17 思い出したくない

「うおぁあああっ!」

 聞こえたのはおじさんのさけび声。はっと目を開けると、たおれた鉢植はちうえの下敷したじきになっている。


 見るとクロツキがハアハアとかたを上下させていた。わたしがかくれていた、あの大きなやつを投げたんだ。


凛花りんかっ!」

「うん!」

 わたしはクロツキの元にった。


 開かれたケージからネコたちが次々に出てくる…かと思いきや、のそのそ歩いて行く子や、あくびしながら毛づくろいしている子も。もう、のん気にしてる場合じゃないのに!


「コタツは?」

「あそこでネコたちを誘導ゆうどうしてる。おれたちも早くげよ———」

「くそぅ…! ゆるさんぞ」


 しかし鉢植はちうえの下からはい出し、スーツについた土をはらいながら社長ネコが立ち上がる。全身の毛をぶわっと逆立さかだてて、デカネコがさらに大きくなった。長いしっぽがブンブン左右にれている。

 ネコがしっぽをるのはおこっている証拠しょうこ。クロツキもよくやってるもんね。


「どうするの?」

階段かいだんの場所を探している時間はないし、げるにはエレベーターに乗るしかない。コタツをれて魔女様まじょさまのところへ行ってこのことを話せ」


「それって、クロツキは…」

まかせたぞ」

「えっ、ちょっと!」


 灰色はいいろネコの後姿うしろすがたはもう社長に向かってびかかっていた。虹色にじいろのネコパンチをいとも簡単かんたんにかわしながら、攻撃こうげきのタイミングを見計みはからっている。


 すごいすごい! クロツキがみんなけちゃうから、社長ネコのパンチはちっとも当たらないの。そして次をかわした直後、クロツキのネコパンチが二回、三回とヒットする。


 思わず社長ネコが鼻を押さえて片手かたてになったすきに、ふわっとジャンプしたクロツキがネコキック! 逆立さかだちでゆかに両手をついて一回転して見事みごとに着地する。社長ネコはヨロヨロっとして、しりもちをついてたおれた。


「にゃあああ! にゃおぉうっ!」

 向こうでコタツがわたしをんでいる。そうだ見とれてる場合じゃなかった、行かなきゃ!


 コタツに続いてエレベーターにたどりついた時、何もしていないのにとびらが開いたからラッキー! と思ったけど、だれかが出てきた。

 やばい、もしかして社長ネコの仲間なかま!? ぶつかっちゃう!


 あわててきゅうブレーキ! けれど間に合わず、目をつぶったまま両手りょうてを上げて全身でぶつかってしまった。

 あれ、もふっとしてやわらかい…


「むぁったく! くそジジイが人間のくせにあたしのナワバリで好き勝手しやがって」

 ヒョウがら毛並けなみに黒革くろかわのピタッとした服。長ーいしっぽの先までヒョウ柄で、銀色のギラっとしたひとみの二本足ネコ。


魔女まじょネコ!」

「このままじゃ明日の株式市場かぶしきしじょうが始まらないじゃないか。大迷惑だいめいわくなんだよ」

 ガラガラ声はわたしにではなく、社長ネコに向けられている。


「来たな、魔女まじょよ」

 気づいた社長ネコは、かたで息をしながらみだれた頭とスーツを整えた。クロツキはもちろん無事だ、ネコになっていない。


「あなたが屋敷やしきから出てきてくれるのをずっと待っていた」

「キモいこと言うんじゃないよ、あたしゃアンタなんから知らないし、待たれる筋合すじあいはないね」

「そうか…」


 なんだろう? 社長ネコはすごく残念ざんねんそうな顔してる。


 植木鉢うえきばちの土でよごれちゃったスーツのむね。そこに天狗てんぐのうちわみたいな五角形のマンクス製薬せいやくバッジを見て、魔女屋敷まじょやしきの前に立っていたおじさんはこの人だと思い出した。あの時ちらっと見えたしっぽは気のせいじゃなかったんだ。


ねむった人たちを元にもどしな。ネットで注文した物が来やしないし、このままじゃこまるんだよ」


「みんなネコになればそんなものは必要ひつようない。この世界には不要ふようなものが多すぎるのだ。好きな時にて好きな時に起きる。本来生き物はそういうものなのに、人間だからと決められた時間に決められたわくにはまって生活させられて…」


「そういう生き方をやめたいんなら一人でネコになればいいだろうがぁ! 他人を勝手かってむんじゃないよ、ったく」


「かつてあなたのい主の陽子はるこがネコになったようにか?」

「ぬぁぜそれを知っているね?」

「見ていたからな。私を思い出せないか、ミミィ」


「あたしの名を知っているとは、あの家に出入りしていた人間かい? えぇ?」

ちがう。私を思い出してほしい。あなたが思い出すのと、私がこの子たちをネコにするのと、さあどちらが早いかな?」

 今度こんどは社長ネコがわたしの方へ向かってくる。


「ソダンフルバ!」

 けれど魔女まじょネコがき起こした風で社長は前へ進めなくなる。わたしをお屋敷やしきから追い出したりした風もこれだったのかな。すごい、本当に魔法まほうなんだ!


「にゃあおおう、にゃああああ」

 コタツが何かをさけんでいる。見るとたくさんのネコたちがエレベーターに乗ってちょこんとすわっていた。みんなちゃんとならんで、なんてかわいらしいんだろう!


