三密厳守!鳴海ちゃん‼ ~生徒会長だって逢瀬したい~

アンビシャス

短編1話完結 

 その日の夕暮れは、いつもより透き通っていた。


 雨続きだったからだろうか。差し込む夕陽には何処かとろみがついていて、教室を蜂蜜色に染める。


 等間隔に並ぶ机と椅子に、窓際から人影が二つ伸びる。机に寄りかかって、陽気に放す男子。前の席の椅子に座って、女子は口元に手を当てて笑う。


 盛り上がっていた空気が不意に静まる。蜂蜜色の夕陽が二人の間に蕩けるような雰囲気を届けた。向かい合ってた視線がねじれて結ばれて。


 女子はまぶたを閉じ、唇を僅かに窄める。男子は少し身をかがめて……重なり合おうとする人影を、


「はい、そこのカップル密でぇぇぇす!」


 私は竹刀で断ち切った。


「び……っくりしたぁ」

「アブねぇよ、鳴海! 当たったらどうすんだ⁉」

「そんなヘマするもんですか。剣道部なめんな」


「ていうか、会長いつからいたの? 全然気づかなかったよ~」

「気配消して、摺り足で近づいた。居合と同じ要領ね」

「技術の無駄遣い!」


 男子のツッコミを無視して、私は最近決め台詞になりつつある注意喚起を告げた。


「密閉・密集・密接のうち、あなた達は密接を逸脱しました。即刻下校なさい!」


 二人は間延びした返事をして、渋々席を立つ。隣り合う肩を掴んで、2メートル離れさせる。


「も~、トチジは真面目なんだから~」

「トチジじゃないわ! 生徒会長さんだわ!」

「んなカリカリしてっと、拓海に嫌われ」

「三段突き喰らわせるわよ」

「沖田総司⁉」


 幕末の天才剣士と同じ技を出せるのか、と男子が露骨にビビった。

 いや出来ないわよ。


 ソーシャルディスタンスを守って下校する二人を見送る。

 二人は互いに手をいっぱいに伸ばして、届くか届かないかで、はしゃいで帰っていった。


「あいつら……御用改めしてやろうかしら」


 ソーシャルディスタンスを利用したイチャつきに、頬が引きつる。でも浮かべた表情とは反対に、頭に四文字の言葉がちらついた。


 いいなぁ。って。


 瞬間、私は一つに結んだポニーテールをぶんぶん横に振り回す。


 違う。私は生徒会長として、クラスターを防ぐために、三密を遵守させてるの。カップルを取り締まってるの。決して、大義名分を得てリア充切断してる訳じゃないの。


「羨ましいとかそんなの全然思ってないんだからね!」

「誰にツンデレかましてるんですか、トチジ?」


 肩が飛び跳ねる。振り返ったら、庶務が眼鏡を煌めかせていた。


「いたの、庶務⁉ 何しに来たのよ!」

「何しに来たとは、とんだ言い草ですね。僕はただ地学室で粘膜接触かましてた生徒のことを報告しに来ただけで」

「御用改めであーる‼」


 切捨て御免!

 京を駆け回った新選組のように、私は地学室へ駆け出した。


               *


 近所に浜辺がある街に生まれて良かったって思うのは、決まってムワッとした熱気を潮風が吹き飛ばしてくれる時だ。


 解いた髪が風にそよぐ。揺蕩う長髪を抑えながら、夜の闇に慣れた視界を巡らせる。周囲に人影はない。安心して、古風な木造の住宅地を抜ける。


「こんなとこ学校の皆に見せらんないよ」と、独り言ちて、海へ続く坂道を降りて行く。


 波の寄せる音が聞こえてきた。サンダルの隙間から砂が入り込む。慣れた足運びで砂浜を歩いていくと……遠くで金の糸が輝きを放っていた。


 女の私でも羨ましい金の髪が翻る。夜の海よりも青い碧眼の中に、私はいた。

 ささっと前髪を整えてから、気軽を装って、手を振った。


「お、おっすタク」


 声上擦ってるし! 

