【四場】

花の香りが漂ってきそうな、濃厚な春の野の風景が広がっている。

丘に座長が鞭を手に仁王立ちしている。その隣に座長の妻。飛獅子、歩むはうつむき黙っている。

下手から角兵衛が入ってくる。


角兵衛 「遅くなりました、座長!!」

座長 「お前、一人で何やってたんだ!」

角兵衛 「一座のみなさんをお待たせして、すんませんでした!」


座長が鞭で角兵衛を打つ。


座長 「言うことはそれだけじゃないだろ。」

角兵衛 「え? なにがです?」

座長 「とぼけんな!」


座長が角兵衛を殴り、角兵衛は倒れる。


座長の妻 「なくなったんだ、一座の売り上げがまるっとね。」

角兵衛 「えっ!?」

座長 「さぁ、出せ。お前が盗んだんだろう!」

角兵衛 「違います! 俺が盗んだなら、なんでわざわざここに帰ってくるんです? おかしいでしょう!」

座長 「うるさい! 飛獅子がそんな卑劣なことをするか? 幼い歩にこんなことができるか? こんなことをするのはお前ぐらいしかいないんだ!(角兵衛を鞭で打つ)」

角兵衛 「座長! 違いますって! おい飛獅子! 今度ばかりは やりすぎだろ!」

飛獅子 「おいらじゃねぇ! お前こそ嘘ついてねぇで白状しろ!」


歩がそろりそろりと下手に消えようとする。


座長の妻 「歩? どうしたの、そんなところで。腹が空いたからってなんでも口に入れるのはやめなさい。」

歩 「そんな馬鹿みたいな真似するかよ。」


一同、驚く。


座長 「お前……! 言葉が喋れたのか!?」

歩 「そうだよ、いつかここから抜け出すために、ずっと馬鹿の振りをしてたんだ。(厚い長財布を取り出して)結構ためこんでたんだな。今まであんな微々たる額をよこしただけで偉そうにしやがって。でも、これなら両親の借金を帳消ししても土産のひとつぐらいは買えそうだ。」


歩、下手に走り去る。


座長 「歩~~~!! 恩を仇で返しやがって! 待ちやがれ!!」

飛獅子 「座長、おいらが追います!!」


飛獅子と座長が歩を追って下手に走り去る。


座長の妻 「行っちまった。災難だったね。」

角兵衛 「いつものことですよ。」

座長の妻 「あんたは変わった子だよ。なんで怒らないでいられるの?」

角兵衛 「だって、そうすりゃもっと面倒なことになる。」

座長の妻 「それはそうかもしれないけど……。でもそれなら、歩みたいに逃げ出すのが普通だよ。あんたはどうして、こんな自分を苦しめる箱の中にわざわざ居ようとするんだい。」

角兵衛 「それは……飛獅子がいるから。俺一人で逃げるわけには……。」

座長の妻 「その飛獅子はずいぶん座長から贔屓されているじゃないか。」

角兵衛 「俺みたいな、捌け口があるからだろう? 俺がいなくなったら、飛獅子が捌け口にされる。だから俺はここから逃げるわけにはいかないんだ。」

座長の妻 「あんたは変わった子というよりも、ただの馬鹿だね。教えてあげるよ、どうして飛獅子が贔屓されるのか。それはね、あの子が団長の隠し子って噂があるからだよ。」

角兵衛 「隠し子? どうして隠し子だと怒られないんだ? 意味がわからない。」

座長の妻 「もう一度訂正するよ。あんたは馬鹿というより可哀想な子だ。親の愛情ってもんを本当に知らないんだね。親っていうのはね、血のつながった子供を特別かわいいと思いがちなもんなんだ。全部の親がそうとは言わないけど、少なくとも座長が飛獅子を贔屓するのはそういう理由さ。あんたは座長の体のいい捌け口にされてるだけ。」

角兵衛 「……。」

座長の妻 「おやおや、おし黙ってどうしたんだい? 知らなくてもいいことを教えてしまったかい? あんたがここでの『役割』にこだわる必要はないんだ。歩みたいに、逃げたかったら逃げればいい。もっとも、あんたが逃げたいと思えば、の話だけどね。」

角兵衛 「俺にはやりたいことなんてない。ここじゃないどこかに行ったからといって、なにかしたいことがあるわけじゃない。だから、意味ない。」

座長の妻 「あんたのその身体の中にはなんの魂もないってこと? 芸術家が丹精込めて作った美術品にだって魂の存在を感じるっていうのに。もったいない。あんた、顔は悪くないのにね。」

角兵衛 「それ……別の人にも言われた。」

座長の妻 「あら! 女の子?」

角兵衛 「いや、男の人で大人だけど……。」

座長の妻 「なんだ……つまらない。でも、そうか。私以外にもお面の下のあんたのことをちゃんと見て、気にしてくれる人が世の中にいたってことだ。」

角兵衛 「そうかな。たとえそうだったとしても、もう会えないだろうし、意味ないよ。」

座長の妻 「なんだい、さっきから! 意味ない意味ないって! やったこともない奴が言うんじゃないよ! 私はよくわかったよ。あんたがそんな風になっちまったのは、自分のことを気にかけてくれる人なんて誰もいないとあんたが思っているからだ! 私はあんたの親じゃない。あんたの親が生きてりゃかけてた愛情と比べたらありんこぐらいの愛情しかかけてないだろうさ。でも、一緒に全国を渡り歩いて、すくすく育っていくのを見て、情がわかないわけもなかったんだよ!」

角兵衛 「おかみさん……?」

座長の妻 「やめとくれ。今だけはそう呼ぶのはやめとくれ。なぁ、角兵衛。私は自分の子を身ごもっても、ついに産むことはできなかった。だけどね、少し掛け違えたら、あんたが私の子供だったかもしれない。それぐらい、人の運命はちょっとの匙加減で変わるもんなんだ。お願いだから、自分をもっと大切にしておくれ。」


座長の妻が両腕を広げる。戸惑いながら角兵衛は座長の妻に抱きしめられる。座長の妻が声をあげて泣く。その背を角兵衛が恐る恐る子守するように叩く。


座長の妻 「あんたも逃げな。角兵衛獅子のお面は取って、あんたのなりたいものになるんだ。大丈夫、ここより地獄はそうそうない。」

角兵衛 「ありがとう……おかみさん。」


角兵衛、上手へ走り去る。悔しそうに崩れ落ちる座長の妻。

ぽつりぽつりと雨の音が響き、やがて大きくなる。

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