第48話アルの夢 〜その2〜

 落ちていく。

 突然はるか上空、雲の上に放り出されたかと思ったら、かすかに見えた地上とは逆方向にどんどんと落ちていく。


 ミレヴァが使った魔術で私とタッドはアルの精神世界へと潜っているの。

 

 精神世界に入り込んで悪夢から解放というのは、その人の記憶や感情を乱暴に引き出す行為らしいわ。

 苦悩や悲しみを無視して好き勝手に振る舞えば、深層心理を破壊。

 過去、現在、未来いずれかの現象に辿り着く事は無く、アガルタに精神を取り残され、私達の肉体は死を迎えるらしいの。


 私達にとってはそんなありがちな常套句を受けても覚悟が揺らがない、はず。

 どんな危険があってもアルを救うと決めているんだから。

 タッドだってそうだわ。

 私はテンパりやすいだけよ。

 自覚あるの、少しくらい辻褄が合わなくたって多めにみてよ。

 私だってアルが……。


「タッド! つかまって! 私が飛ぶーーはれ?」


 地面とは逆方向に落ちていく不思議な現象に抗おうとして竜種の姿に変わろうと思ったわ。


 でも姿が人間から変われない。

 いつもなら呼吸するかの如く感覚で無意識に変われる。

 むしろ人間の姿でいる方が意識を使う、それすら自分が人間でない事を自覚してしまって嫌だったわ。


 今はこの状況を打破するために竜種の姿に変わろうとしても変わらない。

 本当に役立たずの不便な種族だわ。


 それでも私の方がきっとタッドよりは頑丈なはず。


「はれーーー!? タッド!タッド! どどどうしよう!? 竜種の姿に戻れない! 飛べない! どこに落ちてるかわからないけど、 こんな速度でどこかにぶつかったらタッドが死んじゃう!? え? 死んじゃうの!? ダメダメそれだけは絶対に!」


 目も開けてられないくらいの速度で空へ向かって落ちているのか、それとも空ではなく別の所に向かって落ちているのか、わからないけど必死にタッドを抱き寄せる。

 王族の割にあちこち行商に出張るタッドは意外と骨格がしっかりしていてあちこち筋ばっているの。

 今はなんだかいつもより柔らかい、というかふわふわしてる。

 

「落ち着って! メグ! 大丈夫だから! ここはやばい感じがしない!」


 混乱する私をよそにタッドのいつものドヤ声が響く。


「タッド! 今ぜんぜんやばいでしょう!? 私いま空が飛べないのよ! ミレヴァだってものすごく危険だと言っていたわ!」

 

「お前こそ何言ってんだ! ここにはアルの気配を感じる! アルが俺たち二人を傷つけるわけないだろ!?

 

 その言葉はガツンと頭を打つような、バラバラに見えたパズルのピースがピッタリとハマるような、とにかく大事な事が心に響き渡ったの。

 

 私がどんなに陰湿にアルをいじめても。

 タッドが無理難題言ってアルを困らせても。

 

 アルは私たち二人を守ることにいつも必死なの。

 私が泣いてたら側にいてくれたの、タッドが暴走しても小言を言っても必ずついて行くの。

 

 そう心の底から思えたけど、「ちっ」と誰かが舌打ちをしたような気配を感じたわ。

 瞬間、目を開けれない程の暴風は突然止んでしまったの。


「メグ。 目を開けてみろ」


 私達二人はいつのまにかどこかの丘陵に佇んでいたの。


 耳をつんざくような風の音が止んだかと思うと、聞こえてきたのは、あきらかに人間の悲鳴。

 一人や二人じゃない、もっとたくさんの人間から発せられる悲鳴によってやっぱり私の胸中は不安に入り乱れたの。


「戦場? ここは……? 一体どこに……ねぇタッド?……!」

 

 私もタッドも本物の戦場なんか知らない初めての環境に驚愕したかったけど、そばにいるタッドに振り向いてもっと驚愕したの。

 不安もあるけど、とにかく驚いたとしか言えないわ。


「ヴェイン・テンペスト丘陵? あれは……リムノスとエルが戦争しちまってるのか?」


 遠くに見える多数の軍勢、それに向かって単騎で進む兵士。 

 圧倒的物量の差があるはずなのに、悲鳴をあげているのは多数の軍勢。

 突然の日常とはかけ離れた光景に、これがアルの夢なんだと実感してしまったの。


「あの単騎でエル軍勢を追い詰めてんの、 アルか? どうなっちまってんだよ……」


「タ、タ、タッド! あなた一体どうしたの!?」


「メグ。 俺の事は関係ない。 アルがあんなに兵士囲まれちまってんだったら助けださねぇと」


「そうだけど……そうなんだけど! その胸の膨らみはなんなのよ! 私より、いえ! デヴィより大きいじゃない!?」


「メグ! だからまずはアルの事を見てくれよ!……胸? わ! なんだこの胸……でっか! 爆乳じゃねぇか!? アルどころか真下すら見えねぇよ!」

 

