【5月刊応援企画】『背中を預けるには』完結記念書き下ろしショートストーリー
角川ルビー文庫
【完結後後日談】ノックの前に、侍従はもう一度確認を
レオリーノの専任侍従フンデルトがかなり高齢であることを考慮して、あらたに二名の専任侍従候補が選ばれ、フンデルトのもとで専任侍従見習いをすることになった。
一名はブルングウルト辺境伯夫人が推薦した、フンデルトの甥であるフンフツィヒという男だ。
すでに四十歳になる独身の男だが、フンデルトには似ても似つかない大柄な男である。平民ではあったが、身元も知れている。レオリーノとも顔見知りであることと、寡黙ながら繊細な感受性を持ち、よく気が利くところを抜擢された。
もう一名は王宮から派遣されたエメリヒ・ルーヴィットという子爵家の次男坊だ。
まだ二十代半ばとかなり若いが、学校を卒業後、アデーレ王太后の離宮に侍従として勤務していた。専任侍従になるのはこれが初めてのことで、大抜擢である。華奢で物腰も柔らかく、レオリーノも安心できる威圧感のない男である。後宮のしきたりにも明るいこと、レオリーノと仲の良い王妃のもとで働いていたことを買われた。
既婚者で、貴族にしてはめずらしく伴侶は同性である。王宮勤めの侍従のたしなみとして医学の知識を習得しているエメリヒが、主にレオリーノの体調面を管理する仕事を受け持つことになっていた。
エメリヒを選出したのはテオドールだ。
気立ても優しく、同性の伴侶を持ち、また下級貴族の出で平民への偏見も少ないエメリヒが、平民であるフンデルトの下に付いて学ばせるのに最適だろうと考えての抜擢だ。
予想通り、エメリヒはフンデルトの下で学ぶことを厭うことはなかった。
フンデルトはそのことに感謝し、老い先短い自分の代わりに、エメリヒが完璧に主のお世話ができるように、日々細々と気をつけるべきことを教え込んでいる。
エメリヒにとって専任侍従の職に抜擢されたことは、非常に誇らしく、またやりがいのあるものだった。
しかし、仕事としては簡単なものではない。レオリーノの世話は、とにかく気を遣う。
大陸に並ぶ者がないと言われるほどの美貌と、そのはかりしれぬほど貴重な血筋。その上いまや王族となったレオリーノは、針の一本も近づけてはならないほど、十重二十重に守らなければならない存在だ。
それにレオリーノ本人も、宝石のほうが扱いやすいと思えるほど繊弱な体質で、とにかく細やかな体調管理を必要とする。
エメリヒは、日々先輩侍従のフンデルトから、レオリーノのお世話の仕方を細やかに学ぶ日々であった。
ただし、主であるレオリーノは極めて優しい心根の持ち主で、わがままを言うこともまったくない。仕える相手としては完璧である。
王宮としてはいささか平民が多いが、同僚達もとても気安く、職場として大変恵まれている。
しかし、そんな恵まれた環境にあったが、エメリヒにはある大きな悩みがあった。
ある日、洗面室の扉を何気なく開けた瞬間に目撃した光景に、エメリヒはやってしまったと血の気を引かせた。
(な、さっきまで……寝室にいたはずでは⁉)
おかしい。
先程は、まだ主達は寝室にいた。たしかに寝台の天幕の奥にいたことを確認したのだ。
しかし、そろそろ洗面室を使うだろうと、先回りして朝の準備をしようと扉を開けたときだ。この離宮の主であるグラヴィスと伴侶であるレオリーノが、すでにそこにいたのだ。
(ひぃぃぃ……!)
エメリヒは必死で息を殺す。
音を立てるのもはばかられるため、エメリヒはあわてて後ずさり、極限まで扉を締める。
もちろん音を立てないように、取っ手は掴んだままだ。
(やってしまった……! やってしまった……!)
