招かざる者

第7話 暗い思惑

 薄暗い部屋。面積の広さが静寂をより強調する。高い天井から垂らされた天蓋てんがいのカーテンは室内の半分を占める寝台を囲い、一部を除いて隠すように覆っている。ビロードの生地は壁に取りつけられたランプの灯を返して赤く照り、光の当たらぬところは漆黒の影を落として波打っている。床まで流れる長さは、まるで寝台に忍び寄る死神の影みたいだ。


 部屋の窓も締め切り、一切の陽光が射さぬよう徹している。寝台に眠る人物を刺激しないための、侍医の判断だ。

 今、宮廷の侍医はカーテンを開いた隙間に身を乗り出し、せわしなく医療器具を出し入れしている。時折カーテンの向こうから、うめきに似た重々しい息遣いが漏れた。


「陛下の容態は」


 病人の治療に死力を尽くしている侍医の背中に問いかければ、飛び上がられた。


「宰相閣下」


 首だけ回して、侍医はいつの間にか部屋に入っていた宰相を振り返る。上質な真紅の衣で恰幅の良い身体を包んだ、初老の男だ。顔にいくつもついた深いシワが、国の中枢で身を粉にしてきた彼の歴史を刻んでいる。

 侍医は視線を落とし、辛そうに答えた。


「私も手を尽くしてはいるのですが、陛下はほとんど食事に関心を示さぬようになり、体力のほども……」

「そんなことは分かっている」


 声を潜めて宰相がぴしゃりと一喝すると、年老いた侍医は首をすくめた。慌てて綿の詰まった柔らかな寝台で重々しく横たわる身体を見下ろし、太い息を流す。


「安定しています。ですが悪化の中での安定です。意識はたまに明瞭になることもありますが、お言葉につきましてはほとんど聞き取りにくくなっておいでです。これからも治療に専念する所存でおりますが、どう長らえても年内には」

「……そうか」


 宰相はくるりと背を向けた。扉を睨み、腕を組む。


「陛下がみまかられてしまえば、殿下おひとりになる」


 現在の王太子は10歳を迎えたばかり。学力のみなら申し分ないが、自ら国を治めるには政務経験が乏しく心許ない。母たる王太子妃は産褥さんじょくの床で永遠に眠り、先代の王太子であった父は病弱が元で後を追うように亡くなった。遺された幼い子をしかるべき時まで育て上げるべく、祖父にあたる国王が休みなく国政を執った。

 その果てが、寝台で力なく息をする老人へ。大変な変わりように宮廷の人々は深く案じ、王室の動向を注視している。


「殿下の即位は問題ない。我々がお支えする。……だが年端のいかない君主を戴けば、あの国がどう動くか」


 宰相の頭の中で厳しい計算がうごめく。最善とは言いがたいけども次善の策に近い対応は、今はひとつしか浮かばない。


「我が国の結束をより強固にするには、求心力のある人間を傍に置く必要がある」


 そう。たとえば――――世界で広く信仰されているメサイア教の、聖職者。彼らと接する際は、王侯貴族も最大の敬意を払う。それだけメサイア教の支持は篤いのだ。かの威信は一国の王室の権勢をもしのぐといわれている。

 現在、ほぼすべての国で国教となっているメサイア教は、強大な勢力を誇っている。各国にいる修道士や聖職者たちが簡単にやり取りできるよう、ラテン語という共通言語を指定したためだ。このラテン語のおかげで、教会は国境を越えた強い結束力を保っている。


 そのような神に仕える者を王太子と並ばせれば、教会の権威をあたかも君主の威光のように利用できるのではないか。神が聖職者を介して国王に加護を与えているという演出だ。しかもメサイア教の最高権力者ともいえる教皇はテネーレで聖務を執っている。これほど諸国に打撃を与えるものはない。


「そんなことが可能なので?」


 事前に計画を聞かされていた侍医は、不安げに念を押す。

 メサイア教の教会は人々に救いの道をき、分け隔てなくすべての人間が祝福を受けられるよう祈りを捧げている。宮廷に肩入れすることはないし、政治にも介入しない。世俗の権力者とは距離を保っているのだ。いくら国を護るためといえ、そうそう力を貸してくれるとは思えない。


「今回はできると踏んでいる。あの国は教会にとっても脅威だ。教皇猊下げいかは初め難色を示されておられたが、しつこく交渉したおかげで1人寄越してくださることとなった」


 とはいうものの教会の人間は高齢者が多く、引き入れるにしては頼りない。しかも地位ごとに多く存在する聖職者から1人を抜き出したところで、大した影響には至るまい。宰相が欲するのはそうした者ではなかった。もっと、あまねく認知されていて、神の使者としての説得力を備える逸材を。


「教会の『天使』だ」


 考えついた末が、十代のうら若き修道女だった。年齢と性別に不安が残るものの、通常神父が行う洗礼を神の代理人たる教皇から直接授かり、ゆえにその覚えめでたく、またテネーレ市民の支持もあついということで決断した。


「あれを、王立騎士団の総轄長に据える」


 白くふわついた侍医の眉が跳ねた。


「正気ですか? あってはならないことです。争いを嫌う教会を騎士団に入れるなど。しかも修道女とは。騎士団内部の反感も買うでしょうし、そもそも女性を男性ばかりの環境に入れるなど……」

「ちょうどよくきができてな。今までの総轄長が歳を理由に辞めた。事前に話を通したが、好きなようにしろと言ってきた――――不満だったのか任期を待たずに出て行ったが」

「それは……」

「何かあれば、王立騎士団か辺境騎士団、地方騎士団が一番動きやすい。動きやすい集団の先頭に教会の人間がいると良い顕示けんじになる」

「『天使』様にはあまりの苦痛でしょう。理解を得られると思えません」

「修道女の心情などどうでも良い。ただの飾りだ。王立騎士団には優秀な補佐官がいる。奴が実質の総轄長として統率すれば騎士たちも黙るだろう」

「上手くいくとは……」


 宰相は侍医の反発を遮った。嫌ほど聞かされた苦言だ。反対する貴族たちをようやく黙らせたというのに、似たような議論をここでも繰り返したくはない。

 『天使』が王立騎士団の頂点に立てば、教会も何らかの便宜を図るはず。教皇には『天使』を派遣しても各国の教会や聖職者を動かしたりしない、積極的な協力は一切しないと釘を刺されたが、どこかで譲歩せざるを得ない時機が来るだろう。


「どちらにせよ、慣れさせる必要がある。今、必要なのは時間だ」


 そこで話を断ち、寝台に横たわる国王に向き直って姿勢を正す。血走った顔つきで宰相は国王の枯れた手を握った。


「どうか陛下。王太子殿下のため、国のため。もうしばらくご辛抱くださいませ」


 生かされているだけの国王は、耳を傾けることなく呼吸するのみ。

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