コンバーチブル
三月二十七日 土曜日 十七時ちょうど――
閑静な住宅街に防災行政無線からミュージックチャイムが流れている。
安賀多は、その音が鳴り終わるのを待ってから、黒いシンプルなケースに入れられたスマートフォンを取り出した。ロシアンブルーのアポロを捕獲する前に、玲子に連絡を入れようと、さっそく先ほど教えてもらった玲子の番号を押した。
二回、三回、呼び出し音が鳴ってから、ほどなくして玲子が出た。
『もしもし』
「折原さんの電話でしょうか」
『はい』
「探偵の安賀多です」
探偵、という言葉に少し力を入れながら安賀多は続ける。
「本日、アポロくんの捜索のご依頼を受けた件ですが」
『はい』
「見つかりましたよ」
『まあ……!』
十五時に依頼を受けてから、ほんの一、二時間で発見したという安賀多の連絡に、電話越しの玲子は驚いた声を出した。
『それで、どちらに?』
「飯島家からちっとも離れておりませんでした」
『え? あんなに探したのに……』
「室外機と壁の間に挟まって出られなくなっていたようです」
「まあ」
玲子の「まあ」は、電話越しではなく、安賀多と真琴のすぐそばで聞こえた。玄関ドアから玲子が出てきていたのだ。
「おや」
安賀多は眉を少し上げて、微笑んでから通話を終了した。
「こちらにいらっしゃったんですか?」
「ええ、昨日からマナトくんがすっかり落ち込んでしまって、愚図りがひどいので優梨愛さんにお願いされて、今日は様子だけ見に」
「なるほど。うちを出られてからすぐにこちらへ?」
「はい」
言葉通り、玲子の姿は先ほど喫茶メアリを訪れた時とまったく同じ姿で立っていた。
「まさか……こんなに早く見つかるとは思ってなくて。あの、それでどこに――」
「ああ、こちらです」
安賀多の案内で、玲子は室外機に近づいた。ゆっくりと玲子が覗き込む。
「アポロ」
玲子の喜びの声が合図だったように、家の中から小さい影が飛び出した。小さい影――愛翔は、すでに大人三人で少し狭苦しくなってきた駐車場にやってきて、真琴を押し退け、安賀多を押し退けた。愛翔は玲子の手を握り、ぎゅっと抱きついた。
「おねえちゃん、あぽろ、どこ?」
「ここだよ、マナトくん」
玲子に言われたところを見た愛翔は嬉しそうに叫んだ。
「あぽろー!」
その時、真っ赤なコンバーチブルが、ドドド、と低い音で唸りながら家の前に近づいて止まった。助手席から一人の派手な格好をした女性が降りてくる。
「なんの騒ぎ?」
優梨愛であった。玲子は、急ぎ足で駐車場へ向かってくる優梨愛の前に立って、状況を説明し始めた。
「優梨愛さん、こちら探偵の方々です」
「探偵って? ああ、あのネットで調べたとかなんとか言ってたやつ?」
本当に依頼したんだ? と優梨愛は言ってから、安賀多と真琴に目をやる。
「え? 女子高生?」
真琴はニコッとして言う。
「恋人でーす」
「助手です」
真琴の言葉に被せるように、安賀多がひと際大きな声で言って、優梨愛の前に立った。怪訝そうな優梨愛に、安賀多は真剣な顔を作ってみせた。
「姪のようなものでして、ちょっと雑用なんかを手伝ってもらってるんです。見ての通り、冗談が大好きで、困ったものです」
近い距離で真剣に話す安賀多に、優梨愛は屈託のない笑顔をみせる。
「大変なんですね」
「ええ」
「で、うちの猫が見つかったんですか?」
「もちろんです」
室外機と壁の間にね、と安賀多が言うと、優梨愛は口を覆った。
「え、そんなところに……もうもっと遠くに行っちゃったのかと思ってた」
「いえ、猫というのは臆病な生き物なんです。ちょっとしたことで逃げてしまうけれど、臆病だからすぐに遠くへは行けない。だからこそ、もう一度お宅を調べさせていただきました」
「どこかで聞いたセリフだなあ」
真琴の言葉は小声だったので、安賀多以外には届かなかったようだ。
「そうなんですね。やっぱりペット探偵ってすごいんですね」
「あ、いえ……ペット探偵ではなくですね……」
安賀多が優梨愛の言葉を否定しようとしたが、優梨愛にはすでに聞こえていなかった。優梨愛は玲子に向かい直す。
「玲子さん、立花さんいる?」
「います」
「じゃあ、立花さんに言って、アポロを家の中に入れておいてもらって。あの人が一番動物の扱い上手だから」
「はい」
「あと、ペット探偵さんたちも上がってもらって。お茶の用意をお願い」
「はい」
「あ、いえ……僕たちは……」
言いたいことだけ言って、赤のコンバーチブルに戻って行った優梨愛には、安賀多の言葉は届かなかった。
赤のコンバーチブルの運転席に座っている男性と優梨愛がなにか会話をしている。男性は、ツーブロックで左に流した前髪に触りながら、笑顔で優梨愛になにを返している。
その間、本日の家事代行サービスで派遣されていた
そして、コンバーチブルは、ドドドと音を立てて去って行った。
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