「なごんでる場合じゃないよね。あ、わかった、ボタンをせって言ってるのね?」

 わたしはエレベーターの中の”1”のボタンをす。一階に着けば外への出入り口は自動じどうドアだし、きっとネコたちは自力で外に出られるだろう。


「気を付けてねみんな。もうつかまらないようにね」

 とびらまってエレベーターがB1に行ったのを確認かくにんして、次をぶためにわたしは↑のボタンをした。


「やったな凛花りんか

「クロツキ! 良かった無事ぶじで」

 まだのこっているのんびり屋のネコたちも次のエレベーターでみんながせるだろう。コタツが走り回ってネコたちを集めているけど、なかなか言うこときいてくれないみたい。ネコってほんとマイペースでのん気だよねぇ。


「ねぇ、ミミィって魔女まじょネコの名前だよね?」

「ネコだった時の名前だろうな」


 ヒョウがらのスレンダーなネコだから、名前はパンサーとか似合にあうと思うんだけど、ミミィちゃんってすごいギャップ。お猫様ねこさま陽子はるこちゃんがつけたのかな。


「さっきも言ったが、私は野良のらネコたちを無理むりやり誘拐ゆうかいしたのではない。自らついて来てくれたのだ。人間がきらいで人間をうらんでいるから、人間に復讐ふくしゅうするために私に力をしてくれたのだよ」

 向かい風で目が開けられず糸目になりながらも、おじさんはよくしゃべる。


「ぬぁに言ってんだい! エサやマタタビで誘導ゆうどうしておいて、よくそんなことが言えたもんだこの大ウソつきが! 野良のらネコがみんな人間をうらんでいるって? アァンタと一緒いっしょにすんじゃないよ。野良ネコだって今の生き方に満足まんぞくしてしてるのはたくさんいるさ」


「あの屋敷やしきに来ていたネコのようにか? あのころは良かったが今の時代はそうじゃない。庭だけじゃなく公園にまでネコけをして、ネコにとってはどんどん住みづらい世の中になっているだろう。人間の都合つごうでな」


「人の話を聞き入れようとしないのは頭の固いジジイならではだねぇ。人間をネコにして、ネコのうらみを晴らして、それでどうなるってんだい?」


「この街からネコ化を広め、やがて都市の機能きのうがマヒし、ネコ化は日本中、世界中にどんどん広がる。ネコにやさしい世の中になるのだ。もう虐待ぎゃくたいされたり殺処分さつしょぶんされるネコはいなくなる。ぎゃくにネコが人間を支配しはいする世界になる、それが人類じんるいネコ化計画なのだ!」


「ぬぁんてバカげた計画だい! 本気でそんなこと信じてるのかい、こンのスットコドッコイが!」

すでにスッキライザーZは日本中に広まっている。あとは右手に取り込んだこのひだまりのビー玉の光をびせれば、眠った人々をネコ化できる。ネコ化が広まれば広まるほどひだまりのビー玉はたくさん手に入るのだからな、全世界がネコ化するのなどあっという間だ! ハッハッハッハッハァ!」


 全世界をネコに!? 教室にすわっているネコや、ネコだらけのショッピングモールを想像そうぞうしてしまったけど、ネコに学校はないし買い物もしないよね。

 一体毎日何をしてごそう。やっぱり食べてる? でもその食べ物はどこから手に入れるのかな。作る人がいないんだよね?


「やっぱりイヤだよ、そんな世界」

「当ぁったり前だねぇ! そんな退屈たいくつな世の中にさせてたまるもんかい。あのアホをとっつかまえて、ねむった人たちを元にもどす方法を何としてでもかせるんだよ!」

「はいっ!」


 しかし身構みがまえるわたしたちに、社長ネコは「ふっふっふっふっふ」とひくわらいを向ける。

「そこの少年、さっきの動きを見るに元ネコだろう? そして人間をうらんでいるな」

 向けられた先はクロツキだ。


「なにを…いきなり」

「わかる、わたしにはわかるぞ。人間をにくむ心。恐怖きょうふする心。思い出したくない過去かこがあるだろう?」

「やめろ…」


「見えるぞ。人間にいためつけられたな。やめてとさけんでも聞いてもらえなかった。おなかがすいたと鳴いても無視むしされたな」

 おじさんの肉球にくきゅう虹色にじいろに光る。その光を見たクロツキの黒目がぐわっと大きくなった。


「ダメだよクロツキ!」

 とっさにわたしはクロツキの前に立つけど、おびえたような顔のクロツキにき飛ばされた。


「やめろ、こっちに来るな! うぅっ、頭がいたい。れそうだ…」

 両手りょうてで頭をかかえる。


「少年よ、人間はウソばかりつく。自分たちに都合つごうわるいことは聞こえなくなるし、自分たちに必要ひつようがなければ一方的いっぽうてきいのちうばっても良いと思い込んでいる。ゆるせないだろう?」


 まるで社長ネコの言葉がわたしたちのまわりをグルグル回っているようだ。


「おなかがすいてたおれそうにひもじい思いをした。理由も分からずただただいたくてこわかった。ずっとだれも信じられなかったのだろう? そうだ、今も君は一人。守ってくれるものなどいない。だがわたしなら君をすくってあげられる。私の理想りそうの世界ではそんな過去かこかったことにできる。何もかもだ。だから私とともに来なさい」


「やめて! ダメだよクロツキ! しっかりして!」

 もう一度わたしはクロツキにろうとした。けれど向けられたひとみに思わず足が止まってしまう。

 きれいなブルーにふちどられていたはずの目が真っ赤にまっていたんだ。


「人間は近づくな…! 思い出したくない、ああああああっ! 思い出したくなんかない!! こっちへ来るなああっ!」

「クロツキ…?」


 くるしんでいる姿すがたを前に、わたしはそれ以上み出せなくなってしまった。

 どうしよう、どうしたらいいの!?

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