エメリヒは内心悲鳴を上げながらも、主人達の睦み合いをしっかりと目撃してしまった。
主の行いに注目するなど、侍従失格の大変不敬な行為だとわかっているが、その光景は衝撃的にみだらで美しかった。
グラヴィスは逞しい裸の上半身を晒し、洗面机の上に伴侶を座らせて、その唇を激しく貪っている。一方のレオリーノは、男の逞しい腰に真っ白な脚を割り広げられたまま、男の影になってあえかな呻き声を上げていた。
「ん……ヴィ、ぁ……ん」
そのとき、グラヴィスがレオリーノの身体にぐっと腕を回す。細い脚がビクリと跳ね上がった。
一瞬だけ、涙に濡れたレオリーノの愛らしくとろけた顔が見える。
「やっ……や、や……」
「続きがしたいといったのはおまえだぞ」
「は、はい……っ……でも、あっ」
レオリーノが甘い悲鳴を上げはじめる。
くちゅくちゅと甘い水音がしはじめたところで、エメリヒは我に返ったのだった。
扉が閉めるに閉められない。もう室内は見えないが、音だけはしっかりと漏れ漏れてくる。
レオリーノが甘く掠れた声で泣き出した。嗚咽のなかに、濡れた音と、低くくぐもった囁き声が聞こえてくる。
やがて、一際甘い悲鳴がこぼれたかと思うと、台が規則的にギッギッと軋む音が聞こえてきた。
「も……あ、さ……っ、なのに……っ」
「……すぐ終わる。出歯亀がそこで待機しているからな……おまえが満足するまでだ」
エメリヒは真っ青になった。グラヴィスはエメリヒがそこにいることに気がついているのだ。
(ひぃぃぃっ!ももも申し訳ありませーん!)
「あっあっ……で、ば……?」
「なんでもない。ほら、集中しろ」
エメリヒも男の伴侶がいる身だ。
主人の弾む泣き声と、繰り返される湿った音に、何が行われているのかは見なくともわかる。
そのときだった。
すっと横から皺だらけの細い手が伸びると、エメリヒの手の上から、取っ手を握る。そして、もう片方の手で、どこからともなく厚い小さな紙片を取り出し、それを引っかかりの位置に挟むように挟んだ。
次の瞬間、エメリヒの手ごと、取っ手をそっと手放す。
扉が音もなく閉じた。
「おおお……」
エメリヒは神業を見た。その神業をなしたのはフンデルトだ。
エメリヒはヘナヘナと脱力した。
「フンデルトさん……ありがとうございます」
「殿下達のお邪魔をしてはなりませんからね。もう少しお二人だけにして差し上げましょう」
「は、はい」
エメリヒに同情したように笑うと、フンデルトはおもむろに質問した。
「ところで、グラヴィス殿下はレオリーノ様と完全に愛し合われておりましたか?」
「えっ?」
「王弟殿下は、お腰のものをレオリーノ様の後ろの蕾にお使いになられておいででしょうか」
とんでもないことを真顔で確認してくる老侍従に、エメリヒは赤くなった。しかし、先輩の問いに答えないわけにはいかない。
「は……ええ、ちゃんと見てはおりませんが、おそらくそのご様子かと」
それを聞いたフンデルトは、生真面目な表情で頷く。
「わかりました。では、このまま半刻以上おこもりになっておられましたら、本日のレオリーノ様のご予定を、こちらの離宮で行えるように変更したいとテオドール様にご相談いたしましょう」
「は、はい」
なんということだ。
別にフンデルトは興味本位で聞いているわけではなかった。レオリーノの体調を懸念して、すでに今後の予定を調整すべく、あれこれと思考を巡らせているのだ。
エメリヒは己を殴りたくなった。
「少しお休みにならないと午後の予定もこなせなくなります。寝室のカーテンを開けておりますが、閉めて薄暗くしておくように侍女たちに指示をしてください」
「はい」
「苦くない軽めのお薬湯もご用意いたしておきましょう。もう一度、少しばかりご就寝いただいたほうがいいでしょう。そのうえで、お昼前にお起こしするようにいたしましょう」
「はい。承知しました」
