【二場】
奥に一段高く丘。丘には菜の花や桃の花が一面に咲き乱れ、濃厚な春の空気に満ち溢れている。
一場で置かれていた中央の正方形の黒い枠はここでは久能谷の観音堂として見立てられている。正方形の黒い枠の奥には観音像と燭台が鎮座している。
上手の背景には三角の山、下手の背景には丸く湾。
下手から散策子が走ってくる。
散策子 「ずいぶん大きな蛇だった……。屋敷に入っていってしまったが、大丈夫だろうか。あんなのに風呂場で会った日にはたまらない。誰か家の者に言伝できるといいんだが……。」
舞台奥の丘を下りて角兵衛、飛獅子、歩が角兵衛獅子の姿で現れる。
散策子 「ああ、ちょうどいいところに。君たち、近所の子かい? あそこの角屋敷の人を知っていたら言伝を頼みたいんだが。」
飛獅子 「おいらたちは角兵衛獅子。災厄払いの舞を踊って全国を旅してるんだ。」
角兵衛 「そう言えば聞こえはいいけど、要は口減らしのための出稼ぎの児童労働者。ここにも来たばっかりだからな~。」
歩 「(残念そうに)ちゃ~~ん……。」
散策子 「そうか。ならばいい。」
三人は散策子の前に立ち道をふさぐ。
散策子 「そこを通してくれないか。」
飛獅子 「せっかく会ったんだから、おいらたちの災厄払いの舞を見てくれよ~。おひねりもらえなきゃおいらたち、生きていけないんだよ~。」
散策子 「災厄払い、ね。そういうのはもう見飽きたんだよ。アマビエとかさ。」
角兵衛 「わかった、それじゃあ、お兄さんの言伝、俺がしてくるよ。どうせこの近辺は営業して回らなきゃいけないし。」
散策子 「そうか。では、(下手を指して)あの角屋敷の人間に、大きな蛇が入っていったから気を付けるよう伝えてくれるか。」
角兵衛 「承知!(両手を散策子に差し出す)」
散策子は角兵衛に紙幣を一枚渡す。それを飛獅子が奪い取る。
角兵衛 「飛獅子! なにすんだよ!」
飛獅子 「それはこっちの台詞だ。角兵衛みたいな親のないやつにゃもったいないと思ったから貰ってやるんだよ。じゃあな、角兵衛、言伝、よろしくな。おいらたちは先に飯でも食いながら営業してるよ。」
飛獅子、歩、下手に走り去っていく。角兵衛はおもしろくなさそうな顔で飛獅子たちの後ろを歩いてついていこうとする。
散策子 「……怒らないのか?」
角兵衛 「怒ったって何も変わりはしない。面倒が増えるだけだ。」
散策子が角兵衛の手に一枚紙幣を握らせる。
角兵衛 「これは……。」
散策子 「私はここの観音堂を見にやってきたんだ。お前たちもそこからやってきたな。それをやるから、ちょっと案内してくれないか。」
角兵衛 「案内なんて! 無理だよ、いま来たばっかりだし。」
散策子 「(笑って)角兵衛といったか? なにも名前通り枠にきっちり収まる必要もあるまい。案内というのは口実だ。それを貰っておいてくれ。」
角兵衛 「……ありがとうございます!」
散策子 「……いつもあんな調子なのか? 角兵衛とさっきの飛獅子って奴は。」
角兵衛 「はい……。飛獅子は年が上なので仕方ありません。」
散策子 「おいおい、年が上だからってなんでもありなわけないだろ。狭い人間関係での決まり事を絶対と思わないほうがいいぞ。」
角兵衛 「そんなこと言っても俺には、あの場所しか……。」
散策子 「そのお面、取ってみてくれないか。」
角兵衛 「(獅子の面をとって)これですか?」
散策子 「……やっぱりな。よく見れば銀幕のスターみたいじゃないか。その姿でほうぼう回ったほうが人気が出そうなものだけどな。」
角兵衛、獅子のお面をかぶり、お堂の石段を数段上がる。
角兵衛 「お堂まで案内します。(手の紙幣を見せながら)頂いたので。」
散策子 「(ため息をついて)あぁ、頼むよ。」
角兵衛が散策子を先導しながらお堂の前に進む。
散策子は観音堂に手を合わせる。お堂の柱や天井に貼られた無数の巡礼札を見る散策子。
散策子 「巡礼札がたくさん貼ってあるな。(巡礼札を読みながら)魚政に屋根安……。好いた女のことでも願ったのだろうな。姿も知らない昔の人なのにどんな人だったか目に浮かぶようだ。」
角兵衛 「(巡礼札を眺めながら)加賀に越前……この辺は行ったことがあります。すごい! 肥後の熊本から来た人までいる!」