 耳が熱くなる。追い打ちとばかりに、拓海はククッと喉を鳴らす。


「おっすってなんだよ。変なナル」


 互いに小さい頃のあだ名で呼び合う。そして拓海が一歩、こちらに踏み出して。


「ソーシャルディスタンス!」


 私は拓海の歩みに待ったをかけた。拓海はあからさまに不満そうだった。


「密閉じゃないから大丈夫だろ」

「密集と密着の危険性」


「真面目だなぁ」

「生徒会長だもん。立場しっかりしないと」


「夜に、海辺で、男子と会うのは生徒会長としてどうなの?」

「もう習慣なんだから仕方ないじゃない!」


 名前に海が入ってるから。そんな些細なきっかけから、二人が出会う時は海と決めた。幼い時の口約束が、こんなに長く続くと思わなかった。


「ごめんて」と拓海は笑いながら、砂浜に座り込む。私もスカートの端を押さえながら、腰を下ろした。


 沈黙が降りて、波の音だけが響く。水平線から視線を外して、拓海の方を一瞥する。涼しい顔で水平線を見つめていた。


「……によ」


 何よ何よ何よ! 一人だけ平気な顔して! 八つ当たりに近い言葉を、膨らませた頬の中で繰り返す。


 ちっさい時はすぐベソかいてたくせに! いっつも私に世話かけてたくせに!


 いつからだった?

 心臓がドッドッドッてうるさくなったのは。ちょっとした仕草に息すら忘れるようになったのは。毎夜毎夜、こうして二人きりになれる時間を楽しみに待つようになったのは。

 子どもの頃は気にしてなかったのに!

 折り畳んだ両膝の間に、額を嵌める。


 ねぇ、タクはそうじゃないの? こんな風に思ってるの、私だけ?