「この後はご様子をみて、殿下が洗面室を出られたらレオリーノ様のお世話にまいりましょう。寝台までお運びするために、フンフツィヒを半刻後にこちらに来るように呼んできてください」
「はい……!」
専任侍従とはこうまで主の先々にまで心を砕くものかと、エメリヒは感動した。
閨事を多少目撃したところで恥ずかしがっている場合ではないのだ。これこそが専任侍従のあるべき気働きである。
エメリヒは平民ながら完璧な専任侍従の務めを果たすこの老齢の侍従を尊敬していた。
そして、いずれはフンデルトのように万全の気遣いを以て完璧なお世話ができるになりたいと、心がけをあらたにするのであった。
しかし、この手の事件は、何も洗面室だけで起こるわけではない。
ある朝のことだ。
レオリーノの朝の世話をすべく前室に待機していたエメリヒは、そろそろ起床の時間だと寝室の扉に手をかけた。
「エメリヒさん、いまは駄目だ」
すると、同じく前室に控えていた護衛役のヨセフから制止されたのだ。
エメリヒはこのぶっきらぼうな護衛役が嫌いではない。エメリヒの伴侶も近衛騎士で、どちらかというと朴訥で言葉よりも肉体を操る方が得意な男だから、この手の人種には慣れている。
しかし、なぜ止められたのだろうか。
エメリヒが視線で理由を問うと、ヨセフは何気なく、とんでもないことを言った。
「いま、レオリーノ様と将軍様がいちゃいちゃしてるところだ。開けたらレオリーノ様が恥ずかしがるぞ」
「えっ?」
なぜそんなことがわかるのか。
思わずエメリヒは振り返って、寝室に繋がる分厚い扉を見つめて耳を凝らす。
「…………」
どこまでいっても、何も聞こえない。寝室の中の様子など、わかるはずがないのだ。
エメリヒはどういうことだと、護衛役を振り返った。
「あの、ヨセフ。なんでわかるのかな?」
すると、ヨセフはその質問に不思議そうに首をかしげる。
「逆に、なんでわかんないんだ?」
「音も何も聞こえないだろう?」
「そりゃそうだけど、なんかわかるだろうが。こう、むわっと、ホワンとした感じとか」
わかるわけがない。目の前にあるのは、音も人の気配も通さない分厚い扉だ。
「……」
「……」
エメリヒは、色々諦めていることがある。
凡人には度し難いことがちょくちょく起こるのがこの離宮だと、働く中で薄々気がついていたのだ。その中のひとつが、この護衛役だ。
エメリヒは懸命にも、謎を謎のままにすることを決めた。
「ち、ちなみに、いまはどこまでいたしておられるだろうか?」
後のお世話のためにも正確な状態を把握したいと、エメリヒは尊敬する先輩侍従に習って、ヨセフに質問する。
ヨセフは首をかしげた。
「どこまで、ってなんだ?」
「だから、その、アレだよ」
「? チュッチュしてるってことか?」
そうではない。そんなのは日常茶飯事で、もはや気を遣うまでもない。
「……というか、王弟殿下はお腰のものをお使いだろうか」
「使う?」
「……わからないかな」
「? いまはホワ〜ンとしてると思うぞ」
違う、そうじゃない。
ヨセフから、欲しい情報がまったく手に入らない。しかし目の前の青年は、なぜわからないんだ? と、猫のような目を不思議そうに光らせてエメリヒを見つめている。
すると、そこにフンデルトが入室してきた。
「あ、フンデルトさん。おはよう」
「おはようございます」
老侍従は、年若い二人に向かって、優しく微笑んだ。
「ヨセフ、レオリーノ様はまだ寝室で?」
「うん。将軍様とホワ〜ンとしてる」
「そうですか。ではそろそろですね」
エメリヒは耳を疑った。
なぜ会話が成立しているのか。「ホワ〜ン」の意味するところがわからない己が侍従として未熟なのだろうか。
いや、この場合恐れるべきはフンデルトの洞察力だ。そうであってほしい。
「エメリヒさん、お部屋に入らずに、ここで両殿下をお待ちしましょう。洗面室の方でお世話することになりますでしょうから」