 周囲の異常さのせいか、自分の異常には全く気づいてなかったらしいわ。

 黒髪が腰まで伸びて、私より少し高かった身長は一回り小さく見えて。

 男物のゴシックコートはあちこち、ぶかぶかに見えるのに胸の部分だけピッチピチに窮屈そう、丘陵というなだらかさでは表現できないの。

 よくわからないけど、破壊力抜群のプロポーションになったタッドを見て私は赤面してしまう。


「タッドが……女の子になっちゃった!? それじゃあフェイと私とはどうするのよ!?」


「元々どうもこうもないだろ! 落ち着けよメグ!」


「どうもこうもないって!? 私はともかく、フェイに対してはいくらなんでもあんまりだわ!」


「フェイちゃんは今関係ない! いいか! それよりここはアルの夢なんだろ!?」


「夢な事くらいわかってる! 関係ないって言うのがあんまりだって言ってるの! ん……アルの夢……?」


 タッドとアルはお互い尊敬し合ってて、お互い大好きで。

 男同士なのにフェイや私が恋敵の様に感じてしまう程に、最後にはいつもアルと一緒にいたがって。

 仲が良すぎるとは思ってたけど、アルはタッドが女の子だったらという願望が……?

 しかもデヴィを超える山までふたつ持たせるなんて……。

 アル、あなた、ちょっと性癖こじらせすぎてない?

 いえ、そういう行為をした事のない私にはちょっとよくわからないけど。

 おまけに竜種の姿に戻れないって、私の竜種の姿は嫌って事?

 なんなの、なんなの!

 私の事好きってどういう意味なのよ!

 あれ?そういえばちゃんと言葉では言われてないかも?

 

「とりあえずはアルだよ! あんな大軍相手に何やってんだ!? あいつが勝てるわけないのに……なんで圧倒しちまってるんだよ?」


 相変わらず忙しく心が入り乱れる私をよそに、相変わらず切り替えの早いタッドがアルの心配を始めたの。

 いえ、あんな大軍にアルが勝てるはずがないから心配になるのはわかるけど切り替え早すぎない?

 性別変わっちゃってるのよ?

 親友だと思ってるタッドの事どういう目で見ちゃってるか、わかんないのよ?

 親友に爆乳にされた気分ってどういう感情なの?

 普段から少年っぽかったけど普通にボーイッシュでかわいい女の子じゃない?

 アル……私的にはナシよりのアリよ。

 だってタッドなんだもん!


 

 滑稽な感情に浸る私をよそに、アルに向かってエル人達はは地水火風の魔導を散々打ち放っていたの。

 高速で標的へ向かう人間大の火球。

 粗末な家屋などよりはよっぽど大きい泥の弾丸。

 大木をも薙ぎ倒してしまいそうな暴風。

 雨あられのように降りそそぐ槍の様なつらら。


 正直、それには心配していない。

 エーテル鋼はエル人の魔導に対して、強すぎる能力を持っている事は理解しているから。


 アルの鋼鉄の体に埋め込まれたエーテル鋼は虹色に反応を示したかと思うと、魔導は全て吸い込まれ、その効果を失う。

 そしてアルの接近を許したエル人兵士達は悲鳴をあげる。


 身の丈以上の巨大な鉄塊を携えたアルは大雑把にそれを振り回して数十人から編成されるエル人兵士たちを藁束のように薙ぎ払っていたの。

 アルの鉄塊による打撃を受けたエル人兵士は砕かれ、潰され、吹き飛ばされ、その死体は……無惨としかいいようもない姿だったの。


 手足が千切れ、眼球が飛び出し、内臓が口からはみ出したり、己の死を覚悟する事もできす、死体のどれもが真の恐怖を目の当たりにした様な表情。

 

 中には虚無アカシャを使って反撃を試みる兵士もいるけど、アルの反射はエル人兵士のそれを遥かに上回っていたわ。

 反撃を躱したと同時に鉄塊を放り投げて手放したかと思うと、瞬間殴りつける。

 殴るという表現では生ぬるく、兵士の頭蓋が重量級のハンマーを叩きつけられたカボチャのように潰されていく。


 辺り一帯に潰されたカボチャ畑を栽培するが如く、人間を潰し続ける。

 私は戦争や戦場を知らないけど、凄惨を極める光景は地獄そのもの。

 地獄を作り出しているのが、アル。

 直視するのもつらくて視界がぼやけていくのを感じたわ。

 身体が芯から凍りついてしまったかのように動く事もできないのに、歯がカチカチと音を立ててかみ合わない。

 震えが止まらなくて、立ち続けるのも困難になり始めたの。


 だって、だって不器用ながらに私を慰めてくれたアルにこんな事ができるって本当に信じられないんだもの。


「どういう事なのよ……こんな、 こんな恐ろしい光景を作り出すのがアルの夢……願望……?」


「違う!」


 恐ろしい光景を前に、文字通り戦慄しながらこぼしてしまった言葉に、私よりも高音の声でタッドが否定する。

 自分の性別なんかまるで意に介していない、男の子のまんまの口調の割には声質は女の子そのもの。


「これが……こんなものがあいつが求める主人公なわけないだろ! 誰もが認める主人公はエル人であろうと虐殺なんかするわけねぇ!」


「だとしたら……アルの夢はアガルタに繋がっている。 ありえたかもしれない過去……未来」


「どっちにしろありえねぇ! 俺がそんな事絶対にさせるもんか!」

 

 タッドが肩を震わせながら叫ぶ。

 感情的になるのもわかる。


 不器用で弱っちいけど、誰よりも人の傷みに敏感だから傷つける事を嫌って、タッドや私、ソロルに対してもあんなに優しくできるアルが阿鼻叫喚の地獄絵図を作りだせるわけがないのよ。

 性格だけじゃないわ。

 アルにエル人を超えた反応ができるわけないの。

 

 タッドも理解できてしまったから声を荒げたんだわ。

 アルがとても恐ろしい外法に身を委ねてしまった事に。

 

「メグ! 行くぞ! 今すぐアルを止めなきゃ!」


 そう言って、いいえ、言いながら走り出そうとするタッドの腕を慌てて握って制止する。

 すっかり細くなってしまった腕は女性そのもの。

 タッドがまた声を荒げるので、そんな感傷になんか浸ってられない。


「待って!」


「なんで俺を止めるんだよ! 止めるのはアルの方だろ!」


「待って、待ってよ! あんな風に変わってしまったアルがいる戦場に行くのなんて危険過ぎるってば! 夢なのか未来なのか過去なのかもわからないのよ!?」

 

 もしも、アルの夢だというのなら私たちは絶対に大丈夫。

 アルが私たちを傷つけるなんてありえない。

 それはわかっているの。

 でも怖いのよ。

 いつも私たちのことばかり優先にしていたアルがあんな風になってしまうのは私たちに出会うことのなかった未来か過去なんじゃないの?

 リムノスとエルの和平が元々結ばれていなかった可能性の世界であればこんな事だってありえたかもしれないの。


 ミレヴァは言っていたわ。

 アルの夢はアガルタの可能性につながっているって。

 アガルタは過去、現在、未来がつながっていたりいなかったり。

 つまり、現実につながっている可能性があるの。

 その中でもし死を迎えてしまったら……。


 それに感覚でわかるけど私は今、魔導が使えない。

 全く使えないわけじゃなさそうだけど、厳密には竜種じゃなくなっているのよ。

 今の私にタッドを戦場で守りきる事なんてできない。


「メグ! 大事なとこが抜けてる! ここはアルにとって『一番見たくない可能性』なんだよ!」 

 

「っ!」


「アルがあんな風に人を殺したいわけないんだよ! 早く止めてやらなきゃ!」


 制止する私の腕を引っ掻きながら引き剥がそうとする。

 痛い、夢なのに。

 そのくらい必死なのもわかるけど私だって必死なの。

 危険なの、タッド。

 近づけたとしても、あんな風に変わってしまったアルをどうすれば悪夢から解放できるかわからないのよ。


「タッド! 今のアルは私たちと出会う事ができなかったかもしれないのよ! 私たちを私たちと認識できないかもしれない!」


 お互いが、かけがえくて、お互い自分よりも相手の方が大事な存在。

 親友なんて言葉じゃ片付けられない、二人はもっと深い所で繋がっているんだと思うの。

 だから嫌なの。

 外法に身を落とし、大軍を無感情に蹂躙するアル。

 そんな状態のアルとタッドが出会ってしまって、もしもアルがタッドを認識できなかったら。

 アルがタッドを傷つけてしまうなんて、そんなの残酷すぎるの。

 残酷すぎる可能性に思わず涙がこぼれそうになるのを抑えるのにも必死なの。


 それでも、女の子になってもタッドはタッドなのよね。

 いつでも一直線で、私の大好きな人。


「関係ない! アルがあんなに泣いてるじゃねえかよ!」


 その言葉にハッとさせられて、思わず腕を離してしまう。

 タッドは勢い余って頭から地面に転げ回ってしまったの。

 自分で転ばせといてなんだけど、男の子だろうと女の子だろうとタッドって本当にせわしなくて、変わらない。


「ぶっ!」


 女の子にしては可愛らしさを感じないけど、転んだ衝撃の痛みに耐えながら声をあげる。

 そう、痛みを感じるのよ。

 だから、危険なのよ。


 そんな事ばかり気づいてしまう自分に嫌気が差してしまうの。

 アルの機械の体は泣けない、涙を流す機能が付いていないから。

 無表情、無感情に見えるリムノスの戦闘兵器からくり兵。

 竜種でなくなった私にアルの素顔は見えなくなってしまっていたの。

 エル人を潰し続けて、死体を無感情に量産している兵器のように見えても、あの姿はーー


「こんな事させ続けてたらあいつの心が壊れちまう! メグ!」


「……うん!」


 どんなに危険でもアルを救うって決意したはずなのに……ミレヴァに宣言するまでもなく、タッドはとっくに本気で覚悟を決めていたのに。

 リムノスとエルの戦争、そしてエル大軍を蹂躙するアル。

 恐ろしい過去と未来の可能性に恐怖して困惑して。

 だからって、やっぱり私ってバカでバカで大バカなのよ。


「アルを救うぞ!」


「うん!」


 そう、アルには千年、私のサンドバッグ役をやってもらわなきゃならないんだから。


 起き上がる事すら忘れて、這いずりながら駆け出そうとするタッドを抱き起こして一緒に駆け出す。

 魔導を使えない私達が戦場で何ができるかなんてわからない。


 でも、例え出会った事がなくても、アルが私たち二人を傷つける事はないし、決して許さない。

 

 なんでそんな当たり前の事も信じられなくなってしまうのかしら。

 虐殺なんてやりたくない事を止めるために、泣きながら苦しんでいるアルに、もっと早く声をかけてあげるだけでよかったのよ。


 駆け出してリムノス、エルの軍勢にもみくちゃにされながらもアルの元へ駆けて、駆け出す。


 竜種じゃない私には全力で疾走するのを数十秒続けただけでも辛い。

 走りすぎて息が、心臓が潰れそう。

 タッドも同じ様なものだわ。


 肩で息をするどころか、肺の中の酸素が出るだけ出ちゃって、新しい酸素が取り込めていないような。


 でも、それだけ全力で走ったから近づけたの。


 身の丈以上の巨大な鉄塊を振り回し、圧倒的な力で戦場を圧倒するアルの背中。

 なのに、その背中はとても小さなものに見えたの。

 他の誰よりも感情を露わに、寂しそうで悲しそうなくせに無感情を装う滑稽な兵士。


 でも、でも、私たちにとっては誰よりも、誰よりも大切なーー

 だから気づいてアル。

 あなたが大好きであなたを大好きなタッドと、ちゃんと言葉にはしてもらってないけど、私がいるのよ。


 走りすぎて、額には油汗、肺や心臓が潰れそうだけど叫んだの。


「アルーーーーーー!」


 叫び声が響く前に涙がこぼれ落ちる。

 それでも私の呼びかけを受けてアルがこちらを振り向いてくれたかの様に見えたの。


 その瞬間アルの姿は忽然と姿を消す。

 アルを取り巻いていた軍勢達も一気に姿を消したの。


 いえ、これはシモンズが転移鉱石を使った時と同じ?

 私達の方が瞬間的にどこか別の場所へ?


「ふわーぁ。 君たちがいる理由はミレヴァかなぁ? 困るなぁ。 有人あるとと今出会えちゃったら、 強すぎる炎王に誰も勝てなくなっちゃうじゃないか」


 移動した先に立っていたのは修道ローブを綺麗に着こなした金髪碧眼の若い男。

 突然、現れたその男の雰囲気に私もタッドも不快感を隠せない。

 だって、ようやくアルに会えたと思ったのに、引き離したかの様な口上を垂れるこの男にどうやってそれ以上の感情を抱けばいいのよ。


「怖い顔するなよぅ、 感謝して欲しいくらいなのに。 君たちに会ってたら、 寂しさだけで限界を超えても活動している有人あるとは精神が持たなくて、 死んでたと思うよ?」

 

 軽薄そうな物言いなのに意思の強さを感じる薄気味の悪い男だったわ。

 そしてはっきりとわかる、整った顔だちなのに感じる下卑た笑み。


「頭がおかしくなってても、 会いたいらしぃからねぇ」

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僕みたいなのを主人公(笑)っていうらしいです 千結 @kazuyurichihi

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