19 カフェ ロシアンブルー

 社長ネコがわたしを指さす。

「人間がいなければ殺処分さつしょぶんされたり不幸ふこうなネコはなくなる。この世界はネコにやさしいものに変わるのだ! さあ行け少年、人間をネコにしようではないか!」


 不幸ふこうなネコがいなくなってほしいってわたしも思うよ。

 それにつらかった過去かこや思い出したくないことが、社長の言うように全部無かったことになるなら、たしかにそんな世界は理想的りそうてきかもしれない。


 『へんな顔ーっ!』とか『大統領だいとうりょうでも目指してんの?』って言われたこと、コソコソわらわれたりしたことをみんなわすれて、ふとした時に頭をもたげるむねの中のこのチクチクが消えたらどんなにいいだろう。


 だからわたしなんかよりももっとつらい過去かこを持つクロツキがそうねがう気持ちは、わかる。

「けど人間が全部いなくなればいいなんて、ぶっびすぎてるよ! 本当にクロツキもそう思ってるの?」


 しっぽをゆらゆらさせて、今にもわたしにびかかろうとかまえている。するととなりのヒョウがらネコがものすごいあつはなって、わたしまでビクッとしまった。


「ジャマなジジイはだまりなぁ! いぃいかいクロツキィ! あたしとの約束やくそくわすれたのかい? もう一度人間をきずつけたら、あのカフェは没収ぼっしゅうだよ!」


 そう言われて、クロツキはぴょんとして少し後ずさりした。真っ赤な目をしているけど、魔女まじょネコの言ってることが分かっているみたい。言葉が通じてるんだ。


「おねがいクロツキ、わたしの話を聞いてちょうだい」

 カフェを没収ぼっしゅうと言われてビビっている。クロツキにとってカフェ ロシアンブルーは何より大切なものなんだ。


 カウンターの中でミルクティーをいれていた横顔を思い出す。

「あんなに真剣しんけんにミルクティーいれてたじゃない。手伝うなら真剣にやってくれって、わたしにも言ったよね?」


 わたしとクロツキじゃ真剣しんけんのレベルがちがっていたし、いつかミルクティーに合う一流の手作りスイーツを提供ていきょうできるようになりたいと話してくれた。だからクロツキがあのカフェをどれだけ大切に思っているのか分かる。


「ロシアンブルーでおきゃくさんと話しているクロツキは楽しそうだったし、お客さんだってそれを楽しみに来てる。みんなが安らいで、ほっとできる場所。それがカフェなんでしょ?」


 初めてお店を見つけた時、ドキドキワクワクしたけど、わたしみたいな子どもは入っちゃいけないのかなと思った。けれどロシアンブルーは親子連おやこづれで来るお客さんもいれば、近所のおじさんが一人で来ることもあって、性別せいべつ年齢ねんれい関係かんけいなくだれでもネコのようにゆったり安心あんしんしてくつろげる空間だった。


 きっと自然しぜんとそうなったんじゃなくて、ずっと一人でつらくさびしい思いをしてきたクロツキ店長だからこそ、そういう場を当たり前と思わず大事に作り上げてきたんじゃないかな。


「お客さんのためにミルクティーをいれる。ほっとできる場所をつくる。どれもみんな自分一人のためじゃなくて、他人たにんのためだよね。名前も知らない他人のために何かができるのは、人間だからだよ」

「ヴヴヴヴヴ———ッ!!」


 わたしは一歩前にみ出した。引っかかれたってみつかれたっていい。本当はこわくてヒザがふるえそうだし、どんくさなわたしだけど、ここでげちゃいけないってわかる。クロツキを本当のワルネコにしたくないもん。


「本当は気づいてるんだよね? 人間全部がわるい人じゃないって」

 ひくい声でうなりながらこっちへびかかってきた! やばっ、みつかれる!


 んだら獲物えもの両腕りょううでめつけ、いきなり喉笛のどぶえみついていのちうばうのがネコ科動物の攻撃こうげきスタイルだって、図書館で読んだ。喉笛のどぶえっていうくらいだからのどの———


「えっ、ちかっ…ちょっ…ちょっ…! いやーーっ! はなしてヘンタイィィ!!」


 だってクロツキはネコだけど人間で男の人でわたしより歳上としうえで! もふっとした両腕りょううででガッチリきつかれてしまってるし! みつこうとする顔が近づいてくるし!


