ストック
四月四日 月曜日 十五時五十分――
「ねえねえ、九ちゃん」
すっかり空になった鳥かごを見て、真琴が言う。
「プリンおかわり」
「太るぞ」
「まだ若いもん、プリン一個くらい平気だもん」
「取っておいた方がいいんじゃないか? 明日も明後日も食べたいだろ?」
「えー」
「ストックがあった方がいいだろ。賞味期限もまだあるし」
ストックねえ、と真琴が首をひねる。
「ねえねえ、九ちゃん」
「プリンはないぞ」
「じゃなくてね」
真琴がソファの上で三角座りをしながら、安賀多を見る。制服のスカートがひらりと揺れるのを安賀多は見ないように、洗い上げたものを拭きながら答える。
「なんかいろいろ分かった気がするんだけど」
真琴はそう言ってスマートフォンを眺めている。
「さっき、九ちゃんが言った『ストック』って言う言葉で、私たちは、うまく誘導されていたんじゃないかって気づいたの」
「誘導?」
「うん、これはあれだなー。うん、うん」
真琴は一人でしゃべって、一人で納得したように頷いた。安賀多はこういう時、真琴に全幅の信頼を置き、彼女の思考を邪魔しないようにしている。ただ静かに、彼女が欲しい相槌や反応だけを返す、それが今の安賀多の仕事であった。
「ねえねえ、九ちゃん」
「どうした?」
「折原玲子と何回ビデオ通話した?」
「え?」
急に折原玲子の名前が出て、安賀多はドキリとした。やましいことはないけれど、玲子の自室と部屋着を見ながら通話したことは、あまり真琴に言えないと思っていた。だが、ここで嘘はつけない。
「二回だよ」
「いつといつ?」
「二十八日の夜と三日の昼間だよ。三日の昼間はお前も聞いてただろ?」
「どんな会話してたの?」
急に浮気を疑う妻のように質問攻めにしてくる真琴に安賀多は思わずたじろいだが、やましいことはしていないと自分に言い聞かせるように、ある事実を伝える。
「変な音がするっていう相談だったから、念のため録画してるが、見るか?」
真琴は目を見開く。
「九ちゃん、天才? 見せて!」
安賀多は真琴のスマートフォンに例の動画を二本、送信した。真琴は、息を深く吸って吐いてを繰り返しながら、送られてきた動画を再生した。
一本目。三月二十八日、日曜日、十九時五十分。
部屋着の玲子が映し出される。背景には、白い壁にピンクのお花が描かれた可愛らしい壁掛け時計とカレンダー。そこに安賀多の声が聞こえる。
『ところで、不気味な音というのはいつもこの時間帯に?』
『ええ……』
『それは不安ですね。そういえば、玲子さんは遅い時には二十時くらいまで飯島家にいらっしゃるんでしたっけ』
『はい。食事をご一緒したりします』
『その後、帰宅されるのは何時ごろでしょう?』
『大体夜の九時過ぎです』
『ははあ、ということは一時間くらい掛けて通ってらっしゃるんですね』
『はい』
『では、その夜は変な音は?』
『あ……そういえば聞こえません』
『なるほど。つまり、二十時から二十一時の間だけ聞こえる……と』
『――あ、また』
『え……』
ボーンボーンボーンボーン――
『うわぁっ』
『きゃあ!?』
画面が揺れ、丸い照明と淡い木目の天井が映しだされる。ガタ、ゴトと音がして、画面がグルッと動きながら、玲子が現れる。
『すみません、びっくりしちゃって』
『い、いえ。こちらこそ――ごほん、ところでそちらのお住まいは、お一人で?』
『はい。大学卒業して、職場に近い部屋に引っ越したんですけど、一年もたずに辞めてしまって。引っ越すのもお金がかかるので、ずっとここに』
『昔から、何事も長続きしなくて……家事代行サービスは新しいことを学びながら、いろんなお宅や地域に行けるので飽きずに――天職だと思ってます』
『飯島さんのお宅以外にも?』
『ええ。固定でこの日と指名していただけるお宅はまだ少ないですけど』
『ほう』
『立花さんなんかは、持ち前のおおらかさで、指名たくさんいただいていて』
『タチバナさん――ああ、あのアポロを捕まえた方ですね。あの方も飯島さん宅から指名を?』
『はい、ベテランさんです。確か……十年くらい前から働いてらっしゃるって』
『ははあ』
『だからか、立花さんのスケジュールって売れっ子のタレントさんみたいに分刻みなんです』
『そいつはすごい』
停止ボタンをタップして、真琴は安賀多に向かって冷たい視線を投げた。
「やだ、九ちゃん、ダサい」
「ちょっと時計の音に驚いただけだろ」
「それにデレデレしちゃって。やーね」
真琴はほっぺをプーッと膨らませてから、勢いよく息を吐き出した。
「次は、っと……」
二本目。四月三日、日曜日、十三時五十六分。
一本目と同じ部屋着の玲子が映し出される。背景には、白い壁にピンクのお花が描かれた可愛らしい壁掛け時計とカレンダー。
『あの、先日は無理に空き巣の事件を――』
『あーあー!』
玲子の言葉を、安賀多が大きな声で掻き消そうとしている。
『例の件ですね! 次の定休日にまた足を運ぼうかなと』
『ありがとうございます! もう気になっちゃって気になっちゃって』
『ええ、大丈夫ですよ。わはは』
ガラガラガラッ。
ボーンボーン。
『さすが探偵さんですね!』
真琴は停止ボタンをタップして、ため息を吐く。
「九ちゃんがダサくて悲しい」
「お前な……」
安賀多は情けなさそうにカウンターで項垂れた。真琴は、だって、と言う。
「九ちゃんは本当にすごくかっこいいんだから、イケオジ」
「はいはい」
「こりゃあ、いよいよアレの出番ですな」
「アレ?」
真琴はニカッと笑った。
「ス・マ・ホ」
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