 そう聞いてしまいたいけど、無理だ。


 拓海の姉代わりとしての6年間と、小中高ずっと委員長や生徒会長を務めてきて、培われたプライドが口をつぐませる。


「…………」


 閉じたまぶたの裏に、夕方取り締まったカップルが思い浮かんだ。距離を離されても、二人とも全然気にしていなかった。


 片目だけ開いて、チラッと見ると、何も変わらない拓海の横顔が映る。

 離されてる距離は同じはずなのに……今日も潮風は肌寒かった。


「なぁ、ナル」


 躊躇いがちな呼びかけが、沈黙を破った。私はその声音に違和感を覚える。


「なに?」


 そういえば、今日は変だ。いつもは拓海の方から今日あった出来事とかを語り出してたのに。拓海は変わらず水平線を眺めながら、ゆっくりと発する。


「俺ってハーフじゃん」

「そ、そうね」


 首を傾げる。何を分かり切ったことを。


「確かアリッサさん、イギリス生まれだよね」

「そ。お袋の実家、イギリスにあんだけど……なに、か送って欲しいものある?」


 声が乱れた。


 ハッとして、私は視線を下げる。すると、何かをこらえるように強く砂を握りしめる拓海の手が見えた。


「今、ちょっと感染収まってんじゃん? この隙にお袋の実家……イギリスの田舎に引っ越そうって。親父が」

「それは、良い、かも、ね。日本でも、地方に避難する人いるし」


 あれ。誰だ。

 私の口を勝手に動かしてる奴、誰だ。


「もう若者は大丈夫って言える状況じゃないし。タクが感染する確率だって0じゃない。向こうに着いたらさ、紅茶送ってよ。本場の味知りたかったんだ」


 あぁ、そうか。

 私自身か。生徒会長としての私が、拓海にドキドキしてた私の口を塞ぐ。


「……それだけ?」

「だけって?」

「あ、いや。なんでもない」


 拓海はお尻についた砂を叩き落とす。立ち上がった拓海を目で追いかける。


「そういうことだから、もうここには来れない。最後にナルと会えて良かったよ」


 口の端を持ち上げて、拓海はひらひらと手を振った。


「じゃあな」


 さくさくと砂を踏みしめて、拓海は歩いていく。

 私は笑顔で手を振って、送り出す。

 これで良い。

 だって家族の判断に部外者が割り込むのはおかしいし、世界では若者が死亡するケースも増えてきたし、だったら人が少ない田舎に引っ越すのは正しい判断だ。それに「行かないで」なんて言ったら、縋り付くみたいで、みっともないし……。                         

なのに。


 なんで私、手を伸ばしてるの?

 遠ざかる背中を捕まえようと、指を広げて。

 これじゃ、やってること、あのカップルと同じじゃない。


 いや、ちがう。


 あの二人は明日も会えるけど。

 私達は、もう、会えないんだ。

 

 立ち上がろうとして、顔から砂に突っ込む。

 せっかく綺麗に下ろせた髪に、砂が混じる。

 踏ん張りの利かない砂を蹴りつけて。


 拓海の背中を掴んだ。


「な、ナル⁉ 急にどうし」


 背中を引っ張られた拓海が驚いて振り返る。

 その拍子に拓海がバランスを崩して、私も一緒に巻き込まれる。


 倒れ込む衝撃が拓海を介して伝わる。押し寄せた波が私達を呑み込んだ。

 波が引いた後に、見えたのは、拓海の困惑した顔。髪の先から滴る水滴が、拓海の頬の上に飛び散る。


「どうし」

「ぃかな、いで」


 零れる。


 体中を伝う海水よりも、瞳から零れる涙の熱さで頭がいっぱいになる。

 拓海の胸に顔を埋める。数年越しの、拓海の温もりに体を委ねる。


「やだよぉ。拓海と、離れたくない。やぁだぁぁ」


 無様。みっともない。情けない。


 子どもみたいに泣きわめいて、男の懐に縋り付いて。生徒会長が聞いて呆れる。

 密集して、密接して、隙間なんて少しも残さず密着する。不意に竹刀を振り下ろされても、切り離されないように。


「鳴海」


 濡れて額にくっついてる私の髪に、拓海の指が差し込まれる。髪をかきあげながら、拓海は低く、静かな声を響かせた。


「顔上げて」

「ぇ? ……っ!」


 柔らかな、けどちょっと固い感触に、口が塞がれた。

 私の背中に拓海の腕が回り込む。両肩に手の平が置かれる。

 冷えた体が暖められて、訳が分からないくらい心が満たされる。愛おしくて、胸がいっぱいで、じわりと瞳から溢れる。

 私は拓海の頬にそっと両手を添えて、瞼を閉じる。


 ――――もう拓海以外、感じたくなかった。


             *


 後日。


「ごほっ、げほっげほぉぉっ‼」

 風邪ひいた。


 三密破った罰が当たった。


『大丈夫か、鳴海』


 しわがれた拓海の声が、スマホから聞こえる。拓海の方は喉風邪だ。私は咳止めを流し込んでから「だいじょうぶ」と返事する。


『薄情だよなー親父。風邪引いた息子置いていくかフツー』


 ちょっと躊躇ってから、


「私は残ってくれて嬉しいけ、どね」

『ふ~ん。じゃあ、治ったらうち来る? 俺以外、誰もいねーぜ』

「ば、馬鹿じゃないの⁉ バカじゃないの⁉」


 ブツン、と通話を切る。

 うつ伏せになって、枕に顔を沈ませる。拓海の声を脳内リピート。

 距離は今の方が離れてるのに。海で会った時より拓海の声がずっと近くに感じた。


「~~~~~~っ!」


 むずがゆくなって、足をパタつかせた。 

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三密厳守!鳴海ちゃん‼ ~生徒会長だって逢瀬したい~ アンビシャス @besideDannbi

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