「……はい、承知しました」
エメリヒは小さく溜息をついた。
レオリーノを完璧なお世話できるようになるためには、主だけでなく、主の護衛の語る言葉についても理解する必要があるのだ。
しかし、繰り返しになるが、事件は洗面室と前室だけで起こるわけではなかった。
その後も、エメリヒは不運にも主とその伴侶のきわどい場面に遭遇してしまう。
レオリーノの就寝の身支度を手伝いに衣装部屋から寝室に戻ってみれば、いつの間にか戻ってきた離宮の主が主の細い身体を抱えあげて唇を奪いながら、その身体からシャツを脱がそうとしているところだった。
グラヴィス自身はまだ正装のままで、伴侶をひん剥こうとしている。
今日のグラヴィスの戻りは、レオリーノの就寝後になるだろうと言われていたのに、なぜこんなにも早い帰宅なのだ。
「ヴィー……おかえりなさい」
「ああ、ただいま。ああ、今日は体調が良さそうだな」
さっきまで薄暗かった寝室が、甘い空気に満たされている。
(こ、これが、もしやヨセフの言う『ホワ〜ン』なのか……)
レオリーノ用の寝間着を持って硬直するエメリヒに、口づけを与えながら気がついたグラヴィスは、目だけで指示を出す。
レオリーノはとろとろに蕩けて目を瞑ったまま愛撫を受けているので、侍従が戻ってきたことに気がついていないようだ。
(グラヴィス殿下……せめて、そのお手を止めていただけませんでしょうか……)
侍従の存在をまったく気にしないグラヴィスに内心で滂沱の涙を流しながら、エメリヒは気配を殺してそろそろと移動する。もはや隠密任務だ。
指示されたとおりに、寝台の上にレオリーノの寝間着を置く。
ほっとしたと同時に、次の瞬間、エメリヒは目を剥いた。
もう片方の袖机に、エメリヒにも馴染みのある閨事のための準備が、すでに完璧になされているのだ。先程まではなかったのに、いつのまに。
フンデルトかテオドールの仕業だろう。
(なぜ、王弟殿下のお戻りがわかったのですか……)
おそるべきは専任侍従達の完璧な洞察力と先回りした細やかな準備である。
いったいどれほど働いたら、あの境地に達することができるのだろうか。
エメリヒは目を伏せたまま再び気配を殺し、衣装部屋の方の扉に、すすすとすり足で戻る。
いまできることは、このホワ〜ンとした空気を乱さぬように、己の存在を殺すことだけだ。
すると、レオリーノが、伴侶の腕の中で見も枝得してあえかな喘ぎ声を漏らしはじめた。
濃厚に色めいた気配が寝室を染める。
(こ、これがもしや『ムワッ』というあれか……!)
レオリーノが涙声で懇願しはじめた。
「もうして……ちゃんと、してください。おねがい、おねがい……」
「レオリーノ……いい子だな。さ、もう邪魔はいなくなるぞ」
その瞬間、グラヴィスが壮絶な色気を含んだ目で、硬直するエメリヒをちらりと見た。
(邪魔して申し訳ございませんでしたぁぁぁ!)
エメリヒは完璧なる美丈夫のあまりの色気に当てられ、気絶しそうになる。
これはもう、逃亡するしかない。
「じゃま……? な、なに……?」
「なんでもない。ほら、可愛い顔を見せてくれ」
「だ、だれかいる……? そこに、ヴィ……いるの? エメリヒ……?」
「いない」
レオリーノはほぼ裸に剥かれた状態で、逞しい伴侶にひょいと抱っこされたて、寝台に運ばれていく。
エメリヒは必死で見えない手で己の耳を塞ぎ、そして、最近は常に胸元に忍ばせるようになった紙片を使って、扉を音もなく閉めた。
こうやって師匠の技は、そして護衛役の野生の勘は、新米侍従に着実に伝授されていく。
そう。新米侍従エメリヒにとって最大の問題。
それは、離宮の主グラヴィス・アードルフ・ファノーレンが、場所も時間もかまわず出没して、愛する伴侶を可愛がることだった。
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