サングラス
四月五日 火曜日 八時――
オフィス街の隠れたオアシス喫茶メアリ。いつもよりも静かな喫茶店内は、火も落とされ、さながら廃坑のごとく、取り残されたなにかが眠っているみたいだ。まるで、主の帰還を待ちわびているかのように。
時を同じくして、連続空き巣事件、最初の被害者である佐々木良子の住まいである。佐々木良子は、今日のゴミ出しのために急いで家を出る。空き巣に入られたというのに、また鍵を掛けていない。人間というのは、痛い目に遭ってもなかなか学ばないものなのかもしれない。
佐々木良子は、急げば大丈夫とでも思っているのか、早足でゴミ捨て場へ駆ける。ブルーのカラス除けのネットをどかし、ゴミ袋を置く。その時、一人の女性が佐々木良子に声を掛ける。ショートのパーマは、少し動いたくらいではびくともしない。パーマを揺らしてお辞儀をしたのは、立花恵里だった。
「おはようございます」
「おはよう、立花さん。今日も染倉さんはお元気?」
「ええ。元気ですよ。気持ちのいい朝ですね」
「本当」
軽い挨拶を交わし、良子は、急ぐことをすっかり忘れて家へ帰って行った。八時十分。良子は、家に入って鞄の行方を気にするでもなく、そのままトイレへと入って行った。
ゴミ出しを終えた立花恵里は、良子とは反対方向、染倉邸へと歩いていく。それについていく影が二つ。捜査三課、大田原裕樹と牧瀬翼であった。
上田洋子の元夫は、上田洋子の家に不法侵入し、ダイヤの指輪を盗んだことは認めたが、他の五件は真っ向から否定している。警察も、元夫の線を捨てて、周辺聞き込みと立花恵里への警戒を強めていた。
四月五日 火曜日 十二時――
大田原と牧瀬が張り込みをしていると、昼近くになって、怪しい男と女子高生が染倉邸の門戸を叩いた。黒いシャツに赤いネクタイ、あの探偵ハットに、サングラスまで掛けた安賀多九助。それに、今日も緑のチェックのスカートにクリーム色のカーディガンの制服姿の西真琴が隣に立っている。
安賀多と真琴が染倉邸に入ったかと思いきや、しばらくして、染倉寛子と立花恵里を連れ立って、二人は緩やかな坂を下って行った。駅の方向へ向かうのかと思いきや、左へ曲がり、四人はモダンな真四角の建物の前で歩みを止めた。
安賀多が、しっかり手入れした口ひげを撫でながら、モダンな真四角の建物の前で、安賀多がインターホンを押そうとした時であった。
「安賀多」
大田原が、牧瀬を率いて、不思議な四人組に話しかけた。安賀多はハットから双眸を覗かせる。元同僚を見るその瞳は鋭く、いつもの穏やかさは消え去っていた。
「大田原」
「その二人を連れて、飯島家へ来た理由を教えてくれるんだろう?」
「あまり大人数で押し掛けるのはどうかな」
「なあに、手狭なら庭先にでも突っ立ってるさ」
「……家人にお伺いを立ててみようか」
四月五日 火曜日 十二時半――
飯島聡は、目の奥の瞳を少し丸くしたが、笑顔で来訪者たちを迎え入れた。飯島家には、飯島聡、妻の優梨愛、息子の愛翔、そして折原玲子がいた。
これで、飯島家のリビングダイニングルームに総勢十名がソファなり、ダイニングテーブルなどに座るなり、壁際に立つなりして集合することとなった。
テレビ台の前に立った安賀多九助は、部屋中の視線を集めた。それもそのはず、安賀多と真琴以外は、彼らがなぜここにいるのかを分かっていないのだから。
「お集まりいただき、ありがとうございます。探偵の安賀多九助です」
安賀多は室内だというのにサングラスを掛けたまま、スマートフォンを取り出した。
「少し語ることが多いので、スマートフォンにあるメモを片手に皆さんに、今回の連続空き巣事件の顛末をお話させていただきたいと思います」
事の顛末と聞いて、部屋がざわつく。
「まず、簡単に皆さんを私から紹介させてください」
安賀多は折原玲子に手のひらを向ける。
「私の雇い主である折原玲子さん。飯島家のアポロ捜索から始まり、今回の空き巣事件も解決して欲しいと依頼を受けて、私はここにいます。次に――」
ソファに座る飯島家を指す。
「飯島聡さん。この家の主です。そして、優梨愛さん。聡さんの奥様であります。愛翔くんは、二人の愛の結晶。ここにアポロがいないのが残念です」
同じくソファに座る染倉寛子が、口を挟む。
「私の紹介は不要でしょう」
「そうですね、町内会長であり、この部屋であなたのことを知らない人間はいませんでね」
染倉寛子は満足げに胸を張った。安賀多は頷き、ダイニングテーブルに座る立花恵里を指した。
「彼女も同様に有名人。町内の情報通である家事代行サービスの立花恵里さん」
壁際に立つ二人に安賀多は視線をやる。
「そして、偶然この家の前で出会った刑事二人」
「捜査三課の大田原です」
「牧瀬です」
刑事二人が軽くお辞儀をすると、部屋いる人間も何人かお辞儀をする。
「最後に私の恥ずかしがり屋な助手であります西真琴」
テレビ台とは真反対にあるアイランドキッチンに立つ真琴は、振り返った人たちに笑顔で手を振った。
安賀多は、サングラス越しにスマートフォンの画面を見る。
『まず、連続空き巣事件の犯人は――』
そう、安賀多九助が表に立つお約束。真琴から、スマートフォンに送られてくる指示を安賀多は見逃さないようにしっかりと読む。
「まず、連続空き巣事件の犯人は――」
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