蛇は皮を脱ぐ
ペット探偵
三月三十日 火曜日 十時五分――
安賀多と真琴は、飯島家の最寄りの駅前に立っていた。奇妙な組み合わせに、道行く人たちの視線が集まっていた。どこの年代の映画から出てきたのかと言われそうな、ハットにトレンチコート、中には赤いシャツという格好で安賀多は隣の女子高生に声を掛ける。
「真琴、さすがに平日の昼間にその恰好は不味いんじゃないか?」
真琴は制服とリュックという姿だ。今日は髪を下ろしたままでいる。
「そうかなー? 九ちゃんの方が恥ずかしい恰好してると思うけど」
「え?」
「え?」
二人が微妙なけん制をし合う中、駅前に現れたのは折原玲子だった。
「こんにちは」
今日の玲子は、白いレースのブラウスに黒のスキニーパンツ。小さなハイブランドのロゴが散りばめられたトートバッグを持って立っていた。耳には小ぶりなゴールドのイヤリングをつけている。バッグに関して言えば、ブランドものに疎い安賀多でも見たことのあるものだった。後々こっそり安賀多が調べたところ、大体十五万円くらいのバッグであった。
「今日も素敵ですねー」
真琴がグイグイと玲子に近づく。玲子は戸惑い気味に笑顔を作った。
「あ、ありがとうございます」
安賀多は、真琴の顔を横から押して、玲子の横から引きはがした。
「それでは玲子さん、その染倉さんのお宅へ向かいましょうか。道中、昨日の話をもう一度お願いします」
「はい……」
若い女性と、怪しい風体の若くはない男と、女子高生という不思議な三人組が、閑静な住宅街を染倉邸目指して歩いている。玲子と安賀多は横に並び、真琴だけ数歩下がったところをついて来ている。玲子は一応、二人に聞こえる声量で、安賀多に向かって話し始めた。
「まず、染倉さんなんですが、優梨愛さん――飯島優梨愛さんのご近所に住んでらっしゃる方で、町内会長のお宅なんです。なんでも元々、ここ一体の地主さんだそうで大きいお屋敷に住んでらっしゃるけれど、相続税でお金はないと……」
「ええ、ええ」
「それで、実は大事なペットが逃げてしまったという相談を受けて、優梨愛さんが『優秀なペット探偵がいる』と安請け合いしてしまったそうで……」
「ペット探偵ではないんですが」
苦々しそうに言う安賀多の後ろで、真琴がクスクスと笑っている。
玲子はすまなそうに言う。
「はい、すみません……」
「いえ、玲子さんが謝ることではないですよ。そして、優梨愛さんにお願いされて、昨日飯島さん宅で家事代行をしていたあなたが、私に電話をくれたと」
「はい」
それは昨日のちょうど十六時頃であった。優梨愛の息子である愛翔がちょうどお昼寝をする時間帯である。電話を受けた時に横にいた真琴が、無言で両手を頭の上で組んで『OKサイン』を作っていた。そして、安賀多と真琴は今日ここにいる。
「それで、昨日聞きそびれたんですが、逃げたペットというのは?」
「それが……優梨愛さんも聞いてないみたいで。ただ――」
「ただ?」
「お気を悪くなさらないでくださいね。ここに住む人たちは、なんというか物珍しさを重視するというか、『口コミ』が第一なんです」
「はあ」
「なので、他の方がまだ――優梨愛さん以外、接触したことのないハンサムな探偵がどういう方なのかお会いしたいというのが一番なのだと思います」
――それはインターネットサイトで『喫茶メアリ』に関して書かれていた口コミの一部分だ。実は真琴の悪ふざけだったのだが、その口コミで実際に玲子は店を訪れたのだから、インターネットとは馬鹿にはできないものだ。
「あとまあ、先ほども言った通り、あまりお金に余裕がないので」
「なるほど……高い本物のペット探偵に頼めないと」
「すみません」
「いえいえ」
「でも、私、安賀多さんはペットのことだけじゃなくて、とても優秀なんだと感じています。とても……安心、できますし」
日曜日の夜、ビデオ通話した時のことを言っているのであろう、玲子は少し頬を赤く染める。安賀多は、いやあ、とハットの中に人差し指を突っ込んで頭皮を掻いた。
「……」
真琴が目を半開きにしながら、前を歩く二人を見ている。ゆっくり息を吸い込みながら、リュックのベルトを両手で握りしめて――叫んだ。
「あっ!!!」
安賀多と玲子は飛び跳ねるように、左右に別れて、後ろにいる真琴に振り返った。真琴は、いたずらっぽい満面の笑みで、二人の間に腕を差し込む。人差し指をまっすぐ前方に伸ばして。
「アポロの女神様だー」
のほほんとした声でそう言った真琴の指の先には、染倉家の屋敷の前で待つ立花恵里の姿があった。
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