男は一人語る
プリン
四月四日 月曜日 十四時五十分――
カランコロン、と音を立てて、喫茶メアリの扉が開いた。店主の安賀多が扉の方を見ると、唇を尖らせた真琴が立っていた。
「よお」
「……」
「そろそろ新学期か? もう始まったのか?」
真琴は返事をせずに、お決まりのソファまで歩く。
「あれ? 春休みか? お前、いつも制服着てるから全然分かんないな」
「……」
「返事くらいしろよ。まったく最近の若者ってのはなー」
安賀多が聞こえるようにグチグチ言っていると、またカランコロンと音が鳴って喫茶メアリの磨りガラスの扉が開く。そこから顔を出したのは、大田原であった。
真琴は、その顔を見るなり、ソファから立ち上がって逃げようとしたが、安賀多の鋭い声に身体を凍らせた。
「真琴」
ゆっくりソファに戻る真琴。
「真琴、ちゃんと話をしなさい」
真琴は大田原を見る。大田原は、手に下げた紙袋を真琴の前のテーブルに乗せた。
「昨日は、ごめんな。真琴ちゃん。おやつを食べに来るって聞いたから――これ、おじちゃんからのお詫びだ」
黙ったまま、真琴は紙袋を覗き込む。有名な店のプリンが入っていた。分厚いガラスのプリンを宝石のように持ち上げて目を輝かせる真琴。喉を鳴らしてから、真琴が大田原を見る。
「ごめんなさい……ありがとう」
大田原は安堵したように微笑んだ。
ボーンボーンボーン。
喫茶メアリの壁に掛けられたアンティークのゼンマイ式の時計が、朗らかに十五時をお知らせする。真琴はニカッと笑って安賀多にプリンの入った袋を渡す。
「おやつの時間だよ、九ちゃん」
「おう」
安賀多は頷いて、袋を受け取った。
「大田原も食ってくか?」
「ああ。いいのか?」
「今日は金を取ってもいいか?」
「じゃあ、一番安いセットで頼む」
「任せとけ。一番お得なセットにしてやる」
安賀多が鼻歌交じりに用意を始めると、それに応えるようにポットがシューッと音を立てて、喫茶メアリが少し賑やかになる。大田原は、カウンターでメモ帳を眺めては、頭をガシガシと掻いている。
「難航中か?」
「いや、そうだな……昨日立花恵里の家に行ってな」
「アイドルクラスに忙しい家事代行の女神だな」
最近聞いた言葉を混ぜ込んだ安賀多は、そのややこしさに自分で言って笑う。
「アリバイあるだろ? 彼女」
「そうなんだよ。それを確認してたら、旦那さんにこっぴどく怒られてな。上司にまで話がいっちまったから、上司にも今日は外れろって言われてな」
「それで牧瀬を連れてないのか」
「ああ」
「せっかくなら、大きな独り言でも言ってみたらどうだ? 頭の中が整理されるかもしれないぞ?」
「それはあれか、昔、リサさんの前でやってた捜査会議めいたことをやれってか?」
「こう見えても優秀な探偵だぜ?」
「どうだかな。刑事としては優秀だったが、探偵には必要な柔軟さが足りてないのが謹厳実直の安賀多だろ」
「いやいや」
安賀多は手を止めずに楽しそうに笑う。
「リサのお陰で、これでもだいぶ破天荒になったんだぞ?」
「……まあ、そうだな」
大田原は、喫茶メアリを見回して、古時計の横に飾られた往年の名女優のようなメアリ・クラリッサ・ミラーの写真を見る。歳を重ねてからの彼女しか知らない若造でも、いつの時代の彼女も美しく魅力的であることは分かるだろう。
喫茶メアリが最も繁盛していた時代――ほんの十年前のことではあるが、むさ苦しい男たちが所狭しと喫茶店を占領して、煙草の煙に燻されながら喧々諤々の会議を続けていた。煮詰まったら彼らは、クラリッサの美味しいコーヒーと彼女の歯に衣着せぬ物言い、そして天啓のような閃きを求めてやって来た。
「今思えば、若造たちのたまり場のような喫茶店だった」
すっかり静かになった喫茶店は、これはこれで趣がある。昔を懐かしむような大田原の言葉に、安賀多は、そうだな、と返事しながら、大きな鳥かごのようなアフタヌーンティーセットをカウンターに置いて、昨日から用意していたスイーツを並べていく。最上段には、大田原が買って来たばかりの極上のプリンを添えて。
「リサさんの時にそれはなかったな」
「九助スペシャルだ」
「そうかよ」
結構な重量があるであろう鳥かごを安賀多は軽々と持ち上げて、真琴の待つテーブルへと運ぶ。真琴はこの瞬間こそ至高であるとばかりに満面の笑みを見せる。
「下からいくぞ。レモンパウンド、プレーンマフィン。そして、甘夏と白あんのスクエアケーキ、ベイクドチーズケーキ。最上段が、レーズンと練乳クリームのビクトリアケーキの生クリーム添えと大田原のプリンだ」
「神様、大田原様、ありがとうございます」
真琴は両手を叩きながら、いたただきます、と言う。大田原はそれを見ながら、胃のあたりをさすった。
「おっさんにあれはつらいな」
そう言った大田原の前には、一枚のプレートに盛り付けられたプリンとベイクドチーズケーキ、そしてブレンドが置かれた。
大田原は、ブレンドに口をつけてゆっくりと息を吐き出してから、よし、と膝を叩いた。
「これは独り言なんだが――」
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