散策子 「はは、想いに距離は関係なし、ということか。ん? これはなんだ? 丸柱に懐紙が挟まっているぞ。(懐紙を引き出す)まだ新しい……。(書かれた文字を読む)『うたた寝に 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき』。この歌は……。」
角兵衛 「小野小町の歌ですね。うたた寝しているときに恋しい人の夢を見た。あの人も私を思ってくれているから、こんな夢を見たのだろうか。それ以来、あてにならない夢にすがってしまう……。会えない人への想いを歌ったものです。」
散策子 「現実では会えないから、せめて夢で逢いたい、か。人と会うことが特別なことになった今の世の中ではいっそう身につまされるな。(懐紙を見て)名前が書いてある。『玉脇みを』……。」
角兵衛 「歌の解説をしたのを、案内ということにしていいですか?」
散策子 「ああ、もちろん。さっきも言った通り、お前になにかしてもらおうと思って金をやったわけじゃない。」
角兵衛 「では、俺はここで。角屋敷の方に蛇のことを言伝しないと。」
角兵衛、石段を降り、下手に去っていく。
散策子 「ちょっと! ……本当に生真面目というかなんというか。気に入らない『役割』なんて、さっさと捨ててしまえばいいのに。」
観音堂の裏から出家が現れる。
出家 「御参詣で?」
散策子 「ああ、はい。(手の懐紙に気づき、気まずそうな顔)」
出家 「(散策子の手の懐紙を見て)それは……。」
散策子 「ああ、すみません。ここの丸柱の割れ目に挟まっていた懐紙が気になって取ってしまいました。書いたのは私じゃないですよ。『玉脇みを』という人のようです。」
出家が訝しそうに散策子を見る。
散策子 「本当ですよ。」
出家 「巡礼札ならまだしも、中には、薬や何かの広告を貼る者さえいます。そんなことはもはや構いはしません。……旅の方ですか?」
散策子 「はい……。」
出家 「お宿はどちらで?」
散策子 「そこの停留所の近くです。先々月あたりから一間借りて、仕事は遠隔でしながら旅行気分を味わっています。」
出家が急に押し黙る。出家は念仏を唱えながらお堂の扉を開ける。
正方形の黒枠をくぐり、燭台の前に進むと、袂からマッチを取り出し、ろうそくに火をともす。
出家 「昨年の夏も、お一人、あなたのような男性の御宿をいたしたことがあります。その歌を書いた玉脇みをという女性とも関係ありましてな。」
散策子 「ほう。それは興味深い。私はこの歌を書き残した玉脇みをという方が気になっていたのです。長い黒髪のようにすらすらと書き流されたこの文字のような人なのでしょうか。」
出家が中央の正方形の黒枠に手を掛けながら散策子を覗き見る。
出家 「……立ち話もなんです。どうぞお堂へお上がりください。」
散策子が黒枠をくぐると、出家が手に掛けた黒枠をそのまま床に倒す。正方形の黒枠は、お堂の畳の縁となる。
出家 「お茶をご用意いたします。よろしければ仏様にご挨拶してお待ちください。」
出家が上手に姿を消す。散策子は出家に一礼すると、観音像の前に座し、手を合わせる。
散策子 「(立ち上がり)いい景色だ。湾がぐるっと丸く見渡せるし、裏には山もある。秋になれば紅葉もきれいだろう。こんなところがあるとは。」
出家が上手から盆に乗った茶を持って戻ってくる。
出家 「(散策子に茶を出しながら)お待たせいたしました。手入れが行き届いておらず仏様にも申し訳ないばかりです。」
散策子 「そんなことありません。いいところを知れたと感心していたところです。」
出家 「そうですか。(観音像のほうを見ながら)いかがですか、ご本尊は。」
散策子 「ああ……そうですね。(考え込む)立派だと思います。」
出家 「無理をなさらなくてもいいのです。古くからありますが、なんの文化財の指定も受けておりません。つまりはそういうことです。しかし、私は思うのです。作がよければ、世間は美術品としてもてはやしますが、それは御仏の心を理解したと言えるのでしょうか。」
散策子 「たしかに、それは耳の痛い話ですな。仏像が一時の流行に乗ることはあってもそれに乗じて仏の教えが流行したという話は聞きません。」
出家 「本来、仏像は仏の御心を誰しもが感じられるように、と作られた偶像です。それを仏の御心を理解しないまま、美術品として崇めるなど……あってはならないことです。」
