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パルメ/角川ルビー文庫

番外編 とある春の日の甘いひと時。甘酸っぱさも添えて


 

 アーシェル・マイナスル。

 ここヤンファンガル王国ではとても有名な公爵家、マイナスル公爵家の次期当主である彼は今、目の前に運ばれてきた大好物であるカスタードプディングに目を輝かせていた。

「ずっと待ってたよ! 僕のカスタードプディング!」

 ヤンファンガル、王都郊外のスイーツ店。そこにアーシェルはテオドアと訪れていた。

 目の前にある銀食器の器には艶々に輝くカスタードプディングがのっている。そのプディングには花の形に絞り出した生クリーム、そして、完熟したイチゴと甘酸っぱいサクランボが飾られ、周囲に甘酸っぱい香りを漂わせていた。ついアーシェルの頬が緩む。

 そんなアーシェルの隣に座るテオドアはブラックコーヒーを片手に、先程からずっと幸せそうなアーシェルを見つめていた。

「お前って本当にスイーツ好きだよな」

「うん、大好き! カスタードプディングが一番だけどスイーツはみんな大好き! はあ、早く領地に砂糖農場作って一生甘いものに囲まれたい……」

 そう言ってアーシェルはプディングを一口食べる。その瞬間広がる舌がとろけるような甘く濃厚なカスタードの味、そこにイチゴとサクランボも口に含めれば、フルーツの濃くも爽やかな甘味がカスタードに絡んでアーシェルの口の中はまるで天国のようになる。

「幸せ~」

 つい、そう呟いてしまうほどアーシェルは幸せだった。


 そんな様子を見ている少女が一人。

「ユミリナ。どうしたの?」

 ユミリナと呼ばれた彼女ははっとして隣を見る。隣には仲のいい友人ナリアがいる。2人はこのスイーツ店にスイーツを食べに来店したところだった。ユミリナの様子に首を傾げるナリアにユミリナは無言で小さくテラス席にいる彼らを指さした。指の先、そこにいたテオドアにナリアは目を奪われた。

「何、あのイケメン!」

「ちょっと、声が大きいわよ」

 ユミリアに窘められるがイケメン好きのナリアは目を輝かせ興奮していた。

 テオドアは10人中10人が振り返るような端正な容姿をしている。ナリアは一目で彼に夢中になった。

「あんなかっこいい人なかなかいないわよ! ユミリナも彼に惹かれたの?」

 しかし、ナリアの言葉にユミリナは困ったように眉根を寄せた。

「いえ、そうじゃないわ。その隣にいる人が気になって」

「……え? ユミリナってあんな子が好きなの?」

「違うわよ。ただ何処かで見たことがある気がして……」

 ユミリナがそう言って考え込む一方、ナリアはテオドアに夢中になっていた。

「私、ああいうクールな人が好きなのよね。今から声掛けに行こうかしら?」

 そう呟くナリアをユミリナはそっと制止した。

「なんだか嫌な予感がするから止めておいた方がいいわ」

「何よ、嫌な予感って。イケメンと仲良くなるには出会いが大切よ? この機会を失ったら、あんなイケメン、二度と出会えないわ。ユミリナ、怖気付いてるだけじゃないの?」

 ナリアは無邪気に笑い、ユミリナの忠告も無視してテオドアに声をかけに行こうとした。

 しかし、ナリアと同じ目論見の人間が他にもいたらしい。カスタードプディングを間に挟み談笑する2人に、否、テオドアに話しかけに行く先客がいた。

「楽しい時間を邪魔してごめんなさいね。貴方、もしかしてテオドア君?」

 アーシェルとテオドアがその声に気づき、そちらを見ると、腕に宝石のついたブレスレットを付けた派手な装いの妙齢の女性がそこにいた。雰囲気からして商人のようだ。

 女性はテオドアに用があるようで彼に笑顔を向け話しかけた。

「私はレナ。貴方のファンなの! 騎士団の演習で何度か見たことあって!」

 レナと名乗った女性は扇子を広げ、クスクスと楽しげに笑う。そんな彼女にテオドアはうんざりしたような顔を向ける。テオドアにとってアーシェルとの時間を邪魔する彼女は不快でしかないのだ。しかし、レナは気づかないのか笑顔のままテオドアに話しかけ続けた。

「私、この近くで商会をやっておりますの! 最新の武器から往年のブランドものの名剣まで全て取り揃えておりますわ。どうかしら? ご興味ありませんか? 私、ファンとして貴方に是非ともサービスしたいの」

 そう言って、レナはテオドアに手を伸ばそうとした。しかし。


「はーい、そこまでにして下さい」


 その瞬間、それに気づいたアーシェルに制止され、レナは背後に突然現れた濃紫の軍服を来た男に拘束された。

「な、なに!? は、離しなさい!」

 レナは悲鳴を上げ金切り声でそう告げ抵抗するが、軍服の人間は一切容赦なく彼女を何処からか取り出した縄で縛り上げた。暴れるが縄は解けない。レナは不意にこちらをじっと見つめるアーシェルの目と目が合う。その目はゾッとするほど冷ややかなものだった。

「僕の目の前で悪さするなんて困った人ですね」

「わ、悪さって何よ! 私は何もしていないわ! 私にこんなことをして許さないわよ!」

 レナは怒りに任せてそう叫ぶ。しかし。

「あっ、ごめんなさい」

 アーシェルの手からわざと魔術を施したフォークがレナのブレスレットに向かって放り投げられる。投げられたフォークが小さな金属音を立ててブレスレットに当たると、瞬く間にブレスレットは黒ずみ始め、レナは悲鳴をあげた。

「うそっ!」

 アーシェルは顔面蒼白となる女性に、にっこりと笑みを浮かべた。

「魅了の魔道具ですね。たった今、魔術で破壊しました。ごめんなさい。でも、そんなとんでもないものを僕の家族に使おうとしたんですから別にいいですよね?」

 あのブレスレットは触れた相手を惚れさせる魅了の魔道具だった。アーシェルは一瞬でそれを看破し、魔術で破壊したのだ。

 魅了の魔道具はその危険性からヤンファンガルでは禁止されている製品。しかし、レナはバレないよう、ただの派手なブレスレットに見えるよう魔術を何重にもかけたのだ。なのに、一瞬で見破られたことに動揺した。

「ど、どうして」

「相手が悪かっただけですよ。レナさん。だって、貴方、マイナスル公爵家に手を出したんですから」

 そう言って微笑むアーシェル。

 その瞬間、ユミリナは思い出した。マイナスル公爵家。敵に回せば最後、そう言われる貴族。アーシェルがその次期当主であることをユミリナは思い出し、震え上がった。

 レナはマイナスル公爵家の名を聞くと青ざめ、すぐさま態度を変えた。彼女もまたマイナスル公爵家の恐ろしさを知る人間だった。

「申し訳ありません! 私はただ愛されたかっただけで! ですから命だけは、ひぃっ!」

 しかし、その言い訳は一切聞かれることはなく、濃紫の軍服の男がレナの襟首を掴み上げ、転移魔術で何処かへ連れて行った。

 ほんの一瞬の出来事だった。

 悲鳴さえ上げられずレナは消え、一部始終を目撃していた客や店員が多かったのもあって店内は騒然となる。しかし、アーシェルもテオドアも慣れているのか先程のことなどなかったかのように平然としていた。それが不気味に思えてアーシェルから離れるように後退るユミリナ。しかし、そんな彼女の隣にいるナリアだけはキョトンとしており、何が起こっているのか分かっていないようだった。

「ねぇ、一体何が起こったの? あの人、怯えてたみたいだけど」

「ちょっと、ナリア。マイナスル公爵家を知らないの?」

 ユミリナは何も知らないらしいナリアに自分の背中に冷や汗が流れるのを感じた。

「マイナスル公爵家はただの公爵家じゃないわ。本当に恐ろしい家なのよ。ナリア、私の従兄弟にハウザーという公爵家の嫡男だった人が昔いたのだけど……彼、ある時、マイナスル公爵家を侮辱したの。その後、彼がどうなったのか分かる?」

「分からないわ。どうなったの?」

「実家の公爵家は潰れて今は行方知れずよ」

 その言葉にナリアは目を見開いた。公爵家の嫡男だったというユミリナの従兄弟。

 侮辱しただけで、マイナスル公爵家と同格の筈の公爵家が潰れて、その嫡男が行方不明になるなんて只事ではない。さあっと青ざめるナリアにユミリナは告げた。

「マイナスル公爵家を知らないヤンファンガルの貴族は貴方ぐらいよ、ナリア。あの公爵家は正にヤンファンガルを裏から牛耳る闇の権力者。彼らを敵に回した人は皆、悲惨な末路を辿るの。国王陛下だって彼らには逆らえないと聞くわ」

 それを聞いたナリアは思わずアーシェルを見る。こんな平凡な容姿をしているが、彼、実は中身は敵には全く容赦しない、かなりおっかないヤバい人間ではなかろうか。

「あの魅了女よりタチ悪い極悪非道だったりして……」

「ナリア、滅多なことを口に出してはいけないわ! 潰されるわよ!」

 ナリアの口を慌ててユミリナは両手で抑えた。従兄弟の悲惨な末路を知るユミリナは彼女を守るためにも必死になってナリアの口を抑える。


 そんなユミリナ達の話をアーシェルに聞かれているとも知らずに。


「僕そんなに極悪非道な人間じゃないんだけどなぁ……」

 アーシェルはため息を吐いた。

 アーシェルな大切な人であるテオドアを彼女は狙ったのだ。アーシェルは当然のことをしただけだが……目の前で処罰したのが悪かったかもしれない。明らかに彼女達はアーシェルに怯えていた。

「……怖がらせちゃったな」

 アーシェルは思わず、俯いてしまう。プディングで幸せに満ちていた空気が気まずい苦い空気に変わった。

 そんなアーシェルに気づき、テオドアは手に持っていたコーヒーを机に置いた。

 アーシェルは根っからの善人だ。だから、怯える彼女たちが気になるのだろう。

 そう気づくと徐にテオドアはアーシェルの手元に置いてあったスプーンを手に取り、プディングをスプーンで掬い取り……アーシェルの口の中にプディングを押し込んだ。

「んぐっ!?」

 いきなりのことにアーシェルはびっくりして顔を上げる。

「ちょっ、ちょっと、いきなり何!?」

「いや、隙だらけだと思ってな。すまない。つい、な」

「つい、って……」

 悪戯が成功したようなそんな嬉しそうな表情を浮かべるテオドアにアーシェルはむっとした。だが……。

「似合わないと思ったんだ、さっきまでの顔。お前にはスイーツを目の前にした時の幸せそうな顔が似合うと俺は思う」

 不意にテオドアはそう告げ、微笑んだ。そのテオドアの微笑みはただの微笑みではなく、愛おしく想い愛していると告げるような恋人に向けるそれ。その甘さにアーシェルは忽ち赤面するしかなかった。

 そんなアーシェルを真っ直ぐ見つめ、テオドアは更に告げる。

「アーシェル、俺はお前に感謝している。だから、気にするな」

 そう言われて、そっとアーシェルはテオドアに目を向ける。そこにあるテオドアの優しい目にアーシェルはハッとした。

 例え、誰かに怯えられても気に病むことはない。アーシェルのやったことは間違いではなく正しい事だったと告げるテオドアの目に、アーシェルは胸が温かくなる。

「……ありがとう。テオドア」

「別に。ほら、アーシェル、折角のプディングが駄目になるぞ」

 テオドアはそう言ってアーシェルにスプーンを返した。

 カスタードプディングはまだまだ残っている。スプーンを受け取り、アーシェルはカスタードプディングを一口食べる。その一口が先程よりも美味しく感じるのはきっと気のせいじゃない。その格別な美味しさに思わずアーシェルから笑みが零れる。そんな彼を見て、テオドアも笑みを浮かべた。

 それだけでテラス席の空気は一瞬にして恋人同士の甘い空気に変わる。

 そんな甘い空気に気づき、ユミリナとナリアは揃って目を瞬かせた。

「ねぇ、ユミリナ。私達が話し込んでる間に、いつの間にか良い雰囲気になっていない!?」

「えぇ……」

 2人が気づかないうちに、すっかり甘い雰囲気に包まれて幸せそうに微笑み合う彼等。そこには思い描いていた極悪非道な人間の姿はなく、お互いに想い合う恋人達がいるだけだった。

 そんな彼等を見て、ユミリナはぽつりと呟いた。

「私、勘違いしてたかも」

「どうしたの、突然」

「マイナスル公爵家って名前だけで怖くなっちゃったけど、彼も人なのよね」

 人はたった一面だけで人を判断してしまうところがある。ユミリナはそんな自分を反省し、笑みを浮かべた。

「ねえ、ナリア、あの2人、何だか似合ってると思わない?」

 そう問うユミリナにナリアは驚きながらも微笑み返した。

「確かにそうね。物語に出てくる恋人達みたい」

 この2人は何があっても2人で生きていく。そんな予感をユミリナもナリアも感じた。

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