かった。居ることさえ忘れられているみたいだった。」


照明、元に戻る。角兵衛は二人の後ろをちょこまかとうろついて、存在を主張し始める。


散策子 「夢は見たのですか。そういう気持ちでうたたねしたら、どんな夢を見るのか気になりました。」

みを 「やっぱり、あなたの夢です。ここにこうやっておりますような。」

散策子 「冗談はやめてください。恋しい、慕わしい、けれどどうしても、もう会えない、と言った、その方の夢でしょう?」

みを 「それが、あなたに似た方です。」

散策子 「そんなはずは……。」


みをが散策子をじっとみつめる。


みを 「昨年から今年にかけて、実にいろんなことがありましたね。この先はどうでしょう? 本当に未来はあるのでしょうか。」

散策子 「……。」

みを 「もしあるのなら、私は地獄でも極楽でも構いません。そこに会いたい人がいるなら。さっさと行けばいいんでしょうけれど。きっとそうとは限りませんから。ただ死んでそれっきりになったら、情けないでしょう? そのくらいなら、生きて、思い悩んで、煩って、段々消えていくほうが、いくらかましだと思います。忘れないで、いつまでも、いつまでも。」


みをが立ち上がる。そのはずみに朱鷺色のリボンで封をしたオリーブ色の手帳を落とす。散策子が手帳を手に取る。


みを 「こっちへください。」

散策子 「日記でも書いているのですか? 」

みを (にこにこ笑って答えない)

散策子 「それとも絵ですか。」

みを (にこにこ笑って答えない)

散策子 「答えてくれないならいいです。少し見てみたかったもんですが。」


散策子が手帳をみをに返すと、みをは散策子に肩を寄せる。


みを 「お見せしましょうか。」


みをが手帳を開き、無理やり散策子に見せる。中を見た途端、青ざめる散策子。


散策子 「なんです、このノートは? ○△□ばかり、びっしりと。」

みを 「ね、上手でしょう。この辺の人たちは、絵を描くというとこの土手へ出ていつまでもこうしていますのに、いつまで経っても絵が完成しませんから私も始めたんです。とっても評判がいいので、次は絵具を持ち出して、草の上で賑やかにやろうと思います。なかなかうまく描けてるでしょう? このまるいのが海、この三角が山、この四角いのが菜の花畑だと思えばそれでいいんです。それから○い顔に、□い胴、△に座っている人だと思えばそれでもいいんです。今からでも、描いて差し上げましょうか。」

角兵衛 「(吟じて)『うたた寝に 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき』」


みをが角兵衛に気が付く。


みを 「あら、いつからそこに?」

角兵衛 「さっきからずっと居ましたよ。二人とも、俺のことなんか眼中にないみたいだったから。知らなかった、こんなに近い関係だったんですね!」


みをと散策子、恥じらって身体を離す。


角兵衛 「いいなぁ。角兵衛獅子の一座は怒声ばかり響いていたから、こんな甘い空気が俺は羨ましいです。」

みを 「ちょっと、こっちにおいで。」


みをは角兵衛を呼び寄せると、金を渡す。


みを 「それをあげるから、ちょっと好きなものでも買っておいで。」


角兵衛が声をあげて泣き出す。


散策子 「角兵衛、どうしたんだ?」

角兵衛 「俺、もうそういうのは嫌なんだ。金で解決しようとしないでくれよ。俺はここにいたいんだよ。厄介者扱いはやめてくれ! 俺にも俺がここにいる理由をくれよ!」


泣きじゃくる角兵衛をみをが膝に乗せてあやす。


みを 「どうしたどうした? お母さんが恋しくなったのかい?」

角兵衛 「そんなもん、いない。」

みを 「お前は知らなくてもね、お母さんのほうは知ってるかもしれない。そうね、もしかしたら、私があなたのお母さんかもしれない。」

角兵衛 「(跳ね起きて)えっ!?」

みを 「お前は歌が好きなのかい?」

角兵衛 「そうですね……意味を調べるのも、歌を吟じるのも好きかもしれません。」

みを 「それじゃあ、この『役』をあげよう。ちょっと待って。」


みをが手帳になにか書く。


角兵衛 「『君とまた みるめおひせば 四方(よも)の海の 水の底をも かつき見てまし』……この歌をどうすればいいんですか?」

みを 「ただ持っていてくれればいいの。誰かに渡してほしい、とかそういうあてはないわ。落としてなくしちゃったらそれでもいい。ただ気持ちだけの問題だから……。(立ち上がって)それじゃあ、私行きますね。御礼を言えてよかった。」


みをが土手を歩いて、上手へ去っていく。


散策子 「いや、助かったよ角兵衛。」

角兵衛 「助かった? 俺は何もしてないよ?」

散策子 「自分が自分でないなにかになったみたいだった。将棋で相手に取られて相手の陣地で動く駒はこんな気持ちなのかもしれない。」

角兵衛 「角交換?」

散策子 「なんだ突然? ……手が汗でびっしょりだ。」

角兵衛 「そうか……お兄さん、俺、わかりました! お兄さんの言っていたことが。今のこの『役割』が嫌だったら『交換』しちゃえばいいんですね!」

散策子 「お前、なにを言ってるんだ?」

角兵衛 「要するにこういうことです。俺は、あの玉脇さんの子供になりたい! やっとみつけた……これが俺の『願い』です!」

散策子 「それは願いの中でもいちばん性質が悪いっていうか、叶わない類の願いだと思うぞ。親っていうのは、生まれてきた時点で決まってるもんだ。」

角兵衛 「でも、玉脇さんは『私があなたのお母さんかもしれない』って言ったじゃないか。」

散策子 「それは言葉の綾だ。」

角兵衛 「お兄さんはさっき『自分が自分じゃないなにかになったみたいだった』って言ってたじゃないか! 役割の交換はできるんだよ、きっと。」

散策子 「じゃあ、せいぜい玉脇さんの子供になるべく頑張ってくれ。……さっきなんか歌を貰ってたな。あれはなんだ?」

角兵衛 「これは俺も知らない歌です。近いのは和泉式部の『君とまた みるめ生(お)いせば 四方(よも)の海の 底の限りは かづきみてまし』ですが……。」

散策子 「どういう意味の歌なんだ?」

角兵衛 「死んだあなたにもう一度会うことができるなら、どこの海の底でも潜って探したい、という意味です。」

散策子 「……物騒な歌じゃないか。あの男を追って海に沈もうとしているみたいじゃないか! なんでこんなことになってるんだ!? 和尚さんの話じゃ、あの玉脇のご婦人は死んだ男を好いていたわけではなかったはずなのに!」

角兵衛 「『役割』が変わった、ということじゃないですか?」

散策子 「なんだって?」

角兵衛 「玉脇さんがもしも今与えられている『役割』がいやで、別のなにかになろうとしていたら? それまでの自分をごっそり捨てることだってあるかもしれない。」

散策子 「そのうえで選ぶのが死んだ男の後追いだっていうのか!? 冗談じゃない。」

角兵衛 (笑う)

散策子 「なにがおかしい?」

角兵衛 「お兄さんだって、変わってるじゃないですか。玉脇さんにそんなに肩入れする理由なんてなかったでしょう?」

散策子 「いや、これは……! まぁ、いい。そういうことにしておこう。玉脇さんを探そう。思いとどまらせなければ。」


角兵衛、頷く。

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