 ヘンタイばわりされたのがイヤだったのか、その動きが止まる。

「やだああああああ!」

 生温なまあたかいいきが顔にかかり、わたしはクロツキの顔を思いっきりかえした。


「ギャッッ!」

 れたような感触かんしょく。目に指が入ってしまったみたいだ。わたしをめつけていた両手りょうてはなし、後ろに下がって目をさえている。


 あーっ、びっくりしたぁ。いきなり心臓しんぞう鼓動こどうがマックス。男の人から体をさわられたりしたらすぐに親や先生に言いなさいって言われてるけど、これも言わなきゃダメかなぁ…、ネコなんだけど。


 でも今がチャンスだ!

「クロツキ、もうこわくないからね。クロツキに危害きがいを加えようとする人がいるなら今度こんどはわたしがまもってあげる。だれたすけてくれないなんて、もうそんな思いさせないからね」


 だれにも心を開かずに、やさしい人にも攻撃こうげきしてしまったんだよね。それはきっとこわかったからだと思う。


 人から愛情あいじょうそそがれたことがなく、心をざして感情かんじょうを表にしなくなったネコや、ご飯をあげてもずっと「シャーッ!」ってキバをむきつづけている保護ほごネコをさくらの家で見たことがある。どのネコもおびえていて自分を守るためにそういう風になったのがすぐに分かった。


 人間になる前のクロツキもそうだった。きっと今でもその記憶きおくに時々苦しめられているんだろう。

「でももう一人じゃないから! やらなかったら何もわらない、わたしにそう言ってくれたよね。だからわたしもやってみるよ、クロツキの未来みらいを変えるために」


 目をおおっていたネコの手をはなすと、敵意てきいむき出しだった赤い目が泣きそうな目にわっている。

 ネコに言葉が通じている。ううんちがう、ネコの方が人間を分かろうとしてくれてるんだ。だから伝えなきゃ。


「クロツキがいれてくれたミルクティー、また飲みたいよ。おねがい、もどってきて」


 見開かれたネコの目が、すうっときれいな青にわる。同時にクロツキの全身をおおっていたはりのような雰囲気ふんいきも消えた。

 それからフラフラっと力がけたようにくずれて、ゆか両手りょうてをつく。


「クロツキ! だいじょうぶ? 元にもどったの?」

 けよってみると、いつものわるネコ顔だった。


「…人のことをヘンタイばわりしやがって」

「だってぇ!」

「しかも目に指を入れられたらいたいに決まってるだろうが」


「だから泣きそうな顔してたの?」

「泣きそうになんかなってないし! 目は反則はんそくだろ、目は」

「動物のケンカに反則はんそくとかあるの? それってもう野生やせいうしなってるよねぇ」


「おれは家ネコだったし! くそ、人間はいつも何でもアリだ」

「クロツキだってわたしのこと引っかいたじゃん。ほら、同じとこ二回もだよ」

「二回もって、一回目はお前が勝手かってにお猫様ねこさまれ出そうとしたからだろ。自業自得じごうじとくだ」


「やっぱり覚えてるんだ。それなのに同じところねらってくるとか性格せいかくワルっ」

「それは動物的本能どうぶつてきほんのうで………ごめん」

 クロツキは視線しせんを落とした。


「もう人間をきずつけないって、魔女様まじょさま約束やくそくしてたのにな」

「魔女ネコから聞いたよ、クロツキの過去かこに何があったのか。わたし平気へいきだよ! ネコに引っかかれたりまれたりはシナモンちゃんでれてるもん。これくらいすぐ治るしね」


 わたしはモフッとした灰色はいいろの丸っこい手を取ってなでた。近くで見ると一本一本が細い毛並けなみで、フワッフワですべすべなの。すんごく気持ちいい手ざわり。頭とかくびまわりもこうなのかなぁ。


「……おれ人間なんだからな」

「え?」

 心なしか、灰色はいいろネコの顔が赤くなっている気がする。


「なゃあああおぅ」

 すると黒ネコが間にって入ってきて、わたしとクロツキを見上げて鳴いた。

「あ! そうだコタツを元にもどしてもらわなきゃ」

 ごめん、ちょっとの間だけわすれてた。


 社長ネコはどうなったのかな? と探すと…


「ざけんじゃないよ! こぉんな身勝手みがってなドアホは自滅じめつすりゃいい。あたしゃ知らないよ!」

「ミ、ミミィ…そんなぁ…」

 あっちはまだ終わってないみたいだ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る