7 初めてのひみつ

「命の恩人おんじん?」

「お猫様ねこさまが助けてくれたから、おれはこうして生きてこられた」


 大きなあくびをしたおデブネコは、ねむたげな細い目でおすわりしている。その姿すがた二等辺にとうへん三角形じゃなくてまんまる。

「このおデブで運動神経うんどうしんけい0みたいなネコがそんなすごいことを?」


 クロツキの目がギラっと光る。

「お猫様ねこさまの目の前でさっきから失礼しつれいなことを!」


 シュッッ!


「危ねえっ! うぅ…」

 コタツがまた鼻をさえる。わたしの顔に飛んできたネコパンチを、代わりに受けてくれたんだ。


「コタツ! 鼻血はなぢ出てるよ、だいじょうぶ?」

 わたしはハンカチでコタツの黒い鼻先を押さえた。ヒゲまでしょぼんとして、かわいそう。


「コタツは友だちでしょ!? いくらなんでもひどいんじゃない?」

「だまれ。ネコの社会は完全な上下関係じょうげかんけいで、めしを食べるのもナワバリを作るのも強いネコが先なんだよ。友だちなんてない」


「でも二人とも人間にしてもらったんでしょう?」

 それを言うと、クロツキの顔色がサッと変わった。


「なぜそれを知っている…!? だれから聞いた!」

 しまった! 魔女まじょに会ったことがバレちゃう! あー、なんでわたしってこういう時にミスしちゃうんだろう!


 ん丸なギラギラした黒目をり上げたクロツキが、まばたきもせずわたしをにらみつける。しっぽの毛をぶわっと逆立さかだてて低いうなり声を上げ、今にも飛びかかってきそうだ。

 こわいよ、どうしよう…! 


「みゃお」


 なにか他の理由を考えようとしたその時、かん高い声がした。ナナちゃんはもう少しひくい声だったから違う。となるとこれは…

 わたしがふり返るよりも先に、クロツキが姿勢しせいを正した。


失礼しつれいしましたお猫様ねこさま! トイレですね。おいコタツ! ドアを開けろ」

「はい!」


 クロツキがたなの上からていねいにお猫様をき下ろし、そのまま【private】のドアへ向かう。コタツがサッと開けた。

 そう言えばあの中にネコトイレが二つあった。一つがナナちゃんので、もう一つがお猫様のなんだろう。


「ていうかあのデブネコ、トイレくらい自力で行きなさいよね?」

 しばらくして、またクロツキにきかかえられたお猫様は、元の場所までもどしてもらうなり、あーつかれたとあくびをして、丸くなって目を閉じてしまった。


 なんてズボラなネコだろう! 歩こうともしないんだから。こんなネコ見たことない。けどこれだけ置物みたいなら、れ出すのは意外いがいとできるかも。


 けれど問題もんだいはどうやってクロツキに内緒ないしょで実行するかだ。クロツキはずっとお店にいるわけだし…。


 それから女子高生じょしこうせい三人組のおきゃくさんが来たから、わたしたちの正座せいざわった。コタツは配達はいたつの仕事にもどり、クロツキは楽しそうにしゃべっている。わたしはそっと帰ることにした。


「クロツキはどうしてあんなにおこったんだろう」

 ただ怒っただけじゃない。まるで人間全部をうらんでいるみたいだった。


「いつも身勝手みがってで、自分たちの都合つごうしか考えてなくて、自分のためなら他のものを傷つけてもかまわない、か」

 ふいに『変な顔ーっ!』『将来しょうらい政治家せいじかになるんだよね』と言ってきたアホタケや美雨みうの顔がかぶ。


 そう言った二人は、わたしがきずつかないと思っているのかな。それとも傷ついているのには気付かないのかな。


「クロツキは元々ネコだから、もしかしてネコの時に人間にいやな目にあわされたとか?」

 それなら、ああ言った気持ちも分かる気がする。


 金曜日、昨日のクロツキの顔を思い出してロシアンブルーに行く気にはなれずに部屋へやにいると、ママが声をかけてきた。

りんちゃん、一緒いっしょにケーキ取りに行こうよ」


 今日はパパの誕生日たんじょうびだから、人気パティスリー「ル・ブラン」でパパの好きなチョコレートケーキを予約よやくしておいたんだって。

 クリーム色のかべに白い窓枠まどわく、青空にえるレンガ色の屋根がかわいらしいお店で、駅からはなれた住宅街じゅうたくがいの中なのに、いつも行列ぎょうれつができている。


 坂の上公園の向こう側へ歩きながらネコを探すけど、今日は一ぴきもいない。


「去年は45さいだからろうそくは4+5で9本にしたけど、今年は10本にする?」

「46本買ってさ、ハリネズミみたいなケーキにしようよ」

「え~、せっかくキレイなケーキなのにもったいない!」

 でもその様子を想像して、ママはわらい出した。


「パパに秘密ひみつで、おやつにマカロン買っちゃおうか」

賛成さんせい!」


 ショーケースに並ぶ色とりどりのマカロンはデコレーションしてあって、見ているだけでときめいちゃう。わたしはリンゴ味がお気に入りで、真っ赤なマカロンにヘタが描いてあってかわいくておいしいんだ。


 お店の奥には、ガラスしにスイーツを作る職人しょくにんが見えて、順番じゅんばん待ちの間を楽しませてくれる。同じ形に正確せいかくに次々とクリームをしぼり出す人、宝石ほうせきみたいなフルーツタルトにキラキラのゼリーをっていく人。そして後ろの方で大きなボウルをかかえてぜている職人しょくにんを、わたしは二度見した。


「ネコ!?」

 思わず言ってしまってからママの顔を確認かくにんするけど、ママはスマホをいじったまま。


 間違まちがいない、クロツキだ。

 人間のパティシエの中に灰色はいいろのネコが一ぴき。だけど、ママや他の人には人間に見えてるんだもんね。


 フサフサのネコの手にゴムベラを持って何かを混ぜ合わせている。外から見ているわたしには全く気付かないくらい、ものすごく真剣しんけんに。


 すると大股おおまた冷蔵庫れいぞうこへ向かう。手に持ってるのは生クリームかな。戻ってきたけど何か足りなかったのか、先輩せんぱい職人しょくにんに頭を下げてまた急いで取りに行く。


 戻るとまた先輩せんぱいから何か言われている。おこられてるのかな。

 もう一度ボウルでぜ合わせて、それが終わると今度はこなを混ぜ合わせていく。


 クロツキがここにいるってことは、今日はカフェはお休みなんだ。休みの日にル・ブランではたらいているのかな?


 予約よやくのケーキを受け取り、店を出る前にもう一度ガラスの向こうを見ると、クロツキはよそ見もせず、ぜ合わせた生地きじしぼり出していた。


 帰り道、坂を上りながらママが言う。

慶太けいた君、四星中しせいちゅうを受けるみたいだよ。すごいよね」

「それすごいの?」

むかしからの超名門ちょうめいもん中学だよ」

「ふぅん」


「頭が良くて礼儀れいぎ正しいし、本当にいい子だよね」

「うん、それはそう思う。この間もやさしかったんだぁ」

「なになに? 教えてよー」


「帰ってから。マカロン食べるんでしょ」

「え~、早く聞きたいよぉ」

 まるでママの方が子供こどもだよね。


 慶太君をちょっと好きなことはママも知っている。

 けれどカフェのことはママに話していないんだ。これは”とりひき”だし、それになんとなくひみつにしておきたくて。

 ママ、ゆるしてね。

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