第6話 最悪なご対面

 路上でぐったりと伸びる男を拘束し、傍で倒れた娘を見下ろす。脈は正常で呼吸もあるものの、打ち所が悪かったのか目は閉ざされ、意識はない。騒動を聞きつけた店の人間や近所の住人がわらわらと集まり、事の次第を遠巻きに眺めている。


「……めんどくせ」


 イグナーツは舌打ちした。

 正直なところ、今すぐこの場を切り上げたい。しかし現行犯逮捕の延長で怪我人が出たし、人の目もありすぎる。馬車には王立騎士団の紋章が刻まれてあるから、無視して通り過ぎてしまえばあとでどんな苦情が殺到するか。とりあえず一旦ひったくり犯と娘を保護して騎士団城に引き返し、改めて大聖堂に繰り出すほかないだろう。時間を無駄に潰してしまうも、こればかりは不可抗力だ。犯人はどうでも良いが、修道女を回収してからだと娘の治療が後手に回ってしまう。彼女の容態が最優先だ。


 フロレンスが娘の真横に片膝をつき、打った頭の状態を調べる。それから、何かに気づいたように彼女を見つめた。


「……あれ?」

「どうした。さっさとしろ」

「ちょっと来て。イグ」


 呼び声に困惑が混ざっていた。眉根を寄せ、イグナーツは娘に近寄る。


 まだ若い。十代の半ば頃か。


 娘が着ている鈍色にびいろの服は、若い女性が着るには地味で重たい色だ。信仰に人生を捧げた、修道士の服装に似ている。ただし体格を隠す一般の修道士の服とは違う、身体の線に沿ったドレスのようなデザインだった。


 誰の趣味か、肩部けんぶがふんわり膨らんだ、手首にかけてぴっとり覆う袖。くびれた細い腰、すとんと足首まで垂れるスカート部分。修道の者の清廉さを保ちつつ、良いところのお嬢さんっぽくもある。胸元には銀のロザリオ。左手の薬指で銀の指輪がしっとりと煌めく。


 そこまで見終えて、イグナーツはフロレンスの言いたいことに気づいた。

 蝶の羽根のようにしなやかな手足、やわい曲線を帯びた腰つき……ほっそりと小柄な体躯は、フロレンスたちが想像していた人物とかけ離れすぎている。


「なあフロー。もしかして、こいつがうちの上司……じゃないよな?」


 新しい総轄長の特徴は、見た目だ。艶々つやつやと美しい漆黒の髪と瞳。滑らかな肌は透けそうなほど白く、太陽の下では輝いて見える。顔立ちは……決して美しいわけではないが、割と綺麗だ。可愛らしい、と言った方がしっくりくる。


 この娘は見事に当てはまっていた。瞼に隠された虹彩は除いても、容貌は整っており肌も真っ白。黒絹のような髪が引き立っている。起きていれば生気が宿ってさぞ魅力的だったのだろう。彼女目当てで大聖堂に通う騎士の気持ちも分からなくはない。


 しかし問題はそこじゃない。


「そうだと思う、けど?」

「子供じゃね?」


 可愛い、との評判は腐るほど聞いたが、こんなにあどけなさが残っているとは予想外だった。高身長だらけの騎士たちの群れに埋もれかねない身体は、大きく見積もってもイグナーツの肩下止まりである。細いだけでなく背も低い。


「これで18歳? ぶつかった衝撃で体が小さくなったとかそういうわけじゃなかったら人違いだろ。いや人違いが良い!」


 早くもイグナーツは現実から離脱した。

 こんな、いかにも頼りない女なら、全身が厚い筋肉で覆われている女の方がずっとマシだ!


 わめく彼を放置して、フロレンスは野次馬と化している人々に娘のことを尋ねる。皆、口をそろえて「大聖堂の修道女セラフィナ・シックザール」だと答えた。


「イグ、諦めろ。この子がうちの上司だ」

「畜生!」


 フロレンスは娘を抱きかかえ、馬車のソファに寝かせる。馭者台の馭者に来た道を戻るよう指示し、目を回して動かない窃盗犯を引きずるイグナーツに告げた。


「この子を引き取る手間が省けた。このまま戻るぞ」

「はいよ」


 もはや投げやりでイグナーツは頷く。

 馬車に乗り込む前、地面に転がっていた物体が目についた。失神する直前まで、ひったくり犯に飛びつきながら器用に彼女が握っていたものだ。イグナーツが不思議そうに拾い上げる。


「なんだこれ?」

「さあ。あとで訊けば良いだろう」


 その物体は細長く、紫の麻布にくるまれていた。気になったものの、祈りに必要な物なのだろうと考えてそのままにし、馬車の床に置いておく。窃盗犯も転がした。彼女が横たわるソファの真向かいに2人は腰かける。


「迎えに行くといったのに、まさか出迎えてくれるとはね」


 昨日送った手紙にもそうしたためておいたはずだ。三時課の鐘が鳴る前に使いを出すと。だのになぜ先に出発しているのか。万が一入れ違いになったらどうするつもりだったのか。

 そもそも外に出てしまったからこんな厄介事が起きたのだ。窃盗犯の確保は百歩譲ってどうしようもないとしても、修道女がそれに巻き込まれたら嫌でも注目を浴びる。現に「セラフィナちゃんじゃないか!」、「天使様が何で外に?」、「天使様は大丈夫なのか」と群衆は騒いでいる。馬車を取り囲まれていて戻るどころではない。


 フロレンスは窓から、修道女に命の別状はないこと、彼女は王立騎士団で介抱すると彼らに伝え、距離を遠ざける。


 大人しく待ってくれればこんなことにはならなかったのにと、フロレンスは苛立ちを隠せなかった。

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