散策子 「なるほど……本末転倒になっているのですな。とはいえ、仏の姿を拝みもせず信仰心を抱くのは、それこそ難しいんじゃないですか? 形のない、得体の知れないものに名前がつき、姿が与えられる。そして人はようやく安心し、信じることができるのだと思います。恋人だってそうでしょう。どんなに愛の言葉を囁きあったところで、会うことができなければ不満でしょう。」
出家 「はっはっはっ。申されましたな。しかし、今のような世では『会う』ということの定義もよくわからないものではありませんか?」
散策子 「と、申しますと?」
出家 「昨今では画面越しの逢瀬も珍しくはないでしょう。あれはどうです? あなたの言う『会った』うちに入りますか? それとも偶像を拝んでいるにすぎませんか?」
散策子 「それは……偶像ではないですか? 実際に会ったのではないのですから。」
出家 「けれど、言葉は交わしておりますし、御姿だって見ているでしょう。かたちのない心に触れるのが大切ということでありましたら、画面越しでも果たせているではないですか。それとも、身体を重ねることこそが『会う』うえで大事なのでしょうか。」
散策子 「それは……。」
出家 「意地の悪いことをいたしました。私も答を見出しているわけではないのです。人と会うことが容易でなくなった昨年、私はわからなくなりました。画面越しにたくさんの檀家さんとお話をいたしました。直接お会いしていない以外は変わりないはずです。それなのに私は、心を尽くしても尽くしても、どこか手ごたえのない虚しさを感じていたのです。あれは、なぜなのでしょうね。」
散策子 「わかります。簡単には会えなくなったことで、人との関係が大きく変わりました。男女の恋も形が変わったかもしれませんね。たとえば、一度も現実には会ったこともない男女が画面越しに恋をしたら、現実に出会ったときにこそ違和感を覚えるかもしれません。」
出家 「『うたた寝に 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき』。不思議な因果もあるものですな。先ほどの、懐紙にその歌を書いた女性が体験したのも、まさにそのような恋だったのかもしれません。」
散策子 「失敬。ずいぶん脱線してしまいました。その話をなさるのでしたね。」
出家 「いえ、いいのです。私も今のお話を聞いて本分に帰ったのです。懐紙に書かれていたのは小野小町の歌だそうですね。玉脇みをという女性も、その詠み主のような美人でした。」
散策子 「そうだったのですか。それは、想われ人が羨ましいですな。」
出家 「誰を想って書いたのか、心当たりがないわけではありませんが……。実は、その恋らしきものを巡っては、一人、人が死んでおりまして。」
散策子 「えっ!」
出家 「だしぬけにこのようなお話をして申し訳ありません。いわゆる焦がれ死にというものですな。みをに恋した男性は死にましたが、みをという女性が男性に恋していたようには私には思えませんでした。しかし、先ほどのあなたの話を聞いて、こう解釈することもできるのではと思いました。観世音を待ちわび、救いを求める心を、恋する気持ちになぞらえたのでは、と。」
散策子 「なるほど。『頼みそめてき』は観音様にすがっている、という解釈ですね。」
出家 「そう考えますと、みをというその女性は、死んだ男性のことがよほど堪えていたのでしょうな……。」
散策子 「死んだ男、というのはいったいどんな人だったんです?」
出家 「先ほどお話した、当院でお宿を貸した人のことを覚えてますか? その男性なのですが……お顔がちょうど、あなたのような方で。」
散策子 「(苦笑して)これは……。これは、とんだところに引合いに出されたもんだ! いや、驚いた。」
出家 「その客人は当院に滞在中、夜に海へ入って亡くなりました。亡骸は岩に打ちあげられておりました。怪我か、それとも覚悟の上か。見た目にはわかりません。しかし、私は焦がれ死にだと思っています。」
散策子 「そう思う理由があったのですね。」
出家 「左様です。あれは、昨年の夏のことでありました。」
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