第5話 握り締めた手

 馬車は舗装された道を行く。品出し前の大通りは人の往来が少なく快適だ。昼下がりになると酷い時は馬車道にも客足がせり出すくらいごった返す。歩道の道幅は充分広いのだが、人口が増えたり異国の行商人や観光客の出入りが盛んになったりして受け止めきれなくなったのだ。さすがに馬車が通行できなくなるほどの現象は建国祭などの祭典の時期でしか起こらないものの、普段も熱気で暑苦しい程度には栄えている。


「別についてこなくてもよかったんだよ?」

王立騎士団う ち敷居しきいをまたがせる前に一発ぶち込んでやらないと気がすまねえ」

「イグ。仮にも大事にされている教会のお嬢さんだから、怪我させると首が飛ぶよ……」


 ちら、とイグナーツは向かい側に座る友人を盗み見る。彼は馬車の窓に映る景色を眺めているので、眼帯をつけた形の良い横顔しか目に入らない。


 あの傷ついた左目は、過去の盗賊討伐でやられたものだ。敵の陣地に深入りして罠にかかった先代の総轄長を庇い、負った傷。その勇敢さを先代に高く買われ、21歳にして彼の補佐官に就任したのだ。先代はお気に入りの部下をとことん重用する分かりやすい性格だったから、日常的に不満を抱く騎士もいた。けれど、フロレンスの昇格だけはほとんどが認めた。

 実際、有能と注目株だったフロレンスは、第一騎士団の端くれだった時代から同僚の人望を集め、武術の腕だって王室を護る近衛師団このえしだんをも圧倒させるほど際立っている。ひねくれ者のイグナーツも、彼を純粋に評価する者の1人だった。


 だからこそ、次の総轄長は彼になると期待していたのに。


「なんでその『お嬢さん』に上に立たれなきゃなんねえのか、全然納得できねえんだけど」


 宮廷から発表された新しい総轄長は、騎士たちに酷い衝撃を与えた。

 神に愛された『天使』。大聖堂の修道女。今年で19歳。大聖堂に足繁く礼拝する騎士に尋ねてみたところ、幼い頃から信者たちに愛されている評判娘で、玉砕上等で密かに狙っている男も多いらしい。


 要するに騎士の素養が何ひとつ備わっていない、神に祈るだけの女ということである。常識的に考えてあり得ない。そもそも騎士を志す少年は7歳前後で武芸を一通り修め、国王の住む城や貴族の屋敷で従騎士じゅうきしという見習いの身分で作法と主人への奉仕を学び、能力が遺憾なく認められれば騎士叙任式きしじょにんしきを経て騎士となる。晴れて騎士の地位を得るのに最低でも10年要するのだ。それらをすべて無視して、剣とも戦いとも無縁の、むしろ嫌厭けんえんしそうな女が総轄長になるなど、めちゃくちゃな人事だ。宮廷に命じられても従えない。何より騎士の矜持きょうじが許せなかった。


 宮廷は詳しい理由を明らかにしていない。結論だけを押しつけてきた。どうしてもと譲らないなら、とりあえず女をぶん殴らねば気が済まない。フロレンスには彼女も宮廷の判断に踊らされた被害者なのだからとさとされたが、騎士も同じ立場である。王立騎士団の混乱の責任を拳一発で取れるなら安いものだろう。女が用済みになるまで、王立騎士団はずっと迷惑をこうむり続けるのだから。


「教会の影響力や資産はとんでもないからね。取り込んでおきたいんだろう。『天使』が国を護っていると思わせるのは良い広告塔だと思うし。教会と国が手を組んで、テネーレが神に護られているように見せかければ、民衆の士気も上がる」

「女の時点でダダ下がりだっての」


 彼らは今、宮廷からお達しを受けた新しい上司を迎えるべく、大聖堂に向かっている。非常に不本意だが、こうなってしまった以上まだ見ぬ彼女を受け入れるほかない。


「………おや?」

「どうしたフロー」

「外が騒がしい――――」


 フロレンスは窓に身を乗り出し、馭者台の様子を窺う。

 直後。


 ガコンッ。


 派手な音と共に、馬車が激しく揺れ出した。


「うおっ!?」

「わっ」


 イグナーツがイスから転げ落ち、フロレンスは放り出されないよう窓枠を掴んだ。壁も床も大きく振動する。

 馬車内の耳障りな音に混じって、馭者の怒声が響く。荒々しい横揺れが収まった。誰かが飛び出してきたようだ。


『あぶねぇだろうが!! 引っ込んでろ!』

『騎士様の馬車だろ!? 助けとくれよ! 店の釣銭がかっぱらわれたんだ!』


 泣きつくような訴えにフロレンスとイグナーツは目を合わせ、馬車から飛び出した。修道女を迎える時刻に遅れてしまうが仕方がない。目の前の市民を助ける方が急務だ。フロレンスは馭者にかじりつく大柄な女性に声をかける。


「窃盗犯はどこに?」


 女性はハッとフロレンスとイグナーツを見、泣き腫らした顔で馬車の進行方向を指差す。太った男が不自然に走っていた。逃げている、との表現が似つかわしい必死さだ。

 男を視認するなり2人は同時に駆け出した。贅肉だらけの体型に反し駿足しゅんそくだが取り逃がすほどではない。しかも他の店の商品にでもぶつかったか、後ろに転んで腰を打ちつけていた。すぐに立ち上がって男は走り出そうとする。


「させるか!」


 イグナーツが分厚い背肉せじしに痛烈な回し蹴りを決めた。男の態勢が崩れる。男の手から金の詰まった麻袋が離れ、ガチャンと落下した。

 と同時に、男の太い腕にしがみついていたらしい華奢な人影がふらりと揺らぐ。


「イグ! 傍に女の子がいる!」


 男の転倒に巻き込むまいとフロレンスがその細い指を掴む。


「君、大丈夫か!?」


 澄んだ夜空を映した瞳と彼の目が合ったのもつかの間、彼女はひっくり返って頭を打ちつけた。

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