最終話 ささやかなる嘲笑
二人が非常階段から廊下に戻ってきた頃には、既に昼になっていた。
ミソラは、エディンの後ろを少し離れて歩いている。
顔が少し熱い。頭の中で、エディンの言った「がんばれ」の言葉がぐるぐる回っている。
足を引っぱるな、という意味での警告や命令でない「がんばれ」を言われたのは初めてのような気がする。しかも、それがまさか自分が敵視していた人間から言われるとは。
予想もしていなかったし、悔しい気もするのだが、それ以上に、正直、嬉しかった。
また、戦えそうな気がした。
なのでエディンに礼を言おうとしているのだが、なかなか上手く言葉が出てこない。
そもそも日常的にミソラが他人に対して感謝をする機会が無いに等しかった。恩着せがましい連中が大した事もやってないのに無理矢理言わされたことは何度かあったが、それはカウントしない。
ああ、何やってんだか。普通にありがとうといえばいいのに。
いや、ありがとうでいいのか? エディンは多分感謝されているとか一切思っていないだろうし。
とはいえ何も言わないままにするのも、ミソラとしてはなんだか気に食わない。
ああ、早くしないと教室に着いてしまう。言うタイミングは今しかないのに。
「あ、あの」
「何だ?」
エディンが振り返り、ミソラの方を見る。
穏やかだが、心強さを感じさせる表情と声。ミソラの思考が一瞬停止した。
「……か、借りはいつか返す!」
「意味が分からん」
二人の間に微妙に気まずい空気が流れた。完全にしくじった。
ミソラがこの状態をどうリカバリするのか必死で考えている時、それは第三者の介入によって乱された。
「エディンくーん! すっごく探したわ!」
気持ち悪いくらい甘ったるい声と共に現われたのは、猫かぶり状態のセイラだった。
「すぐに戻ってくると思っていたのに、全然来ないんだもの……って、ミソカス! どうしてあんたがエディン君といるわけ?」
ミソラの姿を見たとたん、セイラの態度が豹変する。
そういえば頭部の左右に天使のような表情と悪魔のような表情の顔が付いている彫像が美術館とかでよくあったよなあ、とミソラはセイラを睨み付けながらそんな事を考えていた。セイラは性質的な意味でそれに似ている。
「別にこいつがいても困るものでもないだろう。何の用だ」
「これよこれ」
セイラがプリントをエディンに渡す。プリントには氏名欄と『共同研究の組み分け希望』と上部に書かれており、下の方には第一希望、第二希望の欄が設けてあった……のだが、ミソラの背丈では、それを覗き込むことすら出来なかった。
「今度の共同研究は二人一組で、しかも男女ペアなの。そのプリントに誰とペア組みたいかを書いて先生の所に出しておいてね……それでエディン君、お願いがあるんだけどぉ」
恐らく自分で最大級に可愛いと思い込んでいる声で、セイラはエディンに迫る。
「こいつの分のプリントは?」
「あら、そんなのあるわけないわよ。どうせミソラと組みたい男子なんているわけがないし、こいつの希望なんか聞いたら、名前挙げられた男子がかわいそうじゃない」
ぬけぬけと本人の前で言うものである。この性悪女、本当に死ねばいいのに。
ミソラはセイラに何か言い返してやろうと考えたが、エディンのいる前でまた妙な失態を見せてしまうのもなんなので、ぐっと堪えた。
「そんなわけで、エディン君。私、待っているから」
何処の少女漫画かと言いたくなるような、頬を赤らめて目をキラキラさせながら、セイラはエディンに微笑みかけると、優雅な足取りで場を去っていった。いい加減鏡見ろ、勘違い女。
エディンもこんな女にはドン引きだろう、と思ってミソラは彼の顔を見上げた。彼は思いっきり眉間にしわを寄せながら、ため息をついていた。
あのセイラの態度を見ると、恐らく自分とエディンを組ませる為に、他の女子達にエディンの名前を書かせないようにしているのだろう。クラウディアやルナは間違いなく共犯。
エディンが他の女子の名前を書けば、セイラとのペアは回避されるかもしれないが、他の女子が誰もエディンと組むことを希望しない(出来ない)以上、エディンの希望は無視されセイラの希望が通ってしまう可能性が高い。恐ろしい包囲網である。と言うより数の暴力だ。えげつないにも程がある。
「なあ、ミソラ・カスタム。さっき借りがどうとか言っていたよな」
「え?」
「その借り、今返す気はないか?」
それから数日後、共同研究の組み分けが発表された。
「なんで! なんでなのよ!」
教室中に響き渡るみっともない大声を張り上げたのは、セイラであった。
ペアの割り当て表のエディンの名前の隣には、ミソラの名前があった。
「なんで、エディン君とあんたがペアなわけ? ありえないでしょ!」
セイラは鬼のような形相でミソラに詰め寄って来た。側にはルナとクラウディアもいる。
ありえないも何も、ミソラには誰と組むかという希望さえ言わせてもらえていないのである。セイラが意図的に用紙を渡さなかったのだから。
と言うか、自分の都合が悪くなると全部こっちのせいにしてないか、この女。つうか、周りの腰巾着している女共もちょっと考えたら分かるだろうが。
と、ミソラは今更ながら思った。
「エディンも物好きだな」
少し離れた所で男子達が、大騒ぎしている女子達を眺めている。
「つか、なんでセイラにしなかったわけ? あの子、お前の事狙ってるのミエミエだし」
「あいつだけは苦手だ」
エディンが珍しくうんざりした表情で呟いた。
「あーあー、可哀相に。けど、だからってあのミソカスを選ぶか? 俺らはエディンがミソカス引き取ってくれたから大助かりだけどさ」
「確実に逃げられる方法がそれしかなかった」
そこで白羽の矢が立ったのが、誰も組みたがらないであろうミソラである。彼女の名前を第一希望で書いておけば確実にそれが通る。
ミソラにそれを頼んだ時、彼女はしばらくぽかんとしていたが、やがて何か思いついたらしくニヤリと笑って承諾した。
そしてエディンの作戦は見事に成功し、そのせいでセイラはエディンに拒否されただけでなく、よりによってミソラ以下の扱いをされると言う、最大級の悔しさを味わうこととなった。
「何とか言いなさいよ、ミソカス!」
ああ、本当に笑っちゃうほど見苦しい。いくらわめいても無駄だと言うのに。
ミソラはセイラの理不尽な抗議を右耳から左耳へと流しながら、ため息をついた。
だが、前のような不快感はあまり感じなかった。当初の手段とは全然違ったが、こいつの悔しそうな顔を見られたのだから。
あんたはエディンにウザがられているの。エディンの中では、あんたが普段から馬鹿にしている私よりも、あんたはずっと低い位置にいるの。そんなことも知らないとは、本当に哀れな女。馬鹿な女。
ミソラは、いつもセイラが自分に向けるような、小馬鹿にしているような視線をセイラに向けた。
このタイミングで言う言葉は、ただ一つ。いつか言ってやろうと思っていた言葉。
「ざまあ」
ミソラ・カスタムの逆襲 最灯七日 